福岡のペットシッター・BM WAlking日誌

お仕事の様子やふと思った事、伝えたい事、真面目な話も、あれれ?・・な話も何でも発信していきます。よろしくお願いしま~す!

コーヒー1杯のコラム。 動物観の歴史 その2

2012-01-30 | 日記
西洋人の動物観

西洋文明の基礎には二つの主要な思想、ヘブライ思想ギリシア思想があります。この二つの思想をもとに形成されてきました。

人間支配の動物観~神は人に動物を支配させた

西洋文明の基礎の一つであるヘブライ思想は、人間が動物を支配することをはっきりと認めています。
旧約聖書の『創世記』には、神は魚や鳥、地上の全ての動物を創った後、神の形に似せて人間を創り、「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物全てを支配せよ」と言われたことや、大洪水の後に、神は、ノアとその子どもたちを祝福して、「全ての生きて動くものは、あなたたちの食料にするが良い」と言われ、人間に動物を食べることを許したことが書かれています。
遊牧時代のユダヤ民族の主な食物は、羊でしたが、神の創られた羊を食べるのも神の許しが必要でしたが、神が許されたので、動物の肉を食べることが正当化されたのです。この旧約聖書の動物観はキリスト教に受け継がれており、しばしば肉食文化の理由とされることがあります。


人間優位の動物観~人は理性的な存在で動物より有利である

ギリシア哲学者アリストテレスは「動物は理性がないから人間に利用されるために存在する。自然は動物を人間のためにつくった」と言いました。(人間優位の動物観)
アリストテレスは理性を最高原理として、階層構造を作りました。人は理性を持っているので自然の序列の頂点とし、動物は理性がないので人の下とし、運動能力や知覚もない植物は動物のさらに下に置きました。そしてアリストテレスは「理性に優れた者が劣っているものを支配するのが自然で都合がよい。理性的に劣ったものは優れたもののために存在する。植物は動物のために、動物は人の労役と食物を提供するために存在する」と言いました。

このようなアリストテレスの人間優位の動物観と、旧約聖書の動物観が西洋の動物の基礎になってますが、さらにこの二つを融合して西洋文明の中に深く定着させた人が、トマス・アクィナスという神学者です。アクィナスはアリストテレスの哲学とキリスト教思想を調和させようとした神学者で知られています。『神学大全』という書物の中で、「不完全なものは完全なもののために存在するのが自然の秩序である。神の意思により、自然の秩序の中で動物は人間が利用するために存在する。それゆえ、人間が食べるために動物を殺しても、また、どのように利用しても神の法に反しない。・・・」と言っています。

この主張がローマ・カトリック教会の正式見解となり、20世紀に至るまでキリスト教世界ではゆるぎない権威を保っていました。


動物機械論~動物は自動機械にすぎない

アリストテレスに次いで、人間が動物を利用することを正当化し、さらに動物の地位を徹底的に貶めたのは、近代哲学の祖と言われるデカルトです。
彼は「動物は自動機械である」と言いました。動物は理性、つまり思考する能力がないので、自動機械であると言いました。
どうして動物を理性がないといえるのか、それは言語を持ってないからであり、理性がないということは、心がない、心がないから意識がない、意識がないから感覚もない。感覚もないから痛みを感じない。焼けたコテを当てられたり、刃物で切り付けられれば、動物は身をよじったり悲鳴を上げるが、それは蝶番が音を立てるのと同じでそれ以上のものではない。これがデカルトの動物機械論です。
この考えは方は、当時の科学、生理学にとってはとても都合のいい考え方でした。その頃、生きた動物を使う化学実験が盛んに行われていました。まだ麻酔薬などもありません。動物の痛みや苦しみは、どんなに大きかったことでしょう。動物は、痛みを感じないという主張は動物実験をする人の良心の呵責を和らげるのに大いに役立ちました。
勿論、そのように考える人ばかりではありませんでしたが、動物の生体解剖は一部の人の間で行われ、一般の人の目には触れませんし、多くの人は動物の事を意識的に考えることもありませんでしたので、動物実験に反対する人も居ましたが、社会の主流の思想として確立することはありませんでした。


