先日、ある人と話して、「人はどのように動物を見てきたのか」、歴史を通して思い出す機会がありました
人の動物に対する考え方は、国や地方によって大きく異なり、それは自然環境や宗教、文化によって形成されます
そしてそれは、時代によっても大きく異なり、今日のグローバル化した世界にあっても、伝統的なものの考え方が色濃く残っていて、動物に関する考え方に、無意識のうちに現れていたりすることがあります
日本には日本独自の動物に対する考え方がありましたが、明治以降に、西欧の影響下で大きく変化し、さらに今日では社会思想の変化の中で、動物に対する考え方も多様になっています
東洋と西洋では、動物についての見方や考え方が、どのように違っていて、どう変わっていったのか、まとめてみました
日本人の動物観
輪廻転生の考え方
西暦538年に仏教が伝来して、日本人の動物観は、強く仏教の影響を受けました。
古代インドに起源を持つ仏教やヒンズー教、ジャイナ教など、東洋の宗教には、共通して霊魂不滅や輪廻転生の思想があります。
仏教の輪廻転生では、命あるものの肉体は滅んでも魂は別の肉体に移って車輪が回るように果てしなく連続して生死を重ねていきます。この連続には因果応報の関係があり、前世の業によって現世に生を受け、現世の業によって来世に生を受けます。人も現世における業と煩悩の結果として、地獄、餓鬼、畜生などの世界に堕ちることも避けられず、動物と人は共通の魂を持っていて、人と動物の間には、連続性があると考えます。
日本昔話には、僧に化けたタヌキや美女に化けたツルなど、動物が人に化ける話が多く、動物は人と同格とされてきました。
これに対して西洋では、動物が人に化ける話はほとんどありません。逆に人が魔法で動物に姿を変えられる話は沢山ありますが、それは人が貶められ、堕落させられたのであって、動物と人が同格ということはなく、動物と人の間には、越えることのできない壁があり、人の動物に対する優位性は動かし難いものがあります。そして西洋では人と動物の間に連続性はなく、(魔法だったり、真似だったりするだけで)動物が人に変わるという話はほとんどありません。
また、仏教には全ての生き物を殺してはならないという戒律、不殺生戒があります。
四国巡礼のお遍路さんは、杖を持ち、鈴を鳴らして歩いています。間違って動物を踏みつけないためだと言われています。
仏教は、農耕民族である日本人によく根付き、動物自体を命あるものとして道徳的に扱うようになりました。
675年に天武天皇が、「天武の勅令」で牛や馬、犬や猿などの肉を食べることを禁止して以来、1857年の徳川幕府による「牛馬堵殺禁止令」に至るまで、動物を殺したり、食べたりする事を禁ずる命令や、動物をいたわることを命じた法律や命令が、天皇や将軍などによって何度も出されました。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」は、一つの法令をいうのではなく、その一連の法や措置をいいます。生類とは、人、牛、馬をはじめとする動物類を指します。
ところが明治維新後の西洋文化の流入により、肉食の習慣が定着し、日本人の伝統的な動物観は、大きく変わりました。しかし、日本人は農耕民族であったため、また動物虐待の歴史を経験してなかったため、衣食住全てに動物と関わりが深い狩猟民族であった西洋人から生み出された哲学的な考え方は形成されませんでした。
次回は、西洋人の動物観について続きをアップしたいと思います
参考文献:愛玩動物飼養管理士2-1
人の動物に対する考え方は、国や地方によって大きく異なり、それは自然環境や宗教、文化によって形成されます
そしてそれは、時代によっても大きく異なり、今日のグローバル化した世界にあっても、伝統的なものの考え方が色濃く残っていて、動物に関する考え方に、無意識のうちに現れていたりすることがあります
日本には日本独自の動物に対する考え方がありましたが、明治以降に、西欧の影響下で大きく変化し、さらに今日では社会思想の変化の中で、動物に対する考え方も多様になっています
東洋と西洋では、動物についての見方や考え方が、どのように違っていて、どう変わっていったのか、まとめてみました
日本人の動物観
輪廻転生の考え方
西暦538年に仏教が伝来して、日本人の動物観は、強く仏教の影響を受けました。
古代インドに起源を持つ仏教やヒンズー教、ジャイナ教など、東洋の宗教には、共通して霊魂不滅や輪廻転生の思想があります。
仏教の輪廻転生では、命あるものの肉体は滅んでも魂は別の肉体に移って車輪が回るように果てしなく連続して生死を重ねていきます。この連続には因果応報の関係があり、前世の業によって現世に生を受け、現世の業によって来世に生を受けます。人も現世における業と煩悩の結果として、地獄、餓鬼、畜生などの世界に堕ちることも避けられず、動物と人は共通の魂を持っていて、人と動物の間には、連続性があると考えます。
日本昔話には、僧に化けたタヌキや美女に化けたツルなど、動物が人に化ける話が多く、動物は人と同格とされてきました。
これに対して西洋では、動物が人に化ける話はほとんどありません。逆に人が魔法で動物に姿を変えられる話は沢山ありますが、それは人が貶められ、堕落させられたのであって、動物と人が同格ということはなく、動物と人の間には、越えることのできない壁があり、人の動物に対する優位性は動かし難いものがあります。そして西洋では人と動物の間に連続性はなく、(魔法だったり、真似だったりするだけで)動物が人に変わるという話はほとんどありません。
また、仏教には全ての生き物を殺してはならないという戒律、不殺生戒があります。
四国巡礼のお遍路さんは、杖を持ち、鈴を鳴らして歩いています。間違って動物を踏みつけないためだと言われています。
仏教は、農耕民族である日本人によく根付き、動物自体を命あるものとして道徳的に扱うようになりました。
675年に天武天皇が、「天武の勅令」で牛や馬、犬や猿などの肉を食べることを禁止して以来、1857年の徳川幕府による「牛馬堵殺禁止令」に至るまで、動物を殺したり、食べたりする事を禁ずる命令や、動物をいたわることを命じた法律や命令が、天皇や将軍などによって何度も出されました。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」は、一つの法令をいうのではなく、その一連の法や措置をいいます。生類とは、人、牛、馬をはじめとする動物類を指します。
ところが明治維新後の西洋文化の流入により、肉食の習慣が定着し、日本人の伝統的な動物観は、大きく変わりました。しかし、日本人は農耕民族であったため、また動物虐待の歴史を経験してなかったため、衣食住全てに動物と関わりが深い狩猟民族であった西洋人から生み出された哲学的な考え方は形成されませんでした。
次回は、西洋人の動物観について続きをアップしたいと思います
参考文献:愛玩動物飼養管理士2-1