迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

ready?

2011年03月16日 | ただの日常。

3月16日 水曜日 山形県某市

意外にも、嬉しいことに、今月初めに注文していた携帯電話用の電池パックが届いた。

さっそく、古い電池と交換したが、作業中に外した古い電池とこれから入れる新品の電池が、どっちがどっちかわからなくなった。

アホだ。

製造番号を見ても……、わかるわけがない。

勘で入れてみて、その後の挙動で判断するか。



充電ついでに、エネループその他を充電して、今後の停電に備える。また、旅行用に持っているヘッドランプや、趣味で持っているキャンドルなどを準備しておく。


シミュレーション、その1

2011年03月16日 | ただの日常。
3月16日 水曜日 山形県某市

東北電力の計画停電では、このあたりは第一グループに属するようで、予定通りなら今日の午前9時~12時が停電対象の時間帯に入る。

朝、MacBookやiPadや携帯を充電しておき、お湯を沸かしてポットに入れておく。飲料水はいつも竹炭で濾過したのをペットボトルなどに保存してある。

停電になるとルータが止まるので、いまのうちにインターネットで情報を収集しておく。

……と、東北電力が8時31分に、16日午前中に予定していた計画停電の中止を発表していた。

ふう。助かった。



せっかくなので、母宅で「停電した場合のシミュレーション」をやる。

ファンヒーター(灯油なんだが、制御に電力が必要)を止めてみて、10時から13時まで耐久してみる。

10時の時点で室温は20度。

11時、18度。
12時、17度。
13時、16度。

*16日の気温は平均気温-0.8度、最低気温-4.5度、最高気温2.3度

日中ならこの程度の室温低下で推移するということで、こたつに湯たんぽを入れるとか、厚着する程度の対応で大丈夫、という見通しが立った。

ちなみに、もちろんこれは私のためではなく、老母のための実験。私は室温5度でも寝袋なしで寝られます。


不屈の東北。

2011年03月15日 | 旅する。
3月15日 火曜日 山形県某市

山形県は現在、被災が少なく宮城県、福島県に隣接しているため、救援ベースになっています。

移動ルートの確保では山形空港(山形ー羽田、山形ー関西)、バス輸送(仙台ー山形、山形ー鶴岡など)、羽越線(鶴岡ー新潟)が首都圏や関西への足になり、
県内の8つの災害病院では被災患者の受け入れが始まり、
米沢や山形では福島から避難して来た方の被曝測定を実施、
東北道が使えないため山形県が救援物資の集積・仕分けの機能を担うなど、
できる限りの救援活動が展開されています。



県では、不要不急の外出を控える、軽症患者は拠点病院に行かない、などを呼びかけています。

私の近所のコンビニではカップヌードル、パンは「お一人様1個でお願いします」とあり、わずかながら在庫がありました。買って行く人は宮城県や岩手県で被災した親戚などへ持って行くようです。

ガソリンはほとんど品切れで、バス会社でも燃料が確保できなくなってきています。

16日からは、東北電力でも計画停電が始まるようです。ちょうど冷え込みが厳しくなる予報ですが、寒さ対策をしっかりしたいと思います。



……このくらいの不便は何でもないさ。



Wall Street Journalが"STURDY JAPAN"(不屈の日本)と社説でほめてくれたが、sturdyには頑健な、くじけない、というニュアンスがある。東北の人間の寡黙で地道な仕事ぶりを形容するにはぴったりの言葉かもしれない。

