原発事故3.11 今日はあの日の1日前?

第二の福島はいつでも起こる。

「低線量被ばく」や「内部被ばく」の危険性、避難の必要性を唱える声を“風評”として位置づける。

2013-06-21 12:42:44 | 日記
〈ふくしま集団疎開裁判〉 本裁判も視野に「避難プロジェクト」立ち上げへ

2013年 6月 20日 00:51
【取材ニュース】 <人権> <原発> <市民活動> <平和>

三上英次

  ◇◆◇ 「福島に来ないで!」―ある県民からの声― ◇◆◇

 その日、東京・新宿にあるアルタビルの大画面には、「みんなで再生させる、ふるさと日本」「がんばっぺ東北」…といった、お決まりの“挙国一致”フレーズが次々にテロップで流されていた。そして、その道路1本隔てたアルタ前広場では、〈ふくしま集団疎開裁判〉のデモ参加者が集まっており、ある参加者のプラカードには、「福島に住んでいるから言います」に続けて次のような言葉があった。

    「子供を被曝させたくないなら」

    「あなたと家族が被曝で苦しみたくないなら」

    「福島に来ないでください」

    「福島の物を食べないでください」

 福島に住む者が、わざわざ東京まで来て、そのようなプラカードを掲げるのはどうしてか――? ひとつ考えられるのは、国際的な原子力“推進”団体であるIAEAですら、放射能の被ばく許容量を年間1ミリシーベルト迄としているのに、日本政府は、その被ばく基準を〈3.11〉の原発事故後に一気に年間20ミリシーベルトにまで引き上げてしまったという、これまでの経緯だ。

2013年5月18日(土)、デモ参加に際して、ある福島県民が掲げたプラカード。 いわゆる“推進派”の手法は、「がんばっぺ東北」「ガンバレ日本」のように、個々の地域ではなく、被災地全体にアミをかけて一律に「復興!」「がんばれ!」「あなたも応援を!」とかけ声をかけるのである。そして、「低線量被ばく」や「内部被ばく」の危険性、避難の必要性を唱える声を“風評”として位置づけ、「風評被害にもめげずに、福島の人たちはがんばっている」と宣伝する。(撮影・三上英次 以下同じ)

 もともと「1時間あたりに換算して0.6マイクロシーベルト」を超えるような場所は〈放射線管理区域〉にしなければならず、そこでは飲食禁止(当然、そこに人が居住することは出来ない)、一部の放射線技師などは職務上やむを得ずに立ち入ってもよいが用が済み次第直ちにそこから出なくてはいけないような場所が、〈放射線管理区域〉というところである。政府は、そういう場所に、幼い子どもをはじめ多くの人を住まわせたまま――住まわせるだけではなく、そこで市民マラソン大会や学校での運動会を開催して“復興ムード”を演出し――、“復興”予算を関係のないところにたれ流し、果ては福島の人たちの〈くらし〉も〈健康〉も、すべて二の次にされているのが、今の福島のありようだ。そんな中で現地の人から「福島に来ないで!」と声があがるのも当然だろう。

          

  ◇◆◇ 「緊急避難プロジェクト」都内で始動! ◇◆◇

 そのような危険な場所に住まわされ、いまも被ばくし続ける子どもたちをどう救うか――、この難しい問題に対して、6月9日(土)、都内で〈ふくしま集団疎開裁判の会〉による「緊急避難プロジェクト・キックオフ会議」が開かれた。会議には「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加さんが北海道から、「福島原発告訴団・静岡」の長谷川克己さんは静岡県から、その他この問題に関心を寄せる多くの人が東京・新宿に集い、原発問題についてそれぞれ意見を述べた。

 弁護団からは、去る4月24日に仙台高裁から出された「決定」を受けて、今後は裁判所の〈仮処分〉を求める裁判ではなく、「行政訴訟」も検討中であること、さらに、「山村留学」のような避難プロジェクトを進めていく方針が示された。



5月19日〈ふくしま集団疎開裁判〉新宿デモ プラカードより。6月9日の集会では、郡山在住の男性から「人々は放射能に対する不安を覚えても、それをおもてに出せない」、「医療界、商工会、そしてメディアが一体となって押さえつけるシステムができあがっている」と報告があり、その男性はそれを【被ばく戒厳令体制】と表現した。

