国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄誕生と公安制度について 第一話

2022-05-10 22:36:36 | 鉄道公安

国鉄誕生と公安制度について

 鉄道公安官、正式には鉄道公安職員と呼ばれる人たちであり、国有鉄道施設における警察官でした。警備員と異なるのは、司法権を持っていたことであり、令状請求権などがあったことでした。

 また、武器の携帯も許可されており、拳銃の使用も可能でしたが、実際の警乗などでは拳銃を持つことはなく。その辺は警察官とは異なるところではありました。
また、司法権の適用範囲は鉄道敷地内だけと言うことで限定的なため、例えば市中で鉄道施設等を破壊した被疑者を発見しても直接逮捕は出来ず、地元の警察に依頼するなどの点が警察官とは異なっていました。

 鉄道公安職員はあくまでも、国鉄の職員であり警察組織に所属するものではなく、公安室長から駅長にと言った転身もありましたが。この辺が警察官とは異なるところでした。

戦前の公安制度と関連法制

戦前には鉄道公安制度は有りませんでしたが、不特定多数の利用がある鉄道にあってその秩序を維持するものとして、

旧刑事訴訟法第二五一条で「森林、鉄道其ノ他特別ノ事項ニ付司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者及其ノ織務ノ範囲ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と示されており、それを受けて、鐵道省では、

大正十二年勅令第五百二十八号(司法警察官吏及司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者ノ指定等ニ関スル件)に基づき、司法警察職員の権限が与えられていました。

具体的には、駅長・助役・車掌区長・車掌の中から鉄道司法警察官吏を選抜して停車場と列車内の現行犯捜査に当たるとされていたそうです。

その後、その権限は鉄道営業法違反の罪の現行犯に限定したことで有名無実化、戦後の混乱から旅客巡察員、荷物事故防止巡察員の制度が設けられ、従来の司法警察官の権限を付与したのが始まりとされています。

その後、新刑事訴訟法一九〇条並びに、それを受けた、法律第二三四号「司法警察職員等指定応急措置法」があり、車掌・駅長などにその権限が与えられました。

終戦直後の日本は混乱の極み

終戦直後の日本の混乱はすさまじく、当時の資料を参照しますと、暴行、傷害、窃盗、強盗、あらゆる犯罪が起こり、その発生件数は以下のように多数に及んでいました。大阪・神戸などの大きな駅では毎日1日500件にも上る暴力事件が発生したとも言われています。
実際に、昭和23年~26年の事件を抜粋すると以下の通りです。

如何に多くの問題が発生したいたかが判ります。

窃盗・暴行・詐欺といずれの犯罪も増加していることがご覧いただけると思います。

戦後の公安制度 司法警察権の付与

 このような世相を受けて、昭和21年には自衛的に職員に司法警察権を付与したものの、兼務では限界があることから、昭和22年、諸外国の制度に倣って鉄道警備捜査専任者の制度が考慮され、これが鉄道公安職員の発端となったと言われています。

 鉄道公安職員は、国鉄職員の中から選抜されるもので以下の通りとなっていました。

  • 鉄道司法警察職員の指名は運輸大臣の定めるもの(鉄道管理局長、公安本部長など)が検察庁の検事正と協議する。
  • 指名を受けるものは、日本国有鉄道の役員・駅長・駅の助役、車掌区長、車掌、及び旅客公衆の秩序維持または荷物事故防止の事務を担当するもの
    と指定されていました。 

公安官の設立は、GHQからの指示であった

昭和25年10月 国鉄線 「公安制度の躍進」から抜粋

昭和22年1月5日MRSの列車長兼公安長から国鉄山口渉外部長に宛てて、閣議において鉄道警察を整備すべしという口頭の命令が発せられるや、国鉄としては直ちにその具体化に対する協議に入り、漸く同年4月1日を期して公安官事務局を設置する運びとなった。 従って公安事務局の任務というのは、一切の鉄道防犯を強力に措置すると同時に、鉄道警察創設のための準備をすることであった。そこで同年7月には第1期のの公安官を養成することとなり、鉄道部内から各鉄道局単位に約50名の職員を採用して、それぞれ教習所に特設公安科を設置し、2ヶ月乃至3ヶ月の訓練に当たらせ、これに漸く公安官の発足を見るに至ったのである。

