この年は年号が変わり平成となった。
わしも地元でアルバイトをしながら、日本大学の通信教育部に入学する。東京の本学で行われるスクーリング(面接授業)は経済学と生物学を受けた。その期間は丁度美里さんの西武球場と千里さんの納涼千里天国だったので見に行くのを前提に授業を決めたのである。西武球場は、丁度休校日であった。東京で知人にあった時「ぴあ」を渡されて
「西武球場までどう行くか調べてみたら?」
と、言われた。
わしはそこまで考えていなかった。単純に「西武球場」行きってのがどこからか出ているはずだと思っていたが、一人で行ったのでその道は険しかった。
一旦新宿に出てから西武球場に向かった。各駅停車だけではなく、急行や準急などがあることを知り、特別な料金を払わなくてはならないと思っていた。懐が寂しかったわしは各駅停車に乗ってしまった。結局、会場入りしたのは開演してからになった。今考えるともっと早く出来たはずなのにな。
パンフレットを購入し、会場に入るとライブは始まっていた。その時に流れていたのは
「センチメンタルカンガルー」だった。
座席に向かう足取りが軽やかになっているのを感じた。そして西武球場のライブが始まった。豆粒しか見えない距離だったけれども、生で美里さんの曲が聴けて感激した。
「NEWS」の間奏で思いっきりジャンプをするわしであった。
「一瞬の夏」では隣にいた人が突然笑い出した。美里さんの母校の人がいて
「ピアノ室ってあそこのことだよね。」
と、話していた。
最初は「初めての人~」と、美里さんが声をかける。大きく返事をするわしであった。
「二回目の人」「三回目の人」「そして四回の人!」と、だんだん声が大きくなっていく。この頃ならできるけど、最近では
「初めての人~」や「皆勤賞の人~」
と、だけ聞いて
「これ以上聞くとニ曲ぐらい出来ちゃうから。」
と、いって止めてしまうんだよね。まさか、本人もここまで続くとは思っても見なかったんじゃないかな?
MCで印象に残っているのは
「髪の毛を染めようと思っているんだけど、何色にしようかな。ピンクがいいかな~。明日もあるからそれまで考えておく。」
と、話してました。どんな按配なのか見てみたかった。実際は翌日講義もあるし、チケット代もないし、いけなかったけど気になりました。
セットはニューヨークの建物が立ち並んでいるようなものだった。この「Flower Bed」というアルバムを聴いていつかはニューヨークに行きたいと思った。「冷たいミルク」と、いう曲を生で聴きながら、強くそうおもった。残念ながら、まだその目標は達していない。
「パイナップルロマンス」は躍動感があり、今でもこの曲を聴くと勇気をもらうような感じがする。「愛する事は間違いじゃない」と。
最後の「パ・イ・ナ・ッ・プ・ル!」を聞いた時に小さいときに階段を駆け上がっていったのを思い出した。
アンコールの「恋したっていいじゃない」では岡村靖幸さんが登場。ハイキックを見せて度肝を抜いた。美里さんは西武のユニフォーム、スイカの浮き輪、パイナップルの鍋つかみを身にまとい歌ったのも覚えている。最後には「すき」を歌いココロがあたたまりました。
帰りに雨が降り始める。
「明日、ライブ出来るのかな~。」
と、電車の窓に雨があたるのを見ながら思った。
翌日に「嵐の西武」になり、初めて中断するなんて思いも寄らなかった。翌週の「スーパーギャング」では美里さんが泣き崩れてしまった。友達がこのライブに参加していたのだが、
「あの時は電車が来なかったから、球場の外でみんなで合唱した。でも、またそれがよかったんだよね~。」
と、話していた。参加すればよかったな。
くしくも、その翌日行われた「納涼千里天国」は悔しいくらいの快晴であった。
密かに「大学の在籍中には必ず西武に行くぞ!」と、決めた。
わしも地元でアルバイトをしながら、日本大学の通信教育部に入学する。東京の本学で行われるスクーリング(面接授業)は経済学と生物学を受けた。その期間は丁度美里さんの西武球場と千里さんの納涼千里天国だったので見に行くのを前提に授業を決めたのである。西武球場は、丁度休校日であった。東京で知人にあった時「ぴあ」を渡されて
「西武球場までどう行くか調べてみたら?」
と、言われた。
わしはそこまで考えていなかった。単純に「西武球場」行きってのがどこからか出ているはずだと思っていたが、一人で行ったのでその道は険しかった。
一旦新宿に出てから西武球場に向かった。各駅停車だけではなく、急行や準急などがあることを知り、特別な料金を払わなくてはならないと思っていた。懐が寂しかったわしは各駅停車に乗ってしまった。結局、会場入りしたのは開演してからになった。今考えるともっと早く出来たはずなのにな。
パンフレットを購入し、会場に入るとライブは始まっていた。その時に流れていたのは
「センチメンタルカンガルー」だった。
座席に向かう足取りが軽やかになっているのを感じた。そして西武球場のライブが始まった。豆粒しか見えない距離だったけれども、生で美里さんの曲が聴けて感激した。
「NEWS」の間奏で思いっきりジャンプをするわしであった。
「一瞬の夏」では隣にいた人が突然笑い出した。美里さんの母校の人がいて
「ピアノ室ってあそこのことだよね。」
と、話していた。
最初は「初めての人~」と、美里さんが声をかける。大きく返事をするわしであった。
「二回目の人」「三回目の人」「そして四回の人!」と、だんだん声が大きくなっていく。この頃ならできるけど、最近では
「初めての人~」や「皆勤賞の人~」
と、だけ聞いて
「これ以上聞くとニ曲ぐらい出来ちゃうから。」
と、いって止めてしまうんだよね。まさか、本人もここまで続くとは思っても見なかったんじゃないかな?
