国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国会審議の議事録 Part1 (DD54の瑕疵について)

2012-04-08 22:36:04 | 国鉄関連_国会審議
長らくご無沙汰していました。今回から不定期で、国会審議の議事録をアップしていきたいとおもいます。

第1回目は、不運の機関車と言われた、DD54に関するお話です。
現在、DD54は、33号機が大阪の交通科学博物館に保存されている以外は10年ほどで廃車になってしまった不運の機関車でしたが、これに関しては国会でも厳しく取り上げられたようです。

今回は、3回程度に分けて当時の議事録をアップしていきたいとおもいます。
なお、本文全文をご覧になる方は、交通安全対策特別委員会 第5号をご覧下さい。

87-参-交通安全対策特別委員会-5号 昭和54年05月09日

○内藤功君 この四十両すべてが耐用年数に満たないで廃棄処分になったわけですが、このDD五四について四十両のうち一番長く使ったのは何年何カ月か。それからついでに聞きますが、一番短いのは何年何カ月で廃車になったか、廃棄にされたか。平均で何年何カ月か、これを養えてください。

○説明員(藤田義人君) 一番長いものは十年一カ月でございます。一番短いものは四年十カ月、特にこれは心臓部のコンバーター――逆転器の破損がありました。そのような修復不可能な故障が発生して廃棄しました。平均としましては七年四カ月という状態でございます。

○内藤功君 非常に短いですね、十八年の耐用年数に比べて。長くて十年ですね。
 どうですか、国鉄で導入した車両のすべてが、しかも四十両というような車両のすべてが耐用年数に満たないで、みんな耐用年数に満たないで廃棄されてしまったという実例はほかにないでしょう。

○説明員(藤田義人君) いまの御質問でございますが、先ほど言いましたように、外国の技術提携を受けたエンジンであるだけに、いろいろと修復に対して努力いたしましたが、やはり使用条件が違うといいますか……

○内藤功君 いや、そういう例があるかないかです。

○説明員(藤田義人君) また、そういう中で非常に問題がありまして、ほかの車両の故障発生の傾向から見まして非常に特異な状況でありまして、いまおっしゃるように、われわれとしても非常に残念でございますが、短い期間でやったと、ほかにはこういうケースはございませんでした。

○内藤功君 私は三月の下旬に、調べるために福知山機関区に行ってきたんです。そうしましたら、一両だけDD五四が福知山機関区の放射十一番線上に、これは廃車決定は内部的にされているそうでありますが、存在しておりました。これは昭和四十六年製作のものですから三三号機、まだ八年しかたっていない。
 ちょっと大臣、これですね、これがいま問題のDD五四なんです。ちょっとごらんに入れておきます。雨の日に行って撮影をしてきたんですが、まだ新しいという感じが、これは写真の感じでいいですが、しませんか。

○国務大臣(森山欽司君) 大変いい男前に写っておられます。

○委員長(竹田四郎君) ちょっと、立って答弁してください。

○内藤功君 いや、非常に新しい車体だというふうに感じませんか。

○国務大臣(森山欽司君) そうですね、非常に古いものだという感じはしません、写真だけじゃちょっとわかりませんけれども。

○内藤功君 このDD五四の車両の故障件数がまた問題であります。昭和四十一年に導入しましたが、四十一年、二年、三年と、この初期の三年間で、走行キロ百万キロ当たりの事故件数、これはどうなっておりますか。

○説明員(藤田義人君) いまの、当初四十一年入れましてからの三年間の百万キロ当たり故障件数、それは本線で特に故障を起こしたというA故障件数でございますが、二三・九、二四・七、二四・二という傾向値でございます。

○内藤功君 その後一たん減ったんですが、また四十七年、八年、九年、五十年、五十一年と、こうふえてきているんです。これも後で質問し出す。そうしてしかも、四十九年、五十年、五十一年あたりでは平均の約十倍、百万キロ当たりの事故件数が十倍という多発を示しておるんですね。
 そこで、次に私はお聞きしたいのは、DD五四はすでに昭和四十三年までに八両導入して、その八両は、いまお答えのような、非常に高い、百万キロ当たりの件数二四・七、二四・二というふうな数字を示している。こういう時点で、国鉄としては欠陥の多過ぎる車であるということが当然おわかりになったはずなんですね、八両の時点で。しかも四十三年六月には、山陰本線の湖山駅で機関単の推進軸が折れて脱線転覆事故を起こしている。この事故は御存じですね。

