Linの気まぐれトーク

映画と小説の観賞日記

ささやかだけれど、役にたつこと

2021-12-16 13:44:00 | 日記
どうにも気が滅入って仕方のないときって、たまにある。

急に寒くなってきて、日も短くなった。
朝は暗いうちからウォーキングに行くのが日課だけれど、6時半過ぎなければ夜が明けない。
道が凍ったら、それももう無理だろう。

コロナで篭っていれば間食も増えて、ますます醜くなるばかり。
全てが暗い方に向かい、希望が見出せず、自信が持てず、消えてなくなりたくなる。

でも、ちょっと待って。
死ぬ気になれば何だってできるんだから。
要は気持ちが塞いでいるだけなんじゃない?
そんな時は考えるのをやめて、家から一歩出てみる。
向かった先はモール。
自転車で20分ほど。
ミスドでモーニングセットを、
お金は使わずポイントで。







ほらもう、お店のインテリア見ているだけで気分が変わってきた。
コーヒーが美味しくておかわりしてしまう。
冬用のスリッパを買おう。
明日は孫の参観日なのだ。
暖かなフリースも買って冬に備えるんだ。
たった五千円の買い物だけど、前向きになれた?



孫はまだ2歳、でも未満児クラスで頑張っている。
里心がつかないように、保護者は新聞紙の穴から中を覗く。

今夜から雨、そして週末にはとびきりの寒波がやってくると言う。
今日の日差しに近所のマックで羽を伸ばし、


さあ寒くても頑張らなくちゃ。


『ささやかだけれど、役にたつこと』はレイモンド・カーヴァーの名短編。
子どもを失った両親の悲しみは、パン屋のロールパンを食べるうちに癒されていく。

そんなささやかなことが救いになる、という話。

ディテールに神は宿る。
関係ないか。


桜木紫乃のテキストで読書会

2021-12-13 07:26:00 | 読書
先週の木曜は恒例の読書会。
図書館の先輩でもあるKさんが選んだテキストは『ふたりぐらし』



実はNHK第二の「新日曜名作座」で西田敏行さんと竹下景子さんが2人芝居していたのが『家族じまい』だった。



認知症が悪化し施設で暮らす母の様子を見るように妹に言われ、旅に出る中年夫婦の話から始まり、今の我々が見過ごせない話題が多い。
これを読書会のテキストにしたいと思い、調べてみればまだ文庫化されていない。
Kさんも同じ理由で『ふたりぐらし』にしたらしく、考えることは同じだ。

『家族じまい』が文字通り家族の終わりを描くなら『ふたりぐらし』は家族の始まりを語る。
どちらも2人きりでは成り立たない。
年老いた親は切れない糸で結ばれた、大きくて重い荷物だ。
それをどう描くかは終わりと始まりでは当然違うと思うが、どう見送るかはそんなに違わないと感じた。

新しい家族を作り始めた時点で生まれ育った家は〈実家〉になり、日々遠くなる。
あとは親の健康次第。
ベタベタと親子の情愛を強調しないのが桜木紫乃さんらしさだ。



こちらは比較的新しい作品。
タイトルそのものだが、北海道の場末のキャバレーで雑用係をする主人公と、旅回りの芸人たちとの交流を描く。
これでもかというほどの貧乏暮らし。
最底辺の人々。
でも逞しい。
ここでも親の遺骨を思いがけない方法で納骨する。
こんな発想もあるんだ。

重松清の『ひこばえ』も、母と子どもを捨てて去った父との確執を描いていたが、男性作家の優しさなのか、最後は家族集まっての供養で終わる。
どちらがいいとか悪いとかは、正直わからない。
こんな大胆な生き方は小説だから成り立つとも言いたいが、
「事実は小説よりも奇なり」とも言うし。

いや、そんなことより来年の読書会。
自身の2度目の当番に、どんなテキストを選んだらいいだろう。
後期高齢者向けのハートウォーミングな本にすべきか、自分の好きな本を選ぶべきか。



本当に好きな作家を選んで否定されたくないが、こんな翻訳本も嫌われるだろう。
それでも数年ぶりに買ってしまった文庫本。もちろん読書会を意識して。

嫌われたらご縁がなかったと身を引けばいい。そう思って自信を持って勧められる作品を選ぶことにした。



暖かな思い

2021-12-04 15:40:00 | 映画
『劇場版 きのう何食べた?』を映画館で観て、ドラマ版をDVDで観た。
通常版プラス特別編の計5枚。



観れば観る程、知れば知る程、シロさんとケンジの日常が愛おしくなり、心がほかほかと温かくなる、この不思議さ。
もう一度映画観ようかなんて思うのは、かなりのぼせてしまっているな。

オネエ言葉を話すゲイの存在はアメリカのドラマではよく見かけるし、芸能界(テレビ界?)では驚くほどゲイが多いと聞いたこともある。
体を張って上を目指す世界では、本当の愛情はゲイに求めるしかないとか、もっともらしい話も聞いたことはあるけれど、
私が惹かれるのもやっぱりその点かもしれない。

愛情は冷めても結婚という制度で社会的に認められている夫婦とは違い、
何の社会的保証もなく、かすがいとなる子どももなく、お互いの気持ちだけが頼りの関係は、けっこうシビアだ。

シロさんが倹約しながら買い物して作る手料理。それを感激しながら食べるケンジ。
美味しいという言葉を迷わず口にして、
それを嬉しそうに聞くシロさんも幸せそうで、対等だけどお互いに気遣いは欠かさない関係は本当にステキだ。
2人の老後を真剣に考えるシロさん、それにグッときているケンジもいい。
大手を振れない関係だからこそ大切にし合う、そんなふたりに癒される人がこんなに多いなんて。
そういう私も、マンネリ化した夫との老後に口も利かない日が多い。
お互い好きなものを食べたいからと食事も別にしているけれど、やっぱりふたりの食卓が羨ましい。
料理は美味しいと言って食べてくれる人がいればこそ。
下手な料理でも子どもたちが美味しいと目を輝かせてくれた食卓は幸せだった。 

歳を取れば楽しみは減る。
これも順番だから仕方ない。

そんな日常だからこそ?電気ストーブを購入した。



自分ひとり暖まる分は、これで十分。
ほんわかした遠赤外線があったかい。
こんなことも幸せを感じる自分、
愛おしく思わなくちゃ。