功利主義的動物感~動物も痛みを感じる存在である

18世紀末、イギリスにこれまでと違った動物観を唱える人が出てきました。ジェレミー・ベンサムという哲学者です。
「正しい行為とはこの世の中にできるだけ多くの幸福をもたらす行為である。」と言いました。では幸福とは何か。「幸福とは精神的、肉体的な痛みや苦しみのない状態である。動物も痛みや苦しみを感じることができるのだから、私たちは正しくあろうとするのなら、動物が痛みや苦しみを受けないようにしなければならない。それが私たちの道徳的義務である。そして動物が痛みや苦しみを受けないように法律で守らなければならない。」と説きました。
ベンサムは、次のようにも言っています。
「皮膚の色が黒いからと言って人間を理由もなく苦しめて、何の償いもしないでよいという事にはならない。足の数や皮膚の毛深さがどうか、尾があるかないか、ということで感覚のある生き物を苦しめてよいということにはならない、ということが認識される日がいつか来るだろう。その他に何か(人間と動物の間に)越えられない一戦を引く事ができるものがあるだろうか。それは人間には理性があるということだろうか。それとも話ができるということだろうか。しかし、成長した馬や犬は生まれて一週間の赤子よりも比較にならないほど理性もあり、会話もできる動物なのだ。そうでないとしても、そんなことは問題にならない。問題は理性を働かせることができるかとか、話をする事ができるか、ということではなく、苦しむことができるか、ということである。何故法律は感覚のある生き物を保護しないのであろうか。生きとし、生けるものすべてが慈愛を持って扱われる時が必ず来るだろう。」
これはそれまでの西洋の考え方とは全く異なった新しい動物観です。この考え方が現代の西洋における動物に対する考え方となっています。それでも、以前の伝統的な人間優位の動物観が、特に西洋人の心のどこかに残されており、無意識の言動となって現れることもあるかもしれません。


生命への畏敬~生きとし生けるものへの倫理の拡大

フランスの神学者、哲学者、医師でもあるアルベルト・シュヴァイツァーは、「・・・(省略)どの生命もそれがどれほど貴い関心に値するか、また感受能力があるかどうかを問わない。生命そのものが神聖なのだ。倫理とはすべての生きとし生けるものへの無限に拡大された責任である。・・・(省略)実に多くの生物に虐待が加えられている。屠場では実にひどい野蛮が行われている。このような全てに我々は皆責任がある。」と言いました。
生きとし生けるものへの倫理の拡大、生命への畏敬の理念は、西洋的思想の枠を超えて慈悲の心に近づいてきました。



参考文献:愛玩動物飼養管理士2-1

コーヒー1杯のコラム。 動物観の歴史 その1

2012-01-28 | 日記
先日、ある人と話して、「人はどのように動物を見てきたのか」、歴史を通して思い出す機会がありました

人の動物に対する考え方は、国や地方によって大きく異なり、それは自然環境や宗教、文化によって形成されます
そしてそれは、時代によっても大きく異なり、今日のグローバル化した世界にあっても、伝統的なものの考え方が色濃く残っていて、動物に関する考え方に、無意識のうちに現れていたりすることがあります

日本には日本独自の動物に対する考え方がありましたが、明治以降に、西欧の影響下で大きく変化し、さらに今日では社会思想の変化の中で、動物に対する考え方も多様になっています

東洋と西洋では、動物についての見方や考え方が、どのように違っていて、どう変わっていったのか、まとめてみました


日本人の動物観

 輪廻転生の考え方

西暦538年に仏教が伝来して、日本人の動物観は、強く仏教の影響を受けました。
古代インドに起源を持つ仏教やヒンズー教、ジャイナ教など、東洋の宗教には、共通して霊魂不滅や輪廻転生の思想があります。
仏教の輪廻転生では、命あるものの肉体は滅んでも魂は別の肉体に移って車輪が回るように果てしなく連続して生死を重ねていきます。この連続には因果応報の関係があり、前世の業によって現世に生を受け、現世の業によって来世に生を受けます。人も現世における業と煩悩の結果として、地獄、餓鬼、畜生などの世界に堕ちることも避けられず、動物と人は共通の魂を持っていて、人と動物の間には、連続性があると考えます。