○説明員(藤田義人君) はい。

○内藤功君 そうして、その欠陥があって、それも克服されないままに四十四年以降、四十六年までにあと三十二両が導入をされたと、そうして四十両になった、こういう経過であります。その結果、全部耐用年数に満たないままで昨年までに廃棄処分ということになったわけです。これは欠陥が多過ぎるということを気づきながら、残りの三十二両を次々と導入していったと、ここのところに私は大きな原因がある。八両を入れて、八両が湖山駅の脱線転覆事故を含めて大きな事故を起こして、しかも百万キロ当たりの件数が非常に多くなってきている。この時点で私は国鉄として何らかのやはり対応措置をすべきなのに、漫然とここに入れていったと、ここに問題があると思うんですが、ずばりここらあたりのお考えをまず聞いておきたいです。

○説明員(藤田義人君) 先ほどDD五四を入れましてからの三年間の百万キロ故障を申し上げましたが、この数字以上に、その前、三十八年にDD五一は百万キロ当たり五三二件という数字が出ております。そのように車両、また設備等、初期故障というものがございまして、いわゆるそれからの使用条件に合った育て方をしていかなければならない。育て方といいますのは、いろいろといわゆる部品の強度のかかりぐあい等、そういう改造を進めるということが必要でございます。しかし、先ほど申しましたように、これはマイバッハのパテントを持った部分の、いわゆる主要なエンジン、コンバーター等に大きな問題が出てきたということで、これについても何とか日本の国土に合ったような、使用条件に合ったような改造をしようとする努力、また新しい車両でございますし、そういうことに対する運転の、先ほど言いました福知山機関区なり、また鷹取工場等でいろいろと技術の勉強をして努力しました。そういう結果、その後件数は若干減ってまいってきております。
 先ほど先生が御指摘の、次に廃帝に至る経緯でございますが、一時そういうふうにいろいろな努力の結果、件数は減ってまいってまいりましたが、一番大きな、先ほど来申しておりますエンジン、コンバーター等がいわゆるマイバッハのパテント等の問題がございまして、意のごとくいろいろと改善、改良ができません。そのために貨物列車、月に百八十本ないし百九十本の運休を出すに至る、このような非常に苦しい状況になりました。ほかの車両の開発傾向と違う、いま言いましたような非常な難点がございまして、百万キロ当たりの故障件数がその後またふえてきた、こういうような状況でございます。
 なお、御質問にございました四十三年六月の事故でございますが、これはいま言いましたエンジン、コンバーターの問題ではございませんで、いわゆる推進軸、プロペラシャフトの十字継ぎ手におきます故障がその事故に発展したということで、その前に気動車の技術もございますし、こういう面についてはいろいろと改良に対する努力を進めておりますが、エンジン、コンバーターというものについてはまた別の問題、非常にいわゆるディーゼル機関車の生命を決するところで非常に問題があったというのが技術的な状況でございます。

○内藤功君 私の方はいろいろ国鉄の技術関係の方の書かれたものなども調べてみました。おわかりと思いますが、たとえば上西尾源太郎という人がおります。これは本社運転局車務課にいた技術関係の方ですな。この人が一九七七年五月のある雑誌――「鉄道ファン」という雑誌です。これにこう書いているんですね。「往々にして発生した機関故障や車両故障が初期故障時から、なかなか収斂しきれなかった。」と、こういうことを言っております。
 それから永瀬和彦さん、これは車両設計事務所の主任技師をやっておられる方だと思います。永瀬さんは「国鉄ディーゼル機関車の歩み」という文献の中で「実用実績はあまり芳しいものでなく、機関や変速機のトラブルが相次ぎ、長期にわたりいろいろと対策を講じたが、事態は好転せず車両の半数以上が故障休車する事態が発生」をしたと。そして原因については、同氏は、「直接国鉄などの車両にたずさわる技術者が関与し苦労を重ねて開発した国産品でないため、欠陥故障部品の積極的な改良手段を講じようとしても、すべて当初の設計意図やノウハウを本国」――これはドイツですな、西ドイツです。「本国へ照会し、その指示を受けねばならず、これらに多くの手数を要し、必ずしも使用サイドの必要とする抜本的かつ適切な措置が講じられなかった」、以下続きますがね、こういうふうに述べておるんですね。
 まず質問は、これらの文献について当然御存じだと思いますが、またこれらの筆者についても御存じだと思いますが、これについて国鉄部内の技術者が言っていること、これは間違いないでしょうね。

