学割とは別に、勤労者割引なるものがあった。
国鉄時代から、学生割引というものがあるのは皆さんよくご存じだと思います。
ウィキペディアを参照しますと、下記のように概要が書かれています。
指定した学校の学生・生徒が、旅客鉄道株式会社各社(JRグループ)の鉄道と、JRバスグループ各社の一部の高速バス路線の乗車券購入時に窓口に学割証を提出し、かつ学生証を提示すると、片道の営業キロが101km以上の区間を乗車する際の片道乗車券・往復乗車券・該当する連続乗車券の券片が2割引となる。
私自身は、就職するまでは、父親が国鉄職員でしたので、もっぱら家族割引を利用しており、学割とは縁がなかったのですが、国鉄民営化を前にして、こうした割引制度も廃止になり、昭和61年、郵政省の中等部訓練で初めて学割なるものを使ったことがあります。
郵政省の中等部訓練は、学校教育法の学校に相当するらしくて、短大卒業程度の学力を付与することを目的として居たようです。
さて、本題に戻りますが、今回のお話は、学割に該当しない勤労青年向けに学割ならぬ勤労青年割引が導入されたという記事です。
詳細は、今後サイトにも書き加えていこうと思いますが、学生には割引があって、勤労青年には割引がないのは不公平ではないかと言うことで,昭和41年7月15日から設けられた制度で、勤労青少年旅客運賃割引規程及び同取扱手続制定 が7月9日付で制定されています。
昭和41年,国鉄があった時代から
国鉄があった時代昭和41年後半
国鉄があった時代、昭和41年後半編一部抜粋
割引制度の概要
少し長いですが、当時の概要を記録した、資料がありましたので,引用させていただきます。
事業所の,代表者の発行する勤労青少年身分証明書の交付を受けておき、勤労青少年が帰郷旅行する際は、事業所の代表者が旅客運賃割引証交付申請書を労働基準監督署長に提出して、割引証の交付を受けることとなる。
この場合、前記身分証明書は、旅客運賃割引証交付申請書提出の際に提示しなければならないことになっている。
旅客運賃割引証は、国鉄で作製し、労働省を通じて労働基準監督署または婦人少年室に配付するが、その種類は、お盆帰省用の第一一種と年末年始帰省用の第二種となっており、第一一種は七月十日(本年に限り七月十五日)から八月二十日まで、第二種は、十二月十五日から翌年一月二十五日までのいずれも40日間に限り使用できることとなっており、交付枚数は、勤労青少年一人について、第一種及び第二種各一枚である。また、この割引証によって、乗車券を購求する際に、身分証明書の提示が必要なのは、学生割引普通乗車券の場合と同様である。
勤労青少年の帰郷旅行は、一般に帰郷地において、数日間以上滞在することが考えられることおよびこの割引証によって購求する乗車券は、往路用と復路用を一括して発売していることにかんがみ、割引乗車券の通用期間は、規則所定で計算して一四日間にみたないものについては、一四日とする特例措置が講じられている。
国鉄線 昭和41年8月号から引用
以上の通りであり、これに対して世論は一応に歓迎の意向を示していました。再び、国鉄線の記事から引用してみたいと思います。
世論の声は中々厳しかったが
下記は当時の記事をそのままスキャンしたものですが、手続きが面倒だと文句を言う人もいるようですが、こうしたクレームはどんな場合でも、有るわけでまぁ、こういった人に限って利用はしないと思うのだがいかがであろうか。
もちろん、制度の導入よりもむしろ学割の制度を見直すべきではないかという意見もあるが、世論の声として、勤労者割引で実家に帰れると喜んでいる人が居るという記事はそれなりに国鉄に取っても救われることではないだろうか、と結んでいます。
ちなみに、この勤労青少年旅客運賃割引規程は、2003年まで存続していたようです。
「勤労青少年旅客運賃割引制度」の廃止について
勤労青少年旅客運賃制度は、勤労青少年の帰省の便を図る目的で、昭和41年に勤労青少年の福祉向上を図る取組みの一環として設けられたものですが、勤労青少年の減少、近年の交通手段の多様化等により、利用実績もごく僅かとなり、所期の使命を終えるに至りました。
制度があったと言う事実だけは知って置いて欲しい
こうした制度等は、車両の話などと比べると地味ですが、まだまだ日本が経済的に貧しかった頃、それを支えてくれたのは、我々の先輩でした。
そして、国鉄もそれに対して、応えようとしたということは知って置いて欲しいと思うのです。
なお、この制度が導入された、昭和41(1966)年頃は、中学卒業で就職する人も多く、集団就職列車も数多く運転されていました。
当時の資料などを参照しますと、就職する中高校生を対象に、北海道・東北・新潟・山陰・四国・中国・九州の各地から,東京、名古屋、大阪へ向けて約100本の集団就職列車を運転することとしたと書かれています。
当時の大学進学率は21%程度であり、多くは高校を卒業すると働き出す、場合によっては中学を卒業して働き出す子供も多かったのでした。
現在では半数以上の人が大学に進学することを考えると隔世の感があります。
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