「宇宙の眼」 日本に初めて紹介されたディック作品
※「初めて単行本(ポケットブックスだけど)として出版されたディック作品」が正しいです
「宇宙の眼」“Eye in the Sky”
中田耕治訳 ハヤカワSFシリーズ 1959年
(写真は1963年の再販のもの、カバー付き)
「宇宙の眼」“Eye in the Sky”
中田耕治訳 世界SF全集18巻 1970年
評価があって翻訳もされるのだから
この後1968年から刊行された世界SF全集に
ベスターとわけあってではあるがこの作品が収載されたのは当然であるし
この時代の全集にディックがちゃんと取り上げられている
そのことは編集者の目利きの正しさを示しているのだろう
しかし、本国アメリカでは「火星のタイムスリップ」(1964年)や
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(1968年)「ユービック」(1969年)と
代表作と言える長編が次々出版されているのに
ハヤカワSFシリーズ以降、1976年に「偶然世界」、1978年「ユービック」
そして1978年以降のサンリオSF文庫での21作品の出版まで長編作品が文庫化されなかったのは
ディックが評価はあるが売れない作家
玄人受けする、あるいはマニア的作家であったということなのだろうか
(うがち過ぎかな)
ディックの作品は宗教的、哲学的考察も多いうえに
交錯する現実、非現実のめくるめく感覚、心理描写など
翻訳するのが難しい作家なのだと思わせるところはある
1980年を過ぎてサイバーパンクSFというジャンルが流行り
ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作とした
「ブレードランナー」の映画公開(1982年)もあって
サイバーパンクの先駆けとか源流などという評価を得て
書店の平棚にディックの作品が並べられると言う現象が
遅ればせながらやってきた
ディックファンにとっては、本屋に行くごとに新刊があるという
夢のような(また読まなくてはいけないとだんだん強迫観念にとらわれて「悪夢」と化す・・はこじつけか)
時代が訪れたが、本人は1982年にこの世を去ってしまった
ただ、彼は結構多くの作品を残してくれたし
とても多くのエキスをこめ、謎深い思考(哲学的考察)を埋め込んでくれたので
ボケ防止と老後を楽しむために「読みかえす」ことのできる作家として
巡り合えたことの幸福に感謝したい
※「初めて単行本(ポケットブックスだけど)として出版されたディック作品」が正しいです
「宇宙の眼」“Eye in the Sky”
中田耕治訳 ハヤカワSFシリーズ 1959年
(写真は1963年の再販のもの、カバー付き)
「宇宙の眼」“Eye in the Sky”
中田耕治訳 世界SF全集18巻 1970年
評価があって翻訳もされるのだから
この後1968年から刊行された世界SF全集に
ベスターとわけあってではあるがこの作品が収載されたのは当然であるし
この時代の全集にディックがちゃんと取り上げられている
そのことは編集者の目利きの正しさを示しているのだろう
しかし、本国アメリカでは「火星のタイムスリップ」(1964年)や
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(1968年)「ユービック」(1969年)と
代表作と言える長編が次々出版されているのに
ハヤカワSFシリーズ以降、1976年に「偶然世界」、1978年「ユービック」
そして1978年以降のサンリオSF文庫での21作品の出版まで長編作品が文庫化されなかったのは
ディックが評価はあるが売れない作家
玄人受けする、あるいはマニア的作家であったということなのだろうか
(うがち過ぎかな)
ディックの作品は宗教的、哲学的考察も多いうえに
交錯する現実、非現実のめくるめく感覚、心理描写など
翻訳するのが難しい作家なのだと思わせるところはある
1980年を過ぎてサイバーパンクSFというジャンルが流行り
ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作とした
「ブレードランナー」の映画公開(1982年)もあって
サイバーパンクの先駆けとか源流などという評価を得て
書店の平棚にディックの作品が並べられると言う現象が
遅ればせながらやってきた
ディックファンにとっては、本屋に行くごとに新刊があるという
夢のような(また読まなくてはいけないとだんだん強迫観念にとらわれて「悪夢」と化す・・はこじつけか)
時代が訪れたが、本人は1982年にこの世を去ってしまった
ただ、彼は結構多くの作品を残してくれたし
とても多くのエキスをこめ、謎深い思考(哲学的考察)を埋め込んでくれたので
ボケ防止と老後を楽しむために「読みかえす」ことのできる作家として
巡り合えたことの幸福に感謝したい
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