Linの気まぐれトーク

映画と小説の観賞日記

若者論

2022-10-24 10:23:00 | 読書
古市憲寿・著『絶望の国の幸福な若者たち』を図書館の閉架書庫から出してもらって読んでいる。



2011年発行なので、閉架に収納されていても文句は言えないけれど、経験上、利用の多いものは開架に置いているはず。
月日の経つのは早い。

古市憲寿氏は、気鋭の社会学者だそうだが、TVをあまり見ないのでよくは知らない。「高橋源一郎の飛ぶ教室」(ラジオ番組)に「小説家と名乗っていいのか」という若い学者に「小説家です!」と言い切った高橋源一郎。その若い学者が古市氏ではなかったかという程度。

だから(だから?)最新作の小説を読んでみた。



第二次世界大戦下の若者観か。
戦争賛美の若者、学究肌の兄、その恋人の涼子は歴史学者の娘で、洞窟の図書館(涼子が危険な書物を密かに保管していた)で、主人公と良子は出会う。
類型的ではあるけれど、私も(もちろん作者も)知らない戦時下を描き、思想だけではない人間も描けていて、夢中になって読んだ。

初めて小説を書いたのは、こちらの作品だという。



平成元年に生まれた子も、終わりには30歳。キリがいいから〈死ぬ〉という。
フィクションだからか、この時代の日本で積極的安楽死が容認されている。
それを許したくないガールフレンドとのやり取りが主だが、読後の感想は、なんてリッチな!だった。
主題は安楽死ではなく、上流階級のモノに溢れた生活ではないのか。
『ヒノマル』も、あの「欲しがりません」の時代とは思えないほど、いいものを飲食している。
ここでも本当に書きたいのは、若者論ではなく、格差論なのではないかと思ってしまった。

『絶望の国の…』はまだ読み始めたばかりだが、50年代から80年代まで、ティーンから青年、若者に、太陽族からみゆき族、竹の子族、そしてジャニーズ系、呼び名は時代と共に変わり、今や若者論はもう成り立たないという。
ベビーブーム世代が高齢者になってしまったから。
これを読んで、個人的だと思っていた悩みも流行に流されていただけだった、そうそう時代だったと冷めた気持ちで思う。

まだ読み始めたばかり。
今は読みやすい文庫本になっているのですね。



歳のせいか、読書は遅々として進みません。




小説『一橋桐子(76)の犯罪日記』

2022-10-22 16:26:00 | 読書
NHKの土曜ドラマの配信で知り、松坂慶子が一人暮らしの老女を演じるというので、つい観てしまった。
松坂は同い年の女優、若い時は美貌で鳴らし、どちらかと言えば高慢な印象だった。ところがこれは惨めな老女、だ。
パチンコ店を掃除し、若い店長に刑務所の情報を教えてもらうため、袖の下を渡す。
この店長(岩田剛典)がまたカッコいいのだ。


他人事ではないので、すぐに図書館に予約を入れた。ドラマの進行を待っていられなかった。ところが読み進めると、2話しか観ていないのに、その内容だけで小説の半分ほどは行ってしまう。ということは、面白さは設定にあった? キャスティングの妙かもしれない。
やはり、ドラマの演出の方が抜群に面白い。お金もかかっていれば、アイデアを持ち寄る人数も圧倒的に多い共同作業なのだもの。(それは映画にも言えることで、昨日の『沈黙のパレード』のように〈原作に忠実〉なのは本当にもったいないよ)

そうそう桐子さんの話。
読了してまず思ったのは、老女の一人暮らしの大変さ。
年金は少ないし、働き口も限られる。
保証人の問題もある。
介護が必要になったらどうするか。

ドラマはこれからどう描いていくのだろう。しばし静観してみようか。
店長もいい味出してくるみたいだし(笑

↑藤原奈緒さんのドラマ評

ボーイズ ラブ

2022-10-20 07:22:00 | 読書
最近、妙に気になっている。
先日(13日)の読書会で扱った『玄鳥さりて」は表向き〈友情〉の話になっているが、読後の率直な感想はボーイズラブだった。
時代小説独特の筆致と描写で、読む動画のようにわかりやすい。
年配層がハマるのもわかる気がする。
氷室冴子や萩尾望都の漫画は鼻で笑う層も、同じものに心躍らせているのでは、とふと思う。

それはともかく、昨日読み終えた小説は気鋭の社会学者の書いたものだが、これも爽やかなボーイズラブだった。





元芸能人で謂わばジャニーズ系の港クンと、普通の若者のヤマトくんの織りなすアムステルダム物語だ。
ラスト近くに、こんな一節がある。

「薄明っていうんでしょ」
「空のことですか」
「そう、夜明け前の、空がほのかに明るく見える状態のこと。今って、夜でも朝でもないんだって。」(略)
「僕、こういう時間、好きじゃないんだよね。はっきりすればいいのにって」
「僕は嫌いになれないです。だって、白か黒かつけられないことって、世の中にたくさんあるじゃないですか。それこそ男が好きとか、女が好きとか」

