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こんな時間に失礼します。
今日は仕事は休みではないのですが、夜からの仕事があるので、今はしばし休息タイムと言ったところです。
さて、JRでは車掌が自分の氏名を名乗ることには抵抗がなくなったようですが、この運動が始ったのは国鉄末期の昭和59年か60年頃だったでしょうか。
飛行機の場合、パイロットが氏名等を名乗っていることから、これを真似て全国的に定着していったと記憶しています。
当時は、車掌だけでなく運転士(機関士)の氏名も案内していましたが、飛行機と異なり途中で運転士(機関士)は交代するわけですから、あまり意味が無いなぁと・・・
そんななかで、実は阪和線に名物車掌がいたんですよね。
前にも書いたかもしれないですけど、ちょっと太めで丸いめがねをかけて、ネクタイはいつも蝶ネクタイ、これだけでも目立つのに、さらに案内がユニーク
通り一遍等のマニュアルどうりの喋りではなく、時にはアドリブを交えながらの放送は、車内で大爆笑、これが毎日通勤電車の中で聞けた人はかなりラッキーだったのではと思いますね。
でも、この方、JR化以降はパタンと姿を見せなくなってしまったのですけど、どこに行ったのでしょうね?
案外芸能界に転進していたりして。笑
今日は仕事は休みではないのですが、夜からの仕事があるので、今はしばし休息タイムと言ったところです。
さて、JRでは車掌が自分の氏名を名乗ることには抵抗がなくなったようですが、この運動が始ったのは国鉄末期の昭和59年か60年頃だったでしょうか。
飛行機の場合、パイロットが氏名等を名乗っていることから、これを真似て全国的に定着していったと記憶しています。
当時は、車掌だけでなく運転士(機関士)の氏名も案内していましたが、飛行機と異なり途中で運転士(機関士)は交代するわけですから、あまり意味が無いなぁと・・・
そんななかで、実は阪和線に名物車掌がいたんですよね。
前にも書いたかもしれないですけど、ちょっと太めで丸いめがねをかけて、ネクタイはいつも蝶ネクタイ、これだけでも目立つのに、さらに案内がユニーク
通り一遍等のマニュアルどうりの喋りではなく、時にはアドリブを交えながらの放送は、車内で大爆笑、これが毎日通勤電車の中で聞けた人はかなりラッキーだったのではと思いますね。
でも、この方、JR化以降はパタンと姿を見せなくなってしまったのですけど、どこに行ったのでしょうね?
案外芸能界に転進していたりして。笑
南海の馬鹿丁寧な車掌さんというのも、ちょっと一般客にはウザイと感じたかもしれませんが、きっと真面目な方だったんでしょうね。
でも、南海の社風には似合わないかも。失礼。
国鉄時代は、全てがおおらかでしたからね。
車掌しながら、レコードを出して歌手を兼業という方もいましたね、国鉄分割民営化時に辞めて歌手のみになったようですが・・・・
http://w3222.nsk.ne.jp/~i-toshi/
昭和60年頃に日根野発の快速を通学利用していましたが、その車掌でよく乗務されておられました。
残念ながら名前まで記憶にないですが。
良く、急に車掌室のドアが開いて「クーラー入れて欲しい人❗️」(5月頃の微妙な時期に)と聞いて来られるので、学生全員で手を挙げるのがお約束だったです。
平成頃まで見かけたような…すみません、うろ覚えです。
ああ、覚えて居られた方いましたか、とてもユニークな車掌さんであったことだけはよく覚えています。
ある意味あのような型破りな車掌さんとか、最近は見かねなくなりましたね。
しかし、
急に車掌室のドアが開いて「クーラー入れて欲しい人❗️」(5月頃の微妙な時期に)と聞いて来られるので、学生全員で手を挙げるのがお約束だったです。
この話は初めて聞きましたが、楽しいですね。
面白い話を聞かせていただきありがとうございました。