いつもの日記に入る前に、1941年の今日12月8日はどんな日であったのでしょうか?「日中戦争が泥沼化する中で日本が行った仏印進駐(1939年、北部/41年、南部)などによって、アメリカは1941年、石油・鉄くずなどの輸出を禁止し、日米間の外交は行き詰まりました。そこで日本軍は南進つまり東南アジアを侵略し、油田地帯を占領することで石油を確保しようと考えましたが、それは対米英開戦を意味し、マレー半島侵攻とハワイ真珠湾攻撃の同時作戦を決定したのでした。・・・ 12月8日未明、英領マラヤのコタバルに日本軍先遣隊が上陸を開始、イギリス軍との戦闘が始まりました。」【アジア・フォーラム横浜ニュースレター】より) そして、真珠湾を奇襲するとともに、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦を布告し、アジア・太平洋戦争に突入しました。その突入した日が今日、12月8日。テレビ・新聞などのメディアはほとんどこのことを報道しないでしょう。故意に無視していると思う。 8日・・・日本軍、南京城包囲を完成。「南京の真実」(ラーベ著:講談社より) 今日の午後、ボーイの張がかみさんを鼓楼病院から連れ帰った。まだすっかりよくなったわけではないが、時が時だけにどうしても子どものそばにいたいというのだ。残りの家族が40マイルも離れたところにいるといって、張は嘆いた。病気の曹の仕事を一部、引き受けていたので迎えに行く時間がなかったのだという。だれもそれを私に言ってくれなかった。だから、張の身内はとっくに全員ここに来ているとばかり思っていたのだ。かわいそうだがもう手遅れだ。・・・・・・・・・・ 何千人もの難民が四方八方から安全区へ詰めかけ、通りはかつての平和な時よりも活気を帯びている。貧しい人たちが街をさまよう様子を見ていると泣けてくる。まだ泊まるところが見つからない家族が、日が暮れていく中、この寒空に、家の蔭や路上で横になっている。我々は全力をあげて安全区を拡張しているが、何度も何度も中国軍がくちばしをいれてくる。いまだに引き揚げないだけではない。それを急いでいるようにも見えないのだ。城壁の外はぐるりと焼き払われ、焼き出された人たちが次々と送られてくる。我々はさぞまぬけに思われていることだろう。なぜなら、大々的に救援活動をしていながら、少しも実があがらないからだ。・・・・・・・・ 我々はみなお互い絶望しかけている。中国軍の司令部にはほとほと手を焼く。せっかく揚げた安全区の旗をまたもや全部持っていかれてしまった。安全区は縮小されることになったというのだ。大砲や堡塁(ほうるい)のために予備の場所がいるからだという。どうするんだ?そうなったら、何もかも水の泡になってしまうかもしれないじゃないか。日本軍にかぎつけられたらおしまいだ。おかまいなしに爆撃するだろう。そうなったら、安全区どころか場合によっては大変な危険区になってしまう。明日の朝早く、境界をもう一度調べてみなければ。・・・・・・・・ 「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より 12月8日(水)今朝9時、避難民受け入れの訓練を行い、その要領を把握した。・・・地域住民は寄宿舎に入ってもらい、無錫(むしゃく)などの都市からの避難民は中央棟に収容することにしている。地域住民の世帯には隣保館で生活することを許可しており、そこは、すでにかなりいっぱいになっている。・・・・ 今夜は、初めての避難民を受け入れている。彼女たちが聞かせてくれる話は、何と心の痛む話だろう。中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。 赤色の丸に十字の「安全区」の旗がきょう掲揚された。 今夜の私は、容貌は60歳、気持ちは80歳だ。避難民の受け入れを手伝いたかったので、記者会見には参加しなかった。・・・・・・・・ アメリカ大使館の通達には次のように書かれている。「諸外国の外交官の撤去にともない、残留アメリカ大使館員は今晩アメリカ砲艦パナイ号に乗船し、同艦内に臨時の大使館事務所を開設する。大使館員は、明日の日中は陸上の大使館に戻るものとする。下関門閉門の情報が入った場合には、パナイ号は三汊河の現在の碇泊(ていはく)地点から運行を開始する。南京城壁の乗り越えに用いるロープは、M・Sベイツ博士に保管してもらうことになっている・・・・。」 「Imagine 9」【合同出版】より 武器をつくったり 売ったりしない世界 「武器はどこから来るのでしょうか?ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。
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