寝台電車物語
今日は、寝台電車のお話をしてみたいと思います。
寝台電車と言えば、皆さん何を思い浮かべますか?
やはり、サンライズでしょうか。
東京~出雲市、高松を結ぶJR西日本の寝台電車を思い浮かべる方も多いでしょうネ。
他にはありますか?
新幹線の寝台・・・そんなマニアックなことを知っているあなたはきっと鉄道オタクですね。
え、違うの?勝手に言ってみただけ。
でも、実際に山陽新幹線では東京~博多間で寝台専用新幹線が計画された時期もあったんですよね。
でも、今日のお話は、世界初の寝台電車についてのお話をしてみようと思っているんです。
今でも、「急行・きたぐに」などで使われる583系【581系】寝台電車は、誕生から既に40年、人間なら既に引退していてもおかしくないのですが何ゆえか今も現役で頑張っていますよね。西日本では・・・・。
さて、この583系という電車何が凄かったと言えばまず昼も夜も働けるリゲ○ンをいつも飲んでるのではないかと思えるような電車でしたよね。
朝出たら。その日夜を徹して帰ってきて、次の日にまた出かけるという大変親孝行な息子で、孫のサンちゃんみたいに昼間は家でゴロゴロしていると言うことはありませんでした。
583系寝台電車は、国鉄の救世主として昼も夜も運転することを運命付けられた電車だったのですね。
でも、この電車の最も大きな特徴は、広い下段と、カーテンの代わりに取り付けられた回転式のブラインド、そしてマジックのように収納される、中段寝台でしょうか。
一つづつ見ていきますと。
まず最初に目立つのが、4人がけのボックスシート。
特急で4人向かい合わせは嫌と言う声が多かったのですが、シートピッチが広く、車重も重かったので乗り心地は普通の特急より良かったかもしれません。
ちなみに、この下段はシートを前に引き出すと背もたれがずれて、ベッドになるように出来ており、その長さは190cm横幅は105cmあったと言われており、これは当時のA寝台よりも広くて、話題になったものでした。
私も一度だけ利用したことがありますが、天井につかえる圧迫感はあるものの、広さは抜群で、大人二人でも充分?なスペースがありました。っていってもそんなことしてませんからね。
さらに、窓に取り付けられた青色のブラインド、ハンドル操作で上下に動き、回し方によりブラインドが光を通したり通さなかったり出来るそんな工夫もなされていました。
このブラインドは、当時大変珍しかったらしくてニュース番組でも取り上げられており、チラッとだけですけどテレビで見た記憶がありました。
この、ブラインド、量産車としては初めての試みでしたが、実は、寝台電車で採用する前に食堂車に導入されていたのです。
それは、昭和41年に特急「あずさ」を設定する際に製造された食堂車(サシ181-100代)に採用されたのが最初でした。
何分試作的要素が強く僅か3両の製造に留まったため、あまり知られることはなかったようです。
そして、中段寝台の収納
これは、もう熟練工でなければ出来ないのではないかと思うくらい込み入った構造をしていました。
1.最初に上段寝台を収納
2.次に、荷物棚を通路側に倒して、その間に出来る空間に中段寝台を通して、上段寝台を囲うようにして天井に止め金具で固定させる
言葉で書けば簡単ですが、これを毎日14回程度繰り返すわけですから作業は大変だったと聞いています。
おっと、気が付くともうこんな時間、中途半端だけどまた続きはあとでね。
今日は、寝台電車のお話をしてみたいと思います。
寝台電車と言えば、皆さん何を思い浮かべますか?
やはり、サンライズでしょうか。
東京~出雲市、高松を結ぶJR西日本の寝台電車を思い浮かべる方も多いでしょうネ。
他にはありますか?
新幹線の寝台・・・そんなマニアックなことを知っているあなたはきっと鉄道オタクですね。
え、違うの?勝手に言ってみただけ。
でも、実際に山陽新幹線では東京~博多間で寝台専用新幹線が計画された時期もあったんですよね。
でも、今日のお話は、世界初の寝台電車についてのお話をしてみようと思っているんです。
今でも、「急行・きたぐに」などで使われる583系【581系】寝台電車は、誕生から既に40年、人間なら既に引退していてもおかしくないのですが何ゆえか今も現役で頑張っていますよね。西日本では・・・・。
さて、この583系という電車何が凄かったと言えばまず昼も夜も働けるリゲ○ンをいつも飲んでるのではないかと思えるような電車でしたよね。
朝出たら。その日夜を徹して帰ってきて、次の日にまた出かけるという大変親孝行な息子で、孫のサンちゃんみたいに昼間は家でゴロゴロしていると言うことはありませんでした。
583系寝台電車は、国鉄の救世主として昼も夜も運転することを運命付けられた電車だったのですね。
でも、この電車の最も大きな特徴は、広い下段と、カーテンの代わりに取り付けられた回転式のブラインド、そしてマジックのように収納される、中段寝台でしょうか。
一つづつ見ていきますと。
まず最初に目立つのが、4人がけのボックスシート。
特急で4人向かい合わせは嫌と言う声が多かったのですが、シートピッチが広く、車重も重かったので乗り心地は普通の特急より良かったかもしれません。
ちなみに、この下段はシートを前に引き出すと背もたれがずれて、ベッドになるように出来ており、その長さは190cm横幅は105cmあったと言われており、これは当時のA寝台よりも広くて、話題になったものでした。
私も一度だけ利用したことがありますが、天井につかえる圧迫感はあるものの、広さは抜群で、大人二人でも充分?なスペースがありました。っていってもそんなことしてませんからね。
さらに、窓に取り付けられた青色のブラインド、ハンドル操作で上下に動き、回し方によりブラインドが光を通したり通さなかったり出来るそんな工夫もなされていました。
このブラインドは、当時大変珍しかったらしくてニュース番組でも取り上げられており、チラッとだけですけどテレビで見た記憶がありました。
この、ブラインド、量産車としては初めての試みでしたが、実は、寝台電車で採用する前に食堂車に導入されていたのです。
それは、昭和41年に特急「あずさ」を設定する際に製造された食堂車(サシ181-100代)に採用されたのが最初でした。
何分試作的要素が強く僅か3両の製造に留まったため、あまり知られることはなかったようです。
そして、中段寝台の収納
これは、もう熟練工でなければ出来ないのではないかと思うくらい込み入った構造をしていました。
1.最初に上段寝台を収納
2.次に、荷物棚を通路側に倒して、その間に出来る空間に中段寝台を通して、上段寝台を囲うようにして天井に止め金具で固定させる
言葉で書けば簡単ですが、これを毎日14回程度繰り返すわけですから作業は大変だったと聞いています。
おっと、気が付くともうこんな時間、中途半端だけどまた続きはあとでね。
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