  ◇◆◇ チェルノブイリ高汚染地区と現在の福島との比較 ◇◆◇

 集会では、北海道在住の松崎道幸医師もスカイプ(テレビ電話中継)で参加し、松崎医師は、今月5日に福島の県民健康調査検討委員会で報告された「小児甲状腺がんが(2月の報告時から9名増えて)12人〔平成23度…7人、平成24度…5人〕、その疑いのある者が(同・8名増えて)15人〔平成23度…4人、平成24度…11人〕」という数字について、強い懸念を示した。

 松崎医師は、上記検査結果について、「もともとあった癌を早く見つけたのか、それとも原発事故による放射線の影響で癌が増えているのか、慎重な見極めが必要である」としながらも、以下のような事情から、事態が相当差し迫っていることの危機感がうかがえた。

 まず、松崎医師は5ミリ以上のしこりが甲状腺に見つかった子どもたちがすでに1000人以上にのぼること、さらにまだ甲状腺に大きなしこりがあっても精密検査で結果が確定していない子どもたちが相当数いることに着目する。そして、今後も6月5日の発表と同じ比率で甲状腺がんが発生すると仮定すると、さらに甲状腺がんの発生数が今の4倍近くになる可能性を示唆した。

 また、松崎医師は、山下俊一氏らのグループが〈事故当時10歳以下だったチェルノブイリ近郊の約5万人の子どもたちを対象に、事故後5~7年後に甲状腺超音波検査をおこなった報告〉も紹介した。それによれば、その検査では「1万4千人に1人」の割合で小児甲状腺がんが見つかり〔注:小児甲状腺がんの発生率は通常、100万人に1人と言われている〕、高汚染地域では「4500人に1人」の割合であった。そこから、松崎医師は、まだ不確定要素があることをふまえて言葉を選びつつも「福島の子どもたちに、事故から数年後のチェルノブイリと同程度、あるいはそれ以上の割合で、小児甲状腺がんが発生しているとの仮説を立てることができる」と警告を発した。

 実際に、福島では事故から2年経っていない段階での17万4千人のうち、小児甲状腺がんが12名、その疑いのある子どもが15名――つまり最大で27名の子どもたちが甲状腺がんになっている可能性がある。これを単純計算で「がんの疑いの強い15名」を含めて17万4千人(人)を27で割ると約6400(人)。と言うことは、県民健康調査の途中段階で「6400人に1人」の割合で、福島の子どもたちに甲状腺がんが発生していることになる。

 ◎ 事故からまだ2年、

 ◎ しかも、いまなお、複数の地域で甲状腺検査が行なわれず、

 ◎ さらに、次回の検査が2年も先(=ていねいな追跡調査が行なわれず、言わば“放置”された状態)であること――を考えると、松崎医師の懸念通り、いまの福島の小児甲状腺がん発生頻度は、「チェルノブイリ原発事故から5年後の高汚染地区〔注:ゴメリ地区〕」の〈4500人に1人〉に迫るもの」と言えるだろう。


会場写真。会場では「チェルノブイリ事故からいちばん学んで(その戦略を立てて)いるのは、原発推進派だ」という声もあがった。さらに「チェルノブイリでは土地が国家のもので資産補償をしなくて済んだ」「日本中で集団自己破産をするべきだ」「黙っている人たちは推進派と同じ。もっと多くの人が声をあげるべき」等の意見も聞かれた。

  ◇◆◇ 「検査機器がよくなった」への疑問 ◇◆◇

 松崎医師はまた、「チェルノブイリのときよりも、検査機器の性能がよくなって、かつては見落とされていた病巣が見つけられるようになった」といった福島県立医科大学グループからの意見についても、チェルノブイリ事故でピックアップされた「のう胞やしこり」と今回の福島県でひろいあげているものとが同程度のものであることを指摘し、「今回の検査で、とりわけチェルノブイリの時よりも小さい異常を見つけ出しているわけではない」として、そうした意見に疑義を示した。

        

  ◇◆◇ 英医学誌『British Medical Journal』から考察する ◇◆◇

 被ばくの影響について、松崎医師は『British Medical Journal』という医学専門誌に載った被ばくによる影響追跡調査についても言及した。それは、CTを受けた約1100万人への10年間にわたる追跡調査の結果である。

 CTは、1回あたりおよそ「4.5ミリシーベルトの外部被ばく」であるという。同誌によれば、1回CTを受けた子どもは10年間で約20%、CTを3回受けた子どもでは10年間で50%程度、小児がんの発生するリスクが増えることが、その調査からあきらかになっている。