日本昔話には、僧に化けたタヌキや美女に化けたツルなど、動物が人に化ける話が多く、動物は人と同格とされてきました。
これに対して西洋では、動物が人に化ける話はほとんどありません。逆に人が魔法で動物に姿を変えられる話は沢山ありますが、それは人が貶められ、堕落させられたのであって、動物と人が同格ということはなく、動物と人の間には、越えることのできない壁があり、人の動物に対する優位性は動かし難いものがあります。そして西洋では人と動物の間に連続性はなく、(魔法だったり、真似だったりするだけで)動物が人に変わるという話はほとんどありません。

また、仏教には全ての生き物を殺してはならないという戒律、不殺生戒があります。
四国巡礼のお遍路さんは、杖を持ち、鈴を鳴らして歩いています。間違って動物を踏みつけないためだと言われています。
仏教は、農耕民族である日本人によく根付き、動物自体を命あるものとして道徳的に扱うようになりました。

675年に天武天皇が、「天武の勅令」で牛や馬、犬や猿などの肉を食べることを禁止して以来、1857年の徳川幕府による「牛馬堵殺禁止令」に至るまで、動物を殺したり、食べたりする事を禁ずる命令や、動物をいたわることを命じた法律や命令が、天皇や将軍などによって何度も出されました。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」は、一つの法令をいうのではなく、その一連の法や措置をいいます。生類とは、人、牛、馬をはじめとする動物類を指します。

ところが明治維新後の西洋文化の流入により、肉食の習慣が定着し、日本人の伝統的な動物観は、大きく変わりました。しかし、日本人は農耕民族であったため、また動物虐待の歴史を経験してなかったため、衣食住全てに動物と関わりが深い狩猟民族であった西洋人から生み出された哲学的な考え方は形成されませんでした。



次回は、西洋人の動物観について続きをアップしたいと思います

参考文献:愛玩動物飼養管理士2-1

平成23年度 子犬の譲渡会

2012-01-22 | 日記
今や、日本では、子どもの人数より、ずっと多くなってるペットたち

余談ですが、シッターMの前の自宅もペット可の集合住宅でしたが、16戸のうちの全部の家庭が(最初は飼ってなくても最終的に)犬や猫などのペットを飼ってました。シッターMは、大型犬1匹のみですが、両隣は小型犬4匹と、5匹と多頭飼いの所も多く、子どものいる家庭は1件のみ・・・と、まさに少子化と、増え続けるペットの現代を反映したような状況でした


ところで、皆さんは、犬や猫を入手する時、どこから入手されますか?

1.ペットショップで

2.ブリーダーから

3.友人、知人から

4.保護施設から


一般的に多いのは、1のペットショップからですが、どこで入手するのかは、それぞれにメリットやデメリットもあるかもしれませんので、それぞれに合った方法で入手してください

ただし、犬も猫も、可愛いからというだけでは、飼育することはできません。飼うための住宅環境や、家族の協力、経済的な負担や世話をするための時間や体力、また犬や猫の寿命も長くなってますので、愛情と責任を持って最後まで飼育できるのか、よく考えてから飼うようにしましょう


ペットブームの裏で捨てられる犬や猫は毎年30万頭以上にのぼります。その中でも福岡は犬や猫の殺処分数ワースト1~2を繰り返しています
(そのほとんどが飼い主から持ち込まれる)犬や猫を大量に殺処分する方法は、二酸化炭素によるガス室がほとんどです。動物を密閉式のボックスに入れ、空気を抜いて二酸化炭素を吹き込むことにより、窒息により死に至らしめるという方法です。窒息死は動物に大きな苦痛を与えるもので、「安楽死」にはあたりません。


1匹でもそんな犬や猫を救うために、犬や猫を飼う時、4.保護施設からの入手方法も考慮に入れてみてもいいと思います



平成23年度(財)福岡県動物愛護センターにおいての子犬の譲渡会開催の情報が出ています。

譲渡子犬は2~3ヶ月齢で、ワクチン接種及び初歩的なしつけを行っています
愛情と責任を持って、終生飼養してくださる方に譲渡します。事前に「これから犬を飼う人のための講習会」に参加してください


