迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

082・痛恨之碑[沖縄・真夏]

2009年08月04日 | 旅する。
8月4日 火曜日 久米島



13時過ぎに営業所から空港行きバスに乗り、清水小学校前で下車。



山側に広がるサトウキビ畑に分け入り、痛恨之碑を探す。



工事休憩らしきおじさんに聞き、一帯を踏査してそれらしき碑を見つけるが、近づいてもアクセスできる道が見つからず、結局何の案内も誘導路もなく、まさにサトウキビ畑のなかにひとり立っていた。



痛恨之碑は、旧日本軍が久米島住民を「米軍からの降伏勧告を配達した」「米軍に拉致された」「米軍に拉致された者の家族、自治会長、警防団長」「朝鮮人で町を行商しているからスパイだ」等々の理由で惨殺した事件を忘れないために建てられた。とくに最後の虐殺は終戦後の8月20日に、逃げようとした家族全員が軍命で殺された。



碑の向こうにはホタルドーム、久米島野球場、さらにその向こうには海が見える。



歩いて道を戻る。仲泊まで来ると島の中心部らしく、カフェやTシャツ屋があらわれる。



海側へ向かうと、ゲートボール場があり、公園の日陰でおじさんが2人昼寝していた。ワタクシも汗ばんだTシャツを脱いで干し、休憩する。たぶん鳥島漁港かと思う。



このあたりは硫黄鳥島から移住してできた集落で、いまも硫黄鳥島は沖縄県島尻郡久米島町に帰属する。



バスでイーフビーチに帰り、観光協会でネットしようとしたらつながらず、例によって〈COCO!ストア〉で買い出しして、〈ドミトリー球美〉に帰る。



台風8号が近づいている。

081・宇江城[沖縄・真夏]

2009年08月04日 | 旅する。
8月4日 火曜日 久米島



7時20分、港に向かうK氏をイーフビーチのバス停で見送る。



ワタクシは営業所から左回りのバスに乗り、真謝公民館前で降りる。



天后宮、仲里間切蔵元跡、



真謝のちゅらフクギ、ゆいマール館(開館前だった)を回り、再びバスで比屋定バンタへ。



展望素晴らしく、はての浜、渡名喜島、慶良間諸島がきれいに見えた。



道を少し戻り、「宇江城まで2.8km」の表示がある地点から登り始める。



40分ほどで宇江城城跡に着いた。反対側の山頂には自衛隊の基地がある。旧日本軍の通信隊陣地だったところだ。



城からは眺望が開け、昔から軍事的に見張り台として機能していただろうことを想像させる。



比屋定バンタまで下り、休憩したり水分補給しながらバスを待つ。



せっかく乗ったバスだが、営業所止まりだったのでいったん〈ドミトリー球美〉に戻る。



オヤジさんがいたので、明日朝早いからと3泊分6000円を支払っておく。昨年は連泊すると@1500円だったが、今年から夏シーズン料金が導入されて@2000円。