MCで印象に残っているのは
「髪の毛を染めようと思っているんだけど、何色にしようかな。ピンクがいいかな~。明日もあるからそれまで考えておく。」
と、話してました。どんな按配なのか見てみたかった。実際は翌日講義もあるし、チケット代もないし、いけなかったけど気になりました。
セットはニューヨークの建物が立ち並んでいるようなものだった。この「Flower Bed」というアルバムを聴いていつかはニューヨークに行きたいと思った。「冷たいミルク」と、いう曲を生で聴きながら、強くそうおもった。残念ながら、まだその目標は達していない。
「パイナップルロマンス」は躍動感があり、今でもこの曲を聴くと勇気をもらうような感じがする。「愛する事は間違いじゃない」と。
最後の「パ・イ・ナ・ッ・プ・ル!」を聞いた時に小さいときに階段を駆け上がっていったのを思い出した。
アンコールの「恋したっていいじゃない」では岡村靖幸さんが登場。ハイキックを見せて度肝を抜いた。美里さんは西武のユニフォーム、スイカの浮き輪、パイナップルの鍋つかみを身にまとい歌ったのも覚えている。最後には「すき」を歌いココロがあたたまりました。
帰りに雨が降り始める。
「明日、ライブ出来るのかな~。」
と、電車の窓に雨があたるのを見ながら思った。
翌日に「嵐の西武」になり、初めて中断するなんて思いも寄らなかった。翌週の「スーパーギャング」では美里さんが泣き崩れてしまった。友達がこのライブに参加していたのだが、
「あの時は電車が来なかったから、球場の外でみんなで合唱した。でも、またそれがよかったんだよね~。」
と、話していた。参加すればよかったな。
くしくも、その翌日行われた「納涼千里天国」は悔しいくらいの快晴であった。
密かに「大学の在籍中には必ず西武に行くぞ!」と、決めた。
美里のファンじゃない人も
「雨で中止になったとき、あったよね?」
とか言いますよね。
2日とも行きましたが、2日目はグラウンド5列目くらいで、
美里がとても近かっただけに、途中で終わったのは残念でしたが、
いまとなってはいい思い出になっているので、
それはそれでよかったかなと。
それにホントにすごい雨だったので、
最後まで続けてほしいという気持ちもあった反面、
あのまま続けられたらつらかった、という気持ちも。
この年印象に残った曲は
「パイナップルロマンス」と「好き」
ですね。
※このころは超満員の割に、ファンクラブが取ってくれる
座席がいい席だったんですが、
最近は観客動員の割に、席があんまりよくないんですよねー。
きっとのじさんなら、大阪の球場ぐらいは制覇していたんじゃないかなと思っていましたがⅤ8からなんだね。
Ⅴ10のパンフレットなどを参考にしながらまとめています。曲は一切聴いていません。集中しないとブログが作れませんから・・・。
それでは~
「嵐の西武」はみんな強烈な印象を持っていますね。屋根のない頃は「雨が降ってもやるの?」と、聞かれました。快晴で終わるってのがあまりなかったような気がします。でもそれも素敵な演出だった。
二日目の席はとてもよかったのですね。雨にぬれているけれど、映像を通して湯気が立っているのが印象的でした。
「一番歌いたいのは私なんだけど、分かってくれる?」
って、いう言葉をきいて涙が止まらなかった。
わしはFC入会したのは94年ぐらいだったのですが年毎に「スタンド」 「アリーナ」って交互になりました。しかし、最近ではスタンドが多いですね。西武で一番よい席はアリーナの10列目ぐらいでしょうか?去年とあまり変わらなかった年もありました。
では~。