Linの気まぐれトーク

映画と小説の観賞日記

小説『恍惚の人』

2023-09-29 14:40:00 | 読書
1972年


父の本箱で見つけた。
私が20歳の時の作品だ。社会現象にもなり、ボケ老人のことを〈恍惚の人〉と呼んだものだ。
当時も読んだはずだが、内容は殆ど忘れている。
間違いないのは、介護する側としては読んでも、される側の自覚はなかったこと。

それから50年、今やこちらは70歳を過ぎた。
 4人の親は、みな介護されることなく他界した。なので、今ひとつ実感が湧かない。
いずれわが身であるということ、に。

あまり考えないようにしよう。
なるようにしかならないし、ボケて困るのは近親者、当人は至って気楽なのだ。
ボケ気味の夫が羨ましいくらいだ。

死の近い老人が見上げる泰山木の白い花。
ふと、6月に会った友人が、新幹線の車窓で、大きな白い花を見かけたと言っていたことを思い出す。
きっとこの花だ。
そんな連想しか浮かばないのは、まだボケることが身近なことではない証と思うことにしよう。




小説『出発は遂に訪れず』

2023-09-29 14:23:00 | 読書
忘備録代わりに使っているlivedoorブログが何故か開かないので、代わりにこちらに記します。




いつの時だったか、島尾敏雄の『死の棘』についての評論を読んだのは覚えている。
特攻隊で出発するばかりの時に終戦となり、生き長らえることになった作者は、奄美大島の女性と結婚するが、彼女の嫉妬から精神不安定となった経緯を描いた『死の棘』についてだった。

興味を持ったのだと思う。
文庫本とはいえ、通販で本を取り寄せたのだから。
が、読んだ形跡はなく、10年近く机に置かれたま。
責任を取る形で読んだ。
そのうちに、はもうないから。
しかし、どうして『死の棘』を買わなかったのか。
こちらは短編集、昭和21年の処女作から収められているから、いっその事、馴れ初めから読もうと思ったのか。
若き日を戦争で失い、命まですてようとした矢先、終戦。大学を卒業し、大尉として従軍していた彼は、戦争責任を取るべきだ、戦時中は優遇されていたのだから致し方ないだろうと部下に言われる。
死に損なった生を取り戻すことは難しい。
島尾敏雄は、取り戻すことが出来たのだろうか。

初刊行されたのは、翌22年の「単独旅行者」のようだ。
私小説の形態は、決して嫌いではないけれど、父を思い出してやるせなかった。父は丙種合格で出陣し、満州に送られたが、戦闘することなく帰ってきた、と聞かされている。それでも、何となく生きそこねた人の感は拭えなかった。
戦争のことばかり語っていた。
それが全てであるかのように。

戦争体験のある人は、少なくなった。
もう第二次大戦のような戦争形態は有り得ないかもしれない。
それでも、遠くない過去に、国として、そういう経験をしたということ、忘れてはいけない。






原田ひ香さんの小説

2022-11-22 15:11:00 | 読書
『一橋桐子の犯罪日記』が面白く、原田ひ香さんの本を読んでみます。
世知辛く、近所の図書館の蔵書頼みですが。
ひ香さんは1980年生まれ。
私より28歳若い。
ということは42歳?
そんなことはどうでもいいけど、気になりませんか? 



まずはこれから。
第31回すばる文学賞受賞作、作家デビュー作でもあります。
会社で結婚相手を探しても、いい男はみんな既婚者、ならば既成事実(妊娠)を作って略奪すればいい、なんて。
そんな略奪婚を巡って、男の伯母とその娘、男の元妻を描く救いのない小説でした。

個人的に元妻・佐智子の部屋巡り?に興味。他人の家にピッキングで忍び込み、その飾らない暮らしぶりを眺める。ものは盗らない。眺めるだけ。
でも犯罪です、勝手に忍び込むから。

子供の頃、友だちの家に遊びに行くと、子どもだから油断するのか、散らかったままの室内をみることがありました。
あのドキドキ感、何だったのだろう。
佐智子は警察には捕まらなかったと思いますが、そういう日常の犯罪をさりげなく書いてしまうのが、原田ひ香。



『東京ロンダリング』
32歳で離婚し、着の身着のままで追い出されたりさ子は、すぐに住む家に困る。訳アリの女に物件はなく、ひょんなことからアパートのロンダリングをすることになるのです。
ロンダリングとは「洗濯」、事故物件を賃貸する時、直後の借主には事故の説明をする義務があります。
そこでロンダリングという仕事が生まれるわけ(らしい)です。
1ヶ月ほど彼女が住めば、次の借主に事故物件の説明は不要になるので。

この仕事も面白そうです。
というか堕ちなければ出来ない仕事。
寂しいとか、孤独とか、惨めとか、
そんな感情からも自由になったところに何があるのだろう。
人間、堕ちるところまで堕ちれば、見えてくるものがある?