これから犬を飼う人のための講習会(事前講習会)

受付 13:00~13:30
講習・面談 13:30~16:00

子犬の譲渡会
受付 13:00~13:30
子犬選び 13:30~13:45
講習他 13:45~16:00


事前講習会   子犬の譲渡会
  4/6(水)       4/9(土)
  4/20(水)      4/23(土)
  5/18(水)      5/21(土)
  6/1(水)       6/4(土)
  7/6(水)       7/9(土)
  8/3(水)       8/6(土)
  9/7(水)       9/10(土)
  10/5(水)      10/8(土)
  11/2(水)      11/5(土)
  12/7(水)      12/10(土)
  2/1(水)       2/4(土)
  3/7(水)       3/10(土)


定員があるので事前申込みが必要です。時間厳守。
成犬、猫の譲渡については、センターに予めお問い合わせください



お問い合わせ先は・・・・
(財)福岡県動物愛護センター
古賀市小竹131-2
092-944-1281

今朝のニュースでも・・・・

2012-01-18 | 日記
以前、このブログでもお知らせしてました動物愛護に関する、パブリックコメント
環境省に寄せられた皆さんの声が早速、反映されたようです


今朝のニュースでも早速取り上げられてましたが、動物愛護の観点から、あさってから(施行は6月1日~)深夜の犬や猫の販売が禁止されます

ペットショップで販売されているほとんどの犬や猫は、生後数十日の子犬や子猫。人間の赤ちゃんが大人よりも多くの睡眠時間を必要とするのと同じように、子犬や子猫も成犬や成猫に比べ、たっぷりの睡眠時間を要します。長い間、人目にさらされて、緊張し、明るいライトの下で、睡眠を妨げられるのは、健康的にもその後の発育上にも、大きな負担がかかるとの動物愛護の観点から今後、深夜の販売が禁止になります。具体的には朝の8時~夜の8時、それ以外の販売が禁止となります。大きな繁華街などで深夜営業をしてるペットショップなどは影響を受けるかもしれませんね


それともうひとつ、決まったことがあります。動物オークション業者や、老犬老猫ホーム業者にも、動物取扱業の登録が義務付けられるということです。(6月1日~施行)

ほとんどの場合、「1、ブリーダーが子犬を繁殖させ → 2、動物オークション業者を通して → 3、ペットショップで販売 → 4、お客様へ」という流れになってます。
今まで、ブリーダー業者と、ペットショップ業者は、動物取扱業の登録が義務付けられてましたが、間に入る動物オークション業者に関しては、登録が義務付けられてなかったため、その子犬や子猫の血統の情報や、遺伝的な疾病、ワクチン接種の情報などが把握できてないまま、ペットショップに流れることが多く、お客様に十分な説明が出来ず、その結果、トラブルが起こる・・・ということも多発していました。
それが今後、動物オークション業者にも、登録が義務付けられるということで、販売に至るまでの動物を取り扱う業者が全て、登録をすることとなりました。
動物に関わる業者が、必要な登録をすることで、動物取扱業者としての自覚や、必要な情報や知識などを深め、お客様にしっかりと説明し、飼い主となったお客様が、最後まで愛情や責任を持って飼育できるよう、この当たり前のことが当たり前にできる社会になってくことを願っています
そして、ペットと人が暮らす上で、獣医師や、ペットシッター、家庭犬しつけインストラクター、ペット介護士などが、必要な時に、必要に応じてフォローして、飼い主様とペットたちが、最後まで幸せな生活を送る事、BM Walkingは、それを願っております