 松崎医師は、日本政府の「年間100ミリシーベルト程度では、がんが増えるかどうかわからない」という見解にふれながら、「福島の原発以後、半年程度でCT1回分に当たる4.5ミリシーベルト程度の外部被ばくをしていた子どもたちがいたこと」を考えて、「子どもたちへの今後のていねいな追跡調査」や「北関東のホットスポットエリアに住む人たちをも含めた避難や移住」について「真剣に考えるべき」と会場の参加者に呼びかけた。


今後、「避難プロジェクト」を進めていく上で、さらなる人的支援、財政面での支援が必要となる。〈ふくしま集団疎開裁判の会〉は、ともに活動をするスタッフ等を随時募集中である。

  ◇◆◇ 伊達市在住の母親からの訴え ◇◆◇

 集会では、伊達市に住む母親からも切実な声が聞かれた。

◇ 今までは「100万人に1人」と言われていた〈小児甲状腺がん〉が、福島県であんなにたくさん出ているのに、それを「原発事故と関係ない」という医療関係者の発言が信じられない。

◇ いま目の前で多くの〈小児甲状腺がん〉が出ているなら、どうしてもっとその原因を調べないのか、あまりにも言い方が「ひとごと」である

◇ 福島県民の中にも、医療関係者が言うように「子どもたちの甲状腺がんと原発事故とは関係ない」と言ってもらいたい人もいると思うが、その〈本当の原因〉について知りたい人もたくさんいる。

◇ 県がおこなう健康調査の「機械(の性能)がよい」と福島県立医科大学の人たちはしきりに言うが、検査は1分そこそこ、あっという間に終わってしまう(ので、その言い方はあまり信用できない)。

◇ 甲状腺検査は、次の検査まで「2年待つ」のではなく、(これだけ多くの小児甲状腺がんが出て来ているのだから)直ちに追跡検査をしてほしい

◇ 一部の人からは「福島県立医科大学の人たちのことを疑っているのか?」とか「過敏すぎる」などと言われることもあるが、そうではない――。自分の家族に関することだから、あれだけの事故があって、そのように考えるのが当然だ。



 当初、福島県立医科大学の関係者らは「チェルノブイリ事故では、小児がんの増加は4年後から」として、いま見つかっている小児甲状腺がんと原発事故との因果関係を否定している。それでは、もうすぐ訪れる〈事故後4年〉経ってからの小児甲状腺がんについては、原発事故との因果関係を認めるのだろうか。それよりも何よりも、それまでの間、私たち大人が、子どもたちを低線量被ばくの危険にさらしたままにしておいてよいはずがない。

 6月9日の集会では、〈ふくしま集団疎開裁判〉弁護団からは次のような言葉も聞かれた――「今回の原発事故は、福島の子どもたちにとって、本当に一生にあるか無いかのようなひどい事故だが、この事故をひとつのきっかけとし(て、山村留学等を実現させ)て新しい人生をきり拓いてもらうぐらいのつもりで、私たちも今後のことを前向きに考えている」

 〈ふくしま集団疎開裁判〉の弁護団や支援者らの素晴らしいところは、「1mmでも事態を好転させるチャンスがあれば、それに賭けて行動を移していく」というところである。福島の子どもたちを、小児甲状腺がんのみならず、白血病、心臓疾患等から救うために、より多くの人たちの連帯を期待したい。

(了)


都内の地下鉄にて。写真のわきにはこんな文章が添えられている。「とくに、この時期の野菜は彩りも味わいも、とっても豊か!みずみずしくて爽やかで、心も晴れやかになる味わいです」

  《関連サイト》

◎〈ふくしま集団疎開裁判〉公式ブログ

 http://fukusima-sokai.blogspot.jp/

◎ BMJ〔British Medical Journal〕公式サイト

 http://www.bmj.com/

◎ チェルノブイリへのかけはし

 http://www.kakehashi.or.jp/

◎ 福島原発告訴団・静岡 

 http://kokusoshizuoka.wordpress.com/

    


ジュネーブの国連人権理事会に、福島の惨状を伝えに行った

2013-06-21 12:18:49 | 日記

ジュネーブ報告記 人間になるために(弁護団 柳原敏夫)
以下は、10月28日~11月1日、ジュネーブの国連人権理事会に、福島の惨状を伝えに行った
疎開裁判の弁護団の柳原敏夫の報告

