皆様こんにちは、久々に更新させていただきます。
今回は、気動車のお話と言うことで・・・というか、内燃機関の話ばかり続いていますが、気の迷いですから。苦笑
さて、今回は準急気動車事始めと言うことでお話をしたいと思います。
気動車準急としては、157系を投入する前に日光号がキハ55を使った準急列車として運転されたと言う話は聞かれたことがあるかと思います。
実際、準急用気動車としてキハ55は誕生しましたので、車両的に見れば日光号を準急のルーツとしても良いのですが、実はもう少し前から気動車準急が運転されていました。
今ではローカル列車しか走っていませんが、実は関西線です。
関西線は、大阪~名古屋間に関しては東海道線よりも距離は短いため東海道線の大垣~米原間が非電化だった当時では、関西線も名阪間のバイパス路線として、名古屋~港町間に準急列車が設定されていました。
昭和28年の時刻表、この当時はまだ客車列車であり、愛称等はありません。
そのうちの1往復、湊町13:50発 名古屋17:05着 名古屋17:40発 湊町20:59 3時間15分程で走破していたことになります。
ちなみに、現在のアーバンライナーでは大阪難波を14:00に出発して、名古屋には16:12ですから、約2時間ですので、時代を感じてしまいます。
一往復だけ気動車に置き換えられた準急(当時は無名)列車は、どのようなものだったのでしょうか。
実は10系気動車が使われていました。
将来の準急用気動車の試作として計画された、キハ50形を利用して、昭和30年3月22日2エンジン付きのキハ51を両端に中間車がキロハ18(当時の形式はキロハ47000)とキハ17(キハ45000)を連結した4両編成で運転されたそうです。
ただし、予備車が無く検査時には客車列車に戻された日もあるそうです。
昭和30年の3月からはキハ17系(キハ50を含む)気動車が国鉄最初の準急気動車として運転されました。
キハ44500系気動車による準急が運転されたのは関西線が初
昭和31年7月15日からは量産型のキハ51(キハ44700)形が増備され、残り2往復の客車準急も気動車に置き換えられました。
なお、この改正で30分の大幅時間短縮で2時間50分運転となったそうで、当時の近鉄特急が2時間42分運転だったのでほぼ互角に戦えるようになったと言われています。
なお、その後キハ51はキハ55に置き換えられ軽快な準急塗装(クリームに赤帯)が投入されますが、優等車の増備が間に合わず、キロハ18の塗装を準急塗装にした車両が走った時期もあったようです。
ちなみに、関西線で最初に置き換えられた208・209列車が日本最初の気動車による準急列車となりました。
********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
今回は、気動車のお話と言うことで・・・というか、内燃機関の話ばかり続いていますが、気の迷いですから。苦笑
さて、今回は準急気動車事始めと言うことでお話をしたいと思います。
気動車準急としては、157系を投入する前に日光号がキハ55を使った準急列車として運転されたと言う話は聞かれたことがあるかと思います。
実際、準急用気動車としてキハ55は誕生しましたので、車両的に見れば日光号を準急のルーツとしても良いのですが、実はもう少し前から気動車準急が運転されていました。
今ではローカル列車しか走っていませんが、実は関西線です。
関西線は、大阪~名古屋間に関しては東海道線よりも距離は短いため東海道線の大垣~米原間が非電化だった当時では、関西線も名阪間のバイパス路線として、名古屋~港町間に準急列車が設定されていました。
昭和28年の時刻表、この当時はまだ客車列車であり、愛称等はありません。
そのうちの1往復、湊町13:50発 名古屋17:05着 名古屋17:40発 湊町20:59 3時間15分程で走破していたことになります。
ちなみに、現在のアーバンライナーでは大阪難波を14:00に出発して、名古屋には16:12ですから、約2時間ですので、時代を感じてしまいます。
一往復だけ気動車に置き換えられた準急(当時は無名)列車は、どのようなものだったのでしょうか。
実は10系気動車が使われていました。
将来の準急用気動車の試作として計画された、キハ50形を利用して、昭和30年3月22日2エンジン付きのキハ51を両端に中間車がキロハ18(当時の形式はキロハ47000)とキハ17(キハ45000)を連結した4両編成で運転されたそうです。
ただし、予備車が無く検査時には客車列車に戻された日もあるそうです。
昭和30年の3月からはキハ17系(キハ50を含む)気動車が国鉄最初の準急気動車として運転されました。
キハ44500系気動車による準急が運転されたのは関西線が初
昭和31年7月15日からは量産型のキハ51(キハ44700)形が増備され、残り2往復の客車準急も気動車に置き換えられました。
なお、この改正で30分の大幅時間短縮で2時間50分運転となったそうで、当時の近鉄特急が2時間42分運転だったのでほぼ互角に戦えるようになったと言われています。
なお、その後キハ51はキハ55に置き換えられ軽快な準急塗装(クリームに赤帯)が投入されますが、優等車の増備が間に合わず、キロハ18の塗装を準急塗装にした車両が走った時期もあったようです。
ちなみに、関西線で最初に置き換えられた208・209列車が日本最初の気動車による準急列車となりました。
********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************