それから、老犬老猫ホームも動物取扱業登録の対象となりました。
勿論ちゃんとした形で経営してらっしゃる所もありますが、登録が義務付けられていない為、犬や猫に関して全く知識のないまま預かり、劣悪な環境での飼育や預かりをする業者も私たちが知っている以上に多くあるのは事実です。
動物を「モノ」として販売したり、預かったりするのではなく、人間と同じように感情や痛みを持った「生き物」であることを考慮するなら、また「動物の安全や健康」を考えるなら、ちゃんと登録した明確な業者が、販売したり預かったりするのは当然ですね。
当然のことですが勿論、BM Walkingも動物取扱業の登録しています。(保管登録認定番号第4059200075号登録平成22年5月18日期限平成27年5月17日)

今回の改正は主に、動物取扱業者側の改正となってますが、消費者側(お客様)も、動物を(ペットショップなどで)購入する際、また(老犬老猫ホームなどに)預ける際などは、動物取扱業の登録がされているかの確認、そして、その犬や猫についての情報や飼い方などについての説明をよく確認して、トラブルのないよう、また最後まで責任を持って飼えるよう努めるようにしましょうね。


BM Walkingサービスのご案内

コーヒー1杯のコラム。

2012-01-13 | 日記
人とペットが、仲良く快適に暮らせるよう、お手伝いをしたり、アドバイスをしたりすることがぺットシッターのお仕事です
昔のように単なる番犬として、また可愛らしい姿を見る為だけでなく、現代では、家族の一員として、また人生の大切なパートナーとして、犬や猫などのペットを飼う方が増えています。
でも、犬も猫も、他のペットにしても、あくまで人とは異なる生き物で、その習性や、歴史、成長の仕方や、必要な栄養素など、私たち人間とは違います。
それゆえに、ただペットを溺愛するだけでなく、沢山の愛情+最低限の正しい知識、ルールを守りながら、人とペットが、最高に幸せに、共存できたら・・・と願うシッターMです


「人とペットの共生」だけに限らず、例えばもっと、大きな視野で考えた時、「人と動物との共生・共存」ということになるのですが、「ワイルドライフ・マネジメント(野生動物管理)」という言葉を耳にしたことがある方も少なくないと思います。
欧米では、長い歴史を持つ学問分野ですが、日本ではまだ歴史が浅く、(1999年の鳥獣保護法の改正で、制度上は科学的な保全や管理が実施可能となったが)広く一般に考え方が浸透していません。沢山の問題も抱えています。

「ワイルドライフ・マネジメント」は、もともと、狩猟文化のある欧米やヨーロッパで、動物の個体数やその生息地を適切に維持、管理するために、生まれた学問ですが、近年、日本でも、シカが増えすぎたり、クマやサル、イノシシなどが人里に下りてくる被害が相継ぎ、人と野生動物の軋轢が拡大したことなどから、「野生動物を管理する」という考え方が、少しづつ高まってきています。
また、人間は動物を食肉として利用したり、毛皮や薬、化粧品などを開発する際の実験に動物を使ったり(必要以上に実験動物を利用することをなくす流れになってはきているが)などして、人は、自然から沢山の恩恵を受けて生活していますが、資源として活用するだけでなく、「生物多様性の保全」、「健全な生態系の維持の一環」としても捉えられています。

「ワイルドライフ・マネジメント」とは、大きく分けて、個体数管理、生息地管理、被害管理の3つの分野があり、それを常に、野生動物と環境、人間、という3つの要素を念頭に置いて施策を行う必要があります。


野生動物による被害が起こる地域では、「野生動物との共存」といっても、とても切迫した問題となっているので、それを目指そうとした時に、「人間が大事か、動物(自然)が大事か」という問題が必ず議論になります。
・・・話は、それますが、昨年の東日本の震災でも、人間のみならず、多くのペットや動物たちが犠牲になってます。被災者の命や、生活が、第一なので、大きくメディアには取り上げられませんが、犬や猫、家畜を保護するにあたっても「人間が大事か、動物が大事か」という問題が、行政とボランティア団体の間で、避難ている住民の間で、議論になってます。


動物に関する問題は、単なる好き嫌いの問題ではなく、その人の置かれた立場や環境、考え方など、個々の人間によって、違うので、とっても難しいのですが・・・・地球に住む人間として、何となくでも、ちょっとでも、ほんの一瞬でも・・・全くの無関心でなく、目を向けてみる、知ってみるということも大事ですね