うつからの脱出 

日々の徒然なる思い、その他興味あることを書いています。

悔恨の日々

2005-11-14 22:58:27 | こころ
年を重ねるにつれて、将来の可能性についての希望が萎んでしまう。

学生の頃はつまらない日常を悲観しては、きっと未来にはいいことがあるだろうなんて考えたりしてもいた。

でも期待は落胆に変わっていった。

振り返るとそこには懐かしく、甘い思い出が刻まれている。

幸せは今感じるものではなく、後からこみ上げてくるものかもしれない。

(長いです。)

2005-11-14 05:24:16 | こころ
孤独を感じる時間。

ちょっとだけ自分語りをお許しください。

俺は3人兄弟の末っ子。
一番上の兄と姉からは、少し年が離れている。
俺が小学校のとき、兄と姉は既に高校生だった。
そのとき父の勤めている会社はまだ順風満帆で、それぞれ自分の進路を決めて旅立っていった。

その後、景気が悪化し、父は会社を辞め、トラックドライバーとして家計を支えることになる。
父は一生懸命働いていたが、生活はそれほど楽ではなかった。

やがて俺は中学に入り、兄は大学卒業後、設計事務所で船舶の設計をすることになった。

俺は勉強は人並みに出来た。
まだ、将来何になるとか決められず、普通の高校に入って、いろんな知識を吸収しながらゆっくりと何の職業につきたいか、先延ばしにして、普通の高校生生活を送りたかったのかもしれない。

でも現状はそんなに甘くはなかった。
進路は父の勧めで高専を受験することになった。
普通の大学に進学するつもりだった俺には、衝撃的な出来事だった。
台所の事情で、末っ子の俺には大学に進学させるための教育費を捻出する余裕がなかったんだろうなと思った。

最後の抵抗で、一番倍率の厳しい学科を希望して受験した。
心のどこかで落ちれば、普通の高校に入れてもらえると思っていたのかもしれない。

結果は合格していた。
父の選んだ人生コースを走り始めることになる。
その頃の父はとても大きく感じられ、俺がどうあがいても何も変えることはできないと感じていた。

高専ではエンジニア・ジェントルマンになるべく教育されていった。
しかし、こころのどこかで俺は文系の方が向いているんではないかと思うことがしばしばあった。

この辺から、決められたコースに反発する爆弾が仕掛けられていたのかもしれない。

越えられない父の存在は内向的な俺にとっては、絶対権力のように思えた。
兄は夢が叶い、好きな人生を歩み始めて羨望の眼差しで、見るようになっていた。

疲れたので、今日はこの辺で筆を置きます。