こちらも不倫して離婚、職も家もなくして実家に戻れば、男にだらしない母、がめつい祖母、介護に明け暮れる隣人・美代子などがいる。
それだけでも絶望的な状況なのに、犯罪まで絡んでくるのです。
惹句は「堕ちていく女の果ての果て」

けれど、悪は感じません。
クライムノベルかも知れないけれど、
誉田哲也とか貫井徳郎とは全く違う。
貧しいから、法を犯してでも生き抜くしかない女たち。
一橋桐子がムショ活したのと基本的に変わらないのです。


こちらは読み終えたばかり。
バブル期に青春時代を過ごし、モテてモテていい思いしかしてこなかったミチルが40半ばになり〈おばさん〉を自覚する話。

バブル期は子育て期だった私に、その時代のいい思い出は殆どなく、へぇ、そんな時も日本にあったのだとしみじみ。

今は団塊の世代も高齢者、世の中にもう活気はなく。
それでも生きていかねばならない私たち。
はあ、そんな感想をため息と共に。

まだまだ本は続きます。
原田ひ香さん、読みやすいのをいいことに、夢中になってます。






本当はほっとしている?

2022-11-15 21:38:00 | 読書
11月10日は読書会でした。
テーマ本は向田邦子さんの『だらだら坂』
(『思い出トランプ』所収)

小さな会社の社長の庄司は、事務員の面接で落とした女を密かに囲い、通っていた。
女の目はあかぎれのように細く、泣くとドブのようにビシャビシャと涙が溢れる。
鈍重で表情にも乏しい北海道出身の二十歳。
男とは親子ほども歳が違う。
男は「鼠」とあだ名されるほど小柄、妻子はいるが、コツコツとしてきた努力が家族の目には映らない。
心は離れ、落ち着けるのは目下の愛人を訪れるときだけだと思う。
〈女を囲う〉男の花道を実践できたようで、自分が誇らしい。
そんな関係が崩れるのは、初めての海外出張で10日ほど家を空けた時だった。
予定を繰り上げ、1日早く帰った男は、愛人を驚かそうと黙って家を訪れる。
そこで、整形手術をした女に遭遇するのだ。
あの、あかぎれのような目が好きだったのに、女は相談もなく二重瞼にしてしまっていた。
自信をつけていく女とは裏腹に、男は自信をなくしていく。
最後に男は思う。
「悔しいと思う気持ち半分、ほっとしたという気持ち半分」と。

これが作品のテーマなのだとか。
娘のような若い女を我がものにするのは〈男の勲章〉だ。
けれど疲れる。
終わってみれば、ほっとする。

わかるような気もするのです。
男に限らず、艶な話はエネルギッシュ。
歳をとると辛くなるのは事実。
やっぱり、終わればほっとするのではないですか。


高齢者の前途

2022-11-08 14:38:00 | 読書
古市憲寿さんの著作を手に入るだけ(地元の図書館にある分)、まとめて読んでみました。
小説は読みやすいので、『ヒノマル』『平成くん、さようなら』『アスク・ミー・ホワイ』はスラスラと読めたのですが、評論書は苦労、苦労(汗)



東大大学院に在籍しながら、企業を立ち上げた様子を書いているようですが、実感として掴めず。
ひと頃のヒルズ族とかホリエモンはニュースにもなり、マスコミも政財界も冷ややかに反応。でも、私は密かに応援していたのです。
年寄りたちの思考回路に風穴を開けてほしい気持ちは、若者や女性など、社会に関われずに来た人たちにとっては、切実だった。

でも、古市憲寿氏はヒルズ族より若いんです。(1985年生まれ)



『ヒノマル』の理論的根拠を探して、この本も読んでみたけれど、社会学者の理論書というより、世界の戦争博物館を巡っての紀行文的色彩が濃い?
でも、
戦争や、人が死ぬことは〈非日常〉として人を惹きつける、それを〈面白い〉と表現したことには、彼の勇気を感じました。
なかなか言えないことです、面白いとは。

以前、図書館に勤務していた頃、戦中派の老人と戦争について話していて、私の〈面白い〉という表現を聞き咎め、「僕は面白いなんてとても言えない」と言われたことがありました。
もちろん、ファニーではなく、インタレスティングの意味で使ったのですが、戦争に関しては言葉を選ばなくではいけない、と痛感したものです。

だから、身内ではない人々も読む書籍で「戦争は面白い」と書くことには覚悟が必要だったに違いない。
その辺りをヒラリと飛び越えてしまうのは、やっぱり若さなのでしょうね。
戦中派の親に育てられた我々との決定的な違いです。
それに爽快さを感じつつ、最後に読んだのはこれ。



対談集。
國分功一郎氏は『暇と退屈の倫理学』が面白かった記憶があります。
『ファイトクラブ』なんて、映画まで見たし。
國分氏は1974年生まれで、長男と同い年。
何とか理解できるギリギリの若さか。
読んでいても國分氏と古市さんの温度差がわかるし、私が古市さんを理解できないのも無理はないと再び思うのです。
それでもというか、やっぱりというか、
一番興味深かったのは、「リタイア組の自分探し」。

仕事と子育てで自分と向き合わないまま、高齢になってしまったという人は、意外に多いようです。
自分探しとは自分に対する周囲の評価を変えたいということ、
だから人は自分探しで旅に出たがる、と見事に核心を突いた発言。(國分さんが内田樹氏の引用で)

本当に大切なのは自分を知ること、何が好きで、何を楽しいと思うか、どんなクセを持っていて、自分の体で何が出来るか、
そういうことを詰めていくことは大事、と結論していたのです。(ざっくり言うと)

でも彼らはそれを宇宙人を語るように言っている。
そう、私は〈自分を外側から見ている〉感じ。
その視点がほしくて、敢えて若い世代の本を読んだのかもしれないから、いいのだけど。
でも、正直疲れた。

フィクションと違い、隠れ蓑がないだけ、きついのです。
古市さんの本は、これでピリオド。また年相応の本に戻れるのは正直嬉しいです。