○説明員(藤田義人君) 前段の西尾源太郎氏の述べておられる問題につきましては、いわゆる先ほどDD五四の初期故障、それからいわゆる故障の発生が少なくなった、減衰する状態、これとDD五一の初期故障の発生からそれが故障件数が少なくなっていく減衰の状況、これが違うところを述べているというふうに理解します。
 なお、永瀬氏の述べているところは、先ほど来私が申し上げておりますように、いわゆるマイバッハの問題からいろいろとその点の改良改善を進めるのに非常に苦労をしたと。たまたまDD五一の方の問題は、冒頭申しましたようにいわゆる主要幹線用の車両として二千二百馬力でございまして、ツーエンジンの二千二百馬力、DD五四はワンエンジンで千八百馬力でございます。そういう亜幹線用を何とか開発したいということでこのDD五四に取り組んできた。そういう経緯の中で、いま言われたお二人の方の印象がこのような文華になったというふうに理解します。

○内藤功君 結局、あなたの答弁、それからこのお二人の論述を私は総合して細かい技術論をここでやる余裕はありませんし、またその場でもないと思いますから、大きく見た場合に、これはエンジン、変速機などの車両としては一番大事な中心部分、その欠陥だと、そしてその欠陥が耐用年数十八年持ち切れなかったと、そこで廃車にしてしまったと、大変な経済的損失だと思うんですね。これは、国鉄としては売買契約の目的物たる商品あるいは製品について重大な瑕疵があるものだという前提に立って、メーカーである三菱重工に対して、これは公の立場である国鉄としては当然損害賠償請求の検討はなさったと思うし、これをやるいろんな用意はしたと思うんだが、そういうことはしたかどうか。それから実施したかどうか、その損害賠償の要求を。これ大事なところだと思うんです。大きなきずのある商品買わされているんですからね。これはどうですか。

○説明員(馬渡一眞君) 通常の場合で申し上げますと、車両につきましては、投入後の一年間、
  〔委員長退席、理事安恒良一君着席〕
これはもし故障等が出ました場合に瑕疵の補修ということで、現在でも一年間の、各メーカーにつきまして全部同じようにやっておるわけでございます。で、この場合に私どもといたしましては、実は今回この事件と申しますか、この事故に対しましては早く使える状態にするということを最も大事なことだというふうに考えまして、三菱重工業の方に特に故障を起こした部品の取りかえというようなことを、できるだけ早く部品が手に入りますような手段を講じてもらったり、あるいは技術者を現地に派遣をしてもらったりというようなことで、メーカー側と共同して改善をする努力というかっこうで、これの早く完全なものに仕上げる努力をその当時いたしたわけでございます。

○内藤功君 早く完全なものに仕上げる努力は努力として、しかし完全なものにならなかったわけなんです。そうすると、三菱重工は、メーカーの方は、最初からこれは十年でおしまいになっちゃいますよ、これは四年九カ月で中には廃棄になるのがあるかもしれませんよというようなことは言ってないはずだ。これはもうりっぱに国鉄として耐用年数は使えるものとして、その前提に立ってやった以上は完全にこれが直らない以上は、損害賠償の要求を考えるのは、これはユーザーとしては常識だと思うんです。そうすると、してなかったと、いろいろ言われましたけれども。要するに、そういう損害賠償の要求の検討はしたことはない、こういうことですね。

○説明員(馬渡一眞君) 損害賠償の要求をいたしておりません。

○内藤功君 その内部検討もしなかったと、こういうことですか。損害賠償要求をするかどうかの内部検討もしなかったということですか。
  〔理事安恒良一君退席、委員長着席〕

続く

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