小説などとは別の話。
ちょっとしたメモだったり、メッセージなんかで
なんだかいいな、と思うものを書く人がいる。
何気なく読むものにほのかなあたたかさを感じる、というのは
人となりが浮き出ているからなのだろうか。
とはいえ、お人柄やその思想について、尊敬も好意も持っていても
書かれるものの持つ雰囲気が
会ったときの印象とまるで違う人もいるから、人間性だけではなさそうだ。
何が違うのだろう、とぼんやり考えていたのだけれど、
前者は、こちら側の言葉を使って内容の本質を伝えようとしてくれていて
(相手に理解させることがメインであり重要視している)
意外なことにロジカルな理系の教育者タイプの方に多く、
後者は、自身がこだわり選んだ言葉で主張内容を表現される傾向にあって
(相手が理解してくれることを前提に、表現の形を重要視している)
文系の学者肌の方に多い(友人はあてはまらないが)印象があるなぁ、と
いう風な気がする。
自分主体のものの読み方をする私の癖は(だから勘違いも多いのだけれど・苦笑)
「本質を」「相手に」「伝えたい」、そういうシンプルな形のない想いを持つ
いわゆる教育者肌の親に育てられた影響が色濃い気がする。
とても受け身な感覚優先で物事をとらえるからなのか、
理系の人と一緒にいると心休まり、のびのびしてしまうのはそのせいだろう
(理系学者系の人はこれまた後者タイプに近くて、感じが違う)。
言葉を選ばなくても感覚を共有できる(と思う)には、もちろん信頼が前提だけれども。
ところで、私は、表現発信する側としてはどっちの人間なのだろうか。
理系文系あちこちに興味を示す割にすべて中途半端な人間なので、
どんなふうに受け取られているか、ということには少し弱気なのである(笑)。
ちょっとしたメモだったり、メッセージなんかで
なんだかいいな、と思うものを書く人がいる。
何気なく読むものにほのかなあたたかさを感じる、というのは
人となりが浮き出ているからなのだろうか。
とはいえ、お人柄やその思想について、尊敬も好意も持っていても
書かれるものの持つ雰囲気が
会ったときの印象とまるで違う人もいるから、人間性だけではなさそうだ。
何が違うのだろう、とぼんやり考えていたのだけれど、
前者は、こちら側の言葉を使って内容の本質を伝えようとしてくれていて
(相手に理解させることがメインであり重要視している)
意外なことにロジカルな理系の教育者タイプの方に多く、
後者は、自身がこだわり選んだ言葉で主張内容を表現される傾向にあって
(相手が理解してくれることを前提に、表現の形を重要視している)
文系の学者肌の方に多い(友人はあてはまらないが)印象があるなぁ、と
いう風な気がする。
自分主体のものの読み方をする私の癖は(だから勘違いも多いのだけれど・苦笑)
「本質を」「相手に」「伝えたい」、そういうシンプルな形のない想いを持つ
いわゆる教育者肌の親に育てられた影響が色濃い気がする。
とても受け身な感覚優先で物事をとらえるからなのか、
理系の人と一緒にいると心休まり、のびのびしてしまうのはそのせいだろう
(理系学者系の人はこれまた後者タイプに近くて、感じが違う)。
言葉を選ばなくても感覚を共有できる(と思う)には、もちろん信頼が前提だけれども。
ところで、私は、表現発信する側としてはどっちの人間なのだろうか。
理系文系あちこちに興味を示す割にすべて中途半端な人間なので、
どんなふうに受け取られているか、ということには少し弱気なのである(笑)。
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