***************************

人間になるために
(ジュネーブ報告記)
ふくしま集団疎開裁判 弁護団 柳原敏夫

世界中の皆さんへ
私達を守ってください。助けてください。
子どもの健康を守ってください
これ以上、放射能被ばくをさせないで下さい
日本政府がやらない移住を助けて下さい
世界の常識で我々を救って下さい
私達を直接調査して下さい、本当の姿を見るために
子供達は我慢の限界です
                 井戸川克隆 双葉町長


1、はじめに
なぜ国連に行ったのか。3.11以来、福島の人々、とりわけ子どもたちは前代未聞の危険な状態に置かれ、なおかつ愚劣極まりない非人間的な扱いを受け、このままでは奴隷か生きる屍(しかばね)と変わらない存在に貶められてしまうから。そこから抜け出し、人間となるために。


今回、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に福島の惨状を訴えることを決めたものの、双葉町長の井戸川さんと共に行くメンバーが最後まで決まらなかった。「あなたが行くべきだ」という妻の声に背中を押されて私が行くことになった。パスポートのなかった井戸川さんが途中で迷子になったり、誘拐されないためにもボディーガードが必要だった。
5日外泊したのは親父の介護以来初めてのことで、家族のおかげで彼の命はつながった。帰国して、彼を「ベンジャミン・バトン」のラストシーンのように、2度目の育児を30年ぶりにするような気持ちで、命に対する感情に襲われながら接することができる気がした。

1917年、新潟県佐渡島に生まれた今年95歳の親父は、戦前、生来の人柄と大陸での生活のおかげでお人好しの極限形態みたいだったのが終戦前夜の1ヶ月余りで突然変異を起こし人格が豹変した。それまで特に何も考えない極楽トンボが、1ヶ月で、誰が何と言うとぜったい撤回しない不動の確信を持った反戦平和主義者に変貌してしまった。それまで、満州鉄道の下っ端職員とはいえ、植民地生活の特権の端くれを享受していた彼は、終戦前夜に至っても、大本営発表をうのみにして避難もしなかったふつうの市民だった。しかし、8月9日、ソ連参戦の報と同時に現地招集されて事態が一変した。ろくな装備もないズサンな軍隊としてソ連兵と向かい合う羽目となり、偶然にも命を落とさず終戦1週間後に武装解除を迎えたが、今度はソ連兵に捕まってシベリア抑留になるまいと、ドブネズミのように満州平野を逃げ回る羽目となった。昼間は草原に身を隠し、夜間に行動して、1ヶ月後に中国撫順市に辿り着いた。彼は自分が奇跡的に生き延びたことを、この1ヶ月の体験で知った、そこで見た、未だ語ることもできない、満州開拓民の家族たちの命が無惨に奪われていく光景と共にまざまざと知った。さらに、彼は次の真実を知った――自分は、戦争推進者たちが逃げのびるための「盾(たて)」として召集され、ソ連兵との戦闘の最前線に立たされたのだ。自分はただの兵士ではないのだ、いけにえにされたのだ!
おそらくこのとき、彼はそれまでの自分の無知を恥じ、「無知の涙」を流した。それまで行儀よくしつけられ、学校で社会で大本営発表をうのみにする羊のようにマインドコントロールされた自分のタガが外れて、満州の荒野でドブネズミになってみて、初めて見えてきたものがあった。このとき彼は人間になったのだ。それが、戦争と平和に対する彼のその後の態度を決した。彼は終生この認識を手放そうとしなかった。

今回、スイス・ジュネーブの国連に行くときに思い出されたのがこのことだった。つまり、福島に生まれた人たちもこれと同じ目に遭っているのではないのか。

3.11の原発事故は、私にとって自分があと百年どころか、千年生き永らえたとしても二度と体験できないと思えた未曾有の事故だった。しかし、当時、この認識を回りの人々と共有することは困難だった。というのは、この惨害は原発周辺以外は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚に頼る限りぜったい理解できないものだから。ひとたび日常感覚に頼ってしまったら、3.11以後の光景も3.11以前と何も変わらない、つまり事故はなかったも同然に見えるから。

しかし、たとえ放射能の異常を日常感覚で理解することが困難でも、日常感覚で理解可能な異常事態が1つだけあった――政府・原子力ムラ・御用学者・御用マスコミの対応ぶりである。それまで羊のように大人しく飼いなされていた私たち市民もさすがに「福島県の学校の安全基準を20倍にアップする」「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」‥‥に天と地がひっくり返る位思い切り翻弄された。天と地がひっくり返る極限形態が戦争である。普段なら殺人という凶悪犯罪が戦争では英雄行為と賛美される。普段なら不登校、辞職といった離脱(逃走)行為が戦争では死刑に処せられる重大犯罪とされる。この意味で、3.11以後、私たちは戦争状態にある、福島原発から放出された大量の放射性物質から発射される放射線の絶え間のない攻撃という意味での核戦争の中に。