と有りますが、公安官制度の設立もGHQ(MRS)からの指示であったことが理解していただけると思います。

鉄道公安官の職務範囲

 鉄道公安官の職務範囲は、当初は鉄道輸送における自衛目的であるとして、その範囲は鉄道施設内でかつ現行犯に限られるとなっていました。しかし、その運用方法には問題があるのではないかという議論が出てきました。

 特に、吹田事件(1952年6月24日(火曜日)から6月25日(水曜日)にかけて、大阪府吹田市・豊中市一帯で発生した吹田騒擾事件)のように、デモ隊など  の集団示威行動は公安職員では対処できないため、警察に委ねるべきではないかという意見や)こうしたことを受けて、  昭和25年8月10日法令が改正されることとなり、その権限が鉄道敷地内での秩序維持と言うことで、鉄道敷地内での犯罪捜査全般に拡大されることになりました。

吹田事件・画像wikipedia

騒擾事件などを受けて、鉄道公安職員(官)に対し、その職務範囲の拡大と権限の拡大、武器の使用などが認められましたわけですが、その背景には、刑事訴訟法の改正があり、証拠によらないと公判の維持が難しくなったことから、捜査をできるだけ専門的に行わねばならず、鉄道犯罪についてはその専門性から公安官による捜査は絶対必要となり、「鉄道公安職員の職務に関する法律」法律第二百四十一号(昭二五・八・一〇) が制定されることとなりました。

ただし、鉄道公安には警察署のように留置場と呼ばれる場所もないため、事情聴取が終われば速やかに検察もしくは警察に身柄を引き渡すと事となっていましたが、事情聴取は公安で行うことや、証拠固めの仕事は引き続き鉄道公安の仕事とされており、警察との連携を図ることが求められていました。

また、公安官の職務に関する監督は、法務大臣ではなく運輸大臣となるなど異なっていました。

余談ですが、成田空港開港時の燃料備蓄輸送では、全国から公安官が警察官とともに警備に当たりましたが、これは公安出動として運輸大臣の命令により動員されていました。

 別リンクで、「鉄道公安職員の職務に関する法律条文」を抜粋してアップさせていただいております。

併せてご覧いただければ幸いです。

別ウインドウが開きます。

鉄道公安職員の職務に関する法律

鉄道公安職員の職務に関する法律

 

 

 

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2 コメント

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鉄道公安官について (国鉄マニア)
2024-03-12 15:42:39
指名を受けるものは、日本国有鉄道の役員・駅長・駅の助役、車掌区長、車掌、及び旅客公衆の秩序維持または荷物事故防止の事務を担当するもの

昭和の国鉄廃止とともに鉄道公安官は廃止になりましたが,鉄道司法警察隊と公安員はおなじ職ですか.

鉄道公安員は全員管理職で,当時高給取りだったのでしょうか.
貨物職員などの一般職の方が鉄道公安官になるには昇級試験などを受けて,高給取りになれたということでしょうか.
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ご質問について (加藤好啓)
2024-03-12 20:52:35
コメントありがとうございます。
私も十分な資料が無くて不明な部分もあるのですが、警察組織に準じた所があり、公安職員のうち、警察の巡査に相当する公安員と司法警察員として指定された公安班長〔巡査部長に相当)以上に分かれます。
ですので、公安職員が全員管理職というわけではありませんが、公安職員の場合は俸給が恐らく一般の駅員などとは異なる俸給表が適用されていたものと思われます。その辺は今後資料を探してみれば判明出来ると考えています。
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