「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
歩