ふくしま集団疎開裁判が起こされた郡山市に何度か通ううちに、郡山市が事実上戒厳令状態にあることを知った。ここに住む以上、人々は、正直に、思ったままのことを言うことはできない。
それは福島県の殆どの市町村も同様である。
のみならず、日本全体も、事実上、戒厳令状態にあることが判明した。世界では、いま、福島の子どもたちの救済を求める様々な声が上げられている。ノーベル平和賞を受賞した医師の国際的団体「核戦争防止国際医師会議」は、昨年と本年の8月に、くり返し、以下のように述べ、年間1ミリシーベルトを超える地域に住む子どもたちの避難の必要性を表明した。
「国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要です。私たちはそれ以外に方法はないと考えます。」(11.8.23原文)
「一般公衆の医療行為以外での付加的な被ばくの許容線量は、すべての放射性核種に対する外部被ばくと内部被ばくの両方を含めて、合計年間1ミリシーベルトに戻されるべきです。これは特に子どもと妊婦にとって重要であり、一刻も早く実施されるべきです。」(11.8.23原文)
「子どもや子どもを出産できる年齢の女性の場合には1ミリシーベルトを超えることが予想されるときには、彼らが移住を選択する場合に健康ケア、住居、雇用、教育支援および補償が公正かつ一貫した形で受けられるようにしなければならない。」(12.8.29原文)


しかし、いったい日本の医師たちのどの団体から、これと同様の避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
「教え子を再び戦場に送るな」から戦後をスタートにした日本の教師たちと教育者たちのいったいどの団体から、同様の、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
これまで、憲法9条を守れと叫ぶ平和主義者や文化人たちのいったいどの団体から、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
山本太郎さんはいつも言う--なんで、疎開裁判なんて起こさなければいけなかったのか。おかしいじゃないか。裁判なんかするまでもなく、子どもを救うために、国も大人も率先して動くのが当然じゃないか。なんで動かないのか。
この異常極まりない事態はいったい何に由来するのか。
それは、いま、日本が再び、ある種の戦争状態に突入したからで、日本全体が見えない戒厳令状態にあり、多くの専門家、知識人、文化人たちが、「命を守る」のではなく「祖国防衛」(経済復興)の側に回ってしまったからにほかならない。

であれば、戒厳令のない場所で、福島の惨状を訴えよう。これを試みない理由はない。それ以後、この認識を共有できる人をひそかに求めていた。そこで出会ったのが双葉町長の井戸川さんだった。10月30日の本番2週間前、それまで一度しか会ったことのない私に、彼は「ジュネーブに行きたい」と言い出した。福島の惨状、福島の真実を世界に伝えるという伝道者としての決意がそれを言わせたのだ。それは冒頭に紹介した彼の原稿に現れていた。

これまでに何度も述べた通り(8.24官邸前スピーチ「なぜ福島の子ども達の集団疎開は検討すらされないのか」など)、日本政府くらいチェルノブイリ事故から学び尽くした者はいない。彼らのSPEEDIの情報隠しも、避難地域拡大防止のためにソ連政府が行なった情報隠しから学んだ成果の実行にすぎない。
チェルノブイリ事故でソ連政府がタブーにした最大のものが2つあって、その1つが子どもたちの被ばくデータである(「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のプロデューサー七沢潔「原発事故を問う――チェルノブイリからもんじゅへ」137頁)。日本政府もソ連政府の忠実な教え子として、子どもたちの集団避難をタブーと決めた。
なぜ、そのような決断をしたのか――ベトナム戦争の米軍による枯葉剤散布で最も深刻な被害が出たのは子どもだったように、長期にわたる低線量被ばくによる最大の被害は子どもに出るから。こどもたちの被ばくに関するデータが明らかになると、原発事故で子どもたちがどれほど深刻な、どれほど悲惨な被害を受けるか、これが人々の前に明らかになる(チュルノブイリ事故で多重先天障害を負った子どもたちの写真参照)。なおかつ、深刻な被ばくから子どもたちを救うために集団避難を実施するとどれくらい大規模なプロジェクトになるか、これも人々の前に明らかになる。その結果、誰もが、二度と、決して、原発事故はあってはならないと、深く確信するようになる。そして、二度とこのような悲惨な事故を起こさないために、二度と、決して、原発は稼動してはならない、廃炉にするしかないと、深く確信するようになる。多くの人々がこの不動の確信を持つに至ること、それをソ連政府も日本政府も最も怖れた。だから、必死になって子どもたちの被ばくデータを隠すことを決めた。