涙を拭いて、前を向いて。

東北は、地震にも、津波にもくじけたりしない。


日曜日よりの使者

2011年03月14日 | ただの日常。
3月14日 月曜日 山形県某市

テレビでは依然、報道特別番組だけがつづく。

それはもちろん、この非常事態で情報をいちはやく届ける、入手するために必要なことだが、それだけではなんだか毎日に潤いがなくなっているような感じもする。

イベントが続々中止になる。

それにはそれぞれの事情があるのだろうが、被災地を思って自粛するくらいなら、被災地のために平常通りやってほしいと思う。



日常をいつも通りやっていける、そのことがどれだけ励みになることか。

被災地のすぐ近くで思うことは、通信インフラや食料品、燃料、電力を節約する以外は、普通にやってほしい、ということだ。

たとえ、それがくだらないバラエティ番組であろうと。

かつて甲本ヒロトが、松本人志の笑いに救われたように。



遊べる人は、全力で遊ぼう。

仕事がある人は、全力で働こう。



夜、「日曜日よりの使者」を久しぶりに歌ってみる。


平常心、ということ。

2011年03月14日 | 旅する。
3月14日 月曜日 山形県某市

やり場のない怒りとか、どうしようもない無力感とか、普通に生活ができることで罪悪感に襲われたりとか。

自分で自分の感情をもてあますこの頃ですが。



あえて、いつも通りに自分の仕事を、自分の場所でやり遂げたい。

当たり前の日常を取り戻すために。


巨大地震。

2011年03月12日 | ただの日常。
3月11日 金曜日 山形県某市

一昨日、amazon経由で購入した加湿器が届いたのでセッティングする。母宅の湿度が非常に低いので、その対策。

14時46分、携帯が鳴った。緊急地震警報。何か考える間もなく、揺れた。2階にいたので、家が横に振られるのがわかる。いやになるくらい揺れつづけている。

階下に下りて被害を確認。あんなに揺れたのに、菜箸入れが落ちただけだ。まだ揺れているので、食器棚を手で支える。危ないので、良い子はやっちゃいけません。
*地震は6分間、継続していたという。長かったわけだ。



隣宅の母は、トイレに避難していた。

さらに余震がつづく。ネットで情報収集。携帯は不通。携帯メールは転送しているので、姉からの問い合わせ(携帯メール)にはGmailで気づいた。MacBookから返信。

母宅にて、テレビで情報収集。地震の大きさの割には被害が少ないような気がする。1995年、阪神淡路大震災の朝もそうだった。

マグニチュードは速報値の7.9から8.4に、さらに8.8と訂正された。
*最終的にはM9.0と発表された。速報値は気象庁マグニチュード、訂正値はモーメント・マグニチュードで、USGS(米地質研究所)ではM9.1という解析も発表している。



3月12日 土曜日 山形県某市

道路をはさんだ隣の集落では、ずっと停電しているらしい。近所のローソンは閉店。JRもいわゆる第三セクターのフラワー長井線も動いていない。

ウチは水道は無事、停電もなし、道路も大丈夫。僥倖に感謝する。

県内はほとんど停電していて、開いている商店ではレジは電卓手打ちで、電池、ガスのカセットボンベ、食品は瞬く間に売り切れたもよう。

困ったのは宅配便関係が止まっていること。携帯の電池パックの替えを注文してあるのだが、「3月9日に出荷予定。商品到着は、上記出荷予定日から3~4日間かかります」…って、ちょうど今日あたりではないか。実は携帯は危機的に電池が持たなくなっていて、まったく使わないのに半日で充電が切れる。



被害はもはや数百人レベルから、数千人レベルになろうとしている。しかも、まだ連絡の取れない市町村がいくつもある。

スマトラ沖地震のときにはカンボジアにいたので、地獄絵は向こう側の世界だったが、その時には職場の先輩が津波の犠牲になっていて、激しい無力感にとらわれたものだった。



北上ふたたび。

2011年03月10日 | ただの日常。

3月8日 火曜日 横浜→山形県某市

例によって青春18きっぷで北上する。福島では雪が消えていたが、山形県内はやっぱり雪に埋もれていた。



3月9日 水曜日 山形県某市

離れの戸が開閉しにくい件、レールが少し盛り上がっているのではずして切って詰めて平らにして固定しよう、と思う。

ろくな道具がなく、ドライバー、カッター、ノミでなんとか改良する。



3月10日 木曜日 山形県某市

冷え込みが厳しい。

…と思ったら、暖房を使っていなかった。

ヘンタイムービーと確定申告。

2011年03月07日 | 映画や音楽や舞台や本とか。

3月1日 火曜日 横浜

映画の日だが、自重して出かけず。



3月2日 水曜日 横浜

少しよくなったので、大森まで映画を見に行く。キネカ大森で《愛のむきだし》、水曜日で1000円。



上映時間は約4時間、途中で休憩が入る。盗撮マニアがカルト教団から愛する人を救うハナシだが、もちろんそんな簡単なヘンタイ映画ではない。



3月3日 木曜日 横浜

風邪は治ってきたが、確定申告をすっかり忘れていた。とりあえず、伊豆行きは中止する。



3月4日 金曜日 横浜

確定申告の準備。なかなか進まない。



3月5日 土曜日 横浜

京都月光荘が入谷で「合宿」する、というので出かける。tocoという新しいゲストハウスが会場で、なかなかいいところ。油そばの店とか、いい感じの古い酒屋もあり、鴬谷の焼き鳥屋で仕上げて帰還。



3月6日 日曜日 横浜

渋谷の某ライブに出撃。その後、横浜元町の〈ホラフク〉へ。先週の臨時休業は、入籍したお祝いパーティだったのだそうだ。それはそれは、おめっでっとう。



3月7日 月曜日 横浜

確定申告を仕上げて保土ヶ谷税務署へ。ガラガラで待ち時間ゼロ。