国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

テールライトの話 第3話 「特急 まつかぜ」の受難 昭和36年10月1日

2015-10-25 12:19:35 | 国鉄思いで夜話

みなさまこんにちは、今日もテールライトのお話をさせていただこうと思います。

今日は鉄道ピクトリアルの記事にも載っていますが、「特急まつかぜ」の車軸発熱事故の記事から。
昭和36年10月1日、前年の「はつかり」の失敗に懲りた国鉄が満を持して登場させたキハ82、約1か月に渡る走り込みで万全を期したはずなのですが・・・。
実際にこの1か月間で初期故障は多発、試運転で帰ってくると動かないエンジンが何台かあるのは当たりまえと言う状況だったらしいです。

しかし、運命の女神は皮肉で処女運転の「まつかぜ」には厳しい目を向けたようです。

というのは、福知山駅を出発しようとした「まつかぜ」が最後尾車両が車軸の発熱事故をおこしたとかで、福知山で切り離しの憂き目に、車内では電源ユニットが半分になったので食堂車が使えず、一部の車両は冷房も使えないということで、夏場でなかったのが不幸中の幸いかと言えますが、この時の松江まで走った「まつかぜ」の写真が、ピクトリアル12月号から引用させてもらったこの写真

松江駅に到着した、「特急 まつかぜ」

白黒なので見にくいですが、両方に赤色円盤付きの尾灯が設けられています。

なお、尾灯は2灯が基本であり、ローカル線などでは例外的に1灯のみと言う例がありました。
同じ区間に2本以上の列車が走らない場合は例外的に1灯が認められていたそうで、行き止まりのローカル列車などが該当します。

その辺は細かく規定が定められていたようですね。

なお、当時の「運転取扱規定」を見てみますと、標識(尾灯が点灯しているか否かはきちんと確認して報告する義務があったようです。

> (列車不備の取扱い)
>
> 第230条 後部標識不備のため、その列車の停止後、後部標識を整備できなかった停車場の駅長は、列車を出発させた後、直ちにその旨を次の整備できる停車場の駅長に通知しなけければならない。
>
> 2項 前部標識を2個以上使用している列車で、その一部が点燈しておれば不備の取扱いをしないことができる。

参考 弊ページ国鉄があった時代から引用

上記に書かれていますが、「後部標識を整備できなかった停車場の駅長は、列車を出発させた後、直ちにその旨を次の整備できる停車場の駅長に通知しなけければならない。」とあるように標識が消えている場合などを発見したときは速やかに次の駅長に連絡する義務を負っていたようですね。

なお、前述の「特急まつかぜ」ですが、先頭車を方向転換の上最後尾の車両は急行用車両キハ28を連結、豊岡で応急修理を施した、事故車両と取替て京都までたどり着いたそうです。(翌日と書いていましたが、当日折り返しの誤りでしたので、訂正させていただきました)

キハ28が先頭車にならなかったのは制御系の関係だと思われます。キハ28は汎用性を持たせて24Vの制御電源、キハ82は、100Vだったそうですので、ぶら下がりの方式になったもののようです。(追記・修正 2020/2/4)


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