真実は――ふくしまの子どもたちは、原発推進者たちが今後とも原発推進をやり続けるために、「原発事故が起きてもたいしたことはない、問題ない。」と言い続けるための「盾(たて)」として使われたのだ。子どもたちは福島県立医大のただの患者ではない、原発推進者たちの最大の犠牲者、否、彼らが生きのびるためのいけにえにされたのだ!

これ以上考えられないほど理不尽極まりない不正義に対して、はっきりノー!という声を上げる者がいるぞを世界に示すのが今回のスイス・ジュネーブの国連行きの目的だった。
だが、国連はIAEAのような国際原子力ムラの牙城ではないのか?しかし、我々が行ったのは国連の人権理事会である。それは人類普遍の原理である人権を鏡として問題を明らかにする場である。
人権を定めた憲法の基本書(例えば宮沢俊義「憲法Ⅱ」(法律学全集))を一度でも手にしたことがある人なら、もともと近代憲法の出現が世界史の奇跡であることを知るはずである。なぜなら、それまでの法律は我々市民に対し「~してはならない」と命じるものであったのに対し、近代憲法において初めて、市民ではなく、国家に対し、お前は「~してはならない」と命じ、しかも、我々市民の生命・自由・人権を奪ってはならないと命じたからである。このとき天と地がひっくり返ったのである。それは世界史の奇跡と呼ぶほかない(国家主義者たちはこの事実を隠そう、隠そうと必死だが)。
その近代憲法が定めた人権の本質が「抵抗権」である。それは「個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めない訳にはいかない。抵抗権を認めないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすること」(宮沢俊義「憲法Ⅱ」173頁)だからである。
しかし「抵抗権」とはさかのぼれば、生命そのものを鏡にして得られた理念である。なぜなら、自然界では生命体も含めてすべての物理現象に押し寄せるエントロピー増大の法則が存在するが、生命とは、この「無秩序に向かうエントロピー増大の法則にたえず抵抗して、生命体の秩序を維持するあり方」(福岡伸一氏が命名した「動的平衡」〔生物と無生物のあいだ〕164頁~)のことであり、この意味で抵抗とは生命そのものの営みである。私たちの「生きたい!」という渇望と行動が「抵抗」そのものなのである。「生きたい!」という渇望・行動が止まない限り、「抵抗」が止むこともない。逆に「抵抗」をやめたとき、それは生きる屍である。生きる屍はなく、生きた人間となるために抵抗が不可欠なのである。「命を守る」私たちの取組みこそ人権理事会で取り上げる議題として最もふさわしい。

18世紀に世界史の奇跡として出現した近代憲法(ヴァージニア憲法3条やフランス人権宣言など、これらは改めて声に出して読みあげる価値がある)は、人類普遍の原理として300年後の「命を守る」私たちの取組みに尽きることのない勇気と激励を鼓舞してくれる。その人権宣言を詩(うた)にしたのが、同じ18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクである。彼の預言詩『ミルトン』(Milton)の序もまた世界史の奇跡のように、私たちに無限の勇気と激励を与えてくれる。以下はその21世紀版である。

And did those feet in ancient time,
Walk upon Fukushimas mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Fukushima pleasant pastures seen!

古代 あの足が
ふくしまの山の草地を歩いたというのか
神の聖なる子羊が
ふくしまの心地よい牧草地にいたなどと

And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?

神々しい顔が
雲に覆われた丘の上で輝き
ここに エルサレムが 建っていたというのか
こんな闇のサタンの工場のあいだに

Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

ぼくに燃える黄金の弓を
希望の矢を
槍を  ああ 立ちこめる雲よ 消えろ
ぼくに炎の戦車を 

I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand,

精神の闘いから ぼくは一歩も退かない
この手のなかでぼくの剣を決して眠らせておかない

Till we have built Jerusalem,
In Japanese green and pleasant Land.

心地よいみどりのニホンの大地に
エルサレムを打ち建てる日まで

(12.11.15 柳原敏夫)