丁寧語で話している方がヤマトくん。
それに対して港クンはこう答える。
僕は君が好き、君は僕が好き、それでいいじゃん、と。

男とか女とか、もしかしたらものすごくカテゴライズされた世の中に、我々は住んでいるのかも知れない。
自分が何者かさえ、よくわからない時があるのに。
そういえば『女の一生』(伊藤比呂美)にあったっけ。自分がわからないという質問者に、「朝起きたら、まず朝ごはんに何を食べたいか考えるの。そこから自分がわかってくる」と。
名言だと思う。
生きているって、まず食べることだものね。
自分って?と悩むより、私は誰が好きなのかを考えよう。
こんなこと、70年生きていてもわからないんだから、本当にイヤになる。

寒くなった。
夜明けも遅くなった。
今朝の薄明。



ちなみに10日前は



きっぱりと冬が来る日も遠くなさそう。


読書『還暦からの底力』

2022-06-06 10:45:00 | 読書
出口治明・著 講談社現代新書 2020年



『白鯨』から解放され、図書館に行けば見る本全てが魅力的。

この本に目をとめたのは、還暦の文字と「学ぶ」ことの大切さを解いていたから。

著者は1948年生まれなので夫と同年齢、日本生命に勤務、退職後ライフネット生命の創始者、今は立命館アジア太平洋大学の学長を勤める。

経歴が示すように、年齢に関係なく人間は働き続けることが大事と説く。
「人・本・旅」をモットーに掲げ、たくさんの人に会い、多く学び、どこにでも行ってみることが大事。
人生は川に流されるようなもの、なるようにしかならないのだから。
その肩肘張らない考え方(今それで上手くいっているのなら間違いない、不都合なところを手直ししていこうという)、目の前の現実をしっかり見る手堅さは魅力だ。
この著者の本をもう少し探してみようか。


『白鯨』

2022-06-04 07:52:00 | 読書
やっと読んだ。
こんなに長い(冗長!)小説を読むのは高校生以来? ちなみに世界文学全集を読むのも。



もう半世紀も前になるが、当時は文学全集がステータスだった。読んでも読まなくても応接間には文学全集と百科事典が飾られていた。まだインターネットのない時代。
私は受験勉強を終えた午前2時頃から、布団の中で読みかけの小説を開くのが唯一の楽しみだった。
『武器よさらば』『怒りの葡萄』『ジェイン・エア』『風と共に去りぬ』…
『白鯨』はなぜ読まなかったのだろう。
多分出だしでつまずいた?
引用に次ぐ引用が数ページにも及ぶ。
今なら苦もなく読み飛ばすけれど、「読んだ」ことをステータスにしていた当時は、それも出来ないクソ真面目な学生だった。

なので、読み始めは懐かしかった。
高校生に戻って読書している気がした。
読みにくい本を背伸びして読む感覚。
が、だんだん疲れてきた。
他に本を置かない背水の陣で臨んだので、逃げ場もない。
ひたすら読み、あまりにも脱線する箇所は斜め読み。
興味の中心は、〈ナンタケット島のエセックス号遭難と漂流〉がどう描かれているかだ。
なのに、捕鯨船がナンタケットを出港しても、一向に遭難しない。
漂流がメインではないのか。
ノンフィクション『復讐の海』が元になり、映画『白鯨との闘い』でもメルヴィルが登場して最後の生き残りの乗組員から漂流のおぞましい話を聞き取る様が描かれている。
語った男はメルヴィルに聞くのだ、全て小説にするのか、と。
メルヴィルは多分、事実をその通りに書くのが小説ではないというような答えをしたと思う。
なので確かめてみたかった、どんな風に作品化したのかと。

結論は、長かったがこれも時代。(150年前の小説)白鯨を神に、船長らを人間に見たて、最後に人智の及ばぬ領域を示した。
人間のなんとちっぽけなことか。
見事なフィクションだった。
但し世に認められるのに半世紀を要したというからゴッホ並みか。

とにかく長いのは、数年に及ぶ捕鯨船の航海を体感するため、という。
話は本編とは関係ない方向へ逸脱につぐ逸脱(これも捕鯨船体験か)。
白鯨(モビー・ディック)に片脚を噛みちぎられた老エイハブ船長は、果たしてカタキを取ることが出来るのか、という興味は最後の最後まで引き延ばされる。
ちなみに一等航海士はスターバックといい、スターバックス(創始者が3人いたので複数形)の由来であるという。
スターバックもエイハブも、今はいない益荒雄だ。

読了後の解放感も高校生以来。
たまにはこんな読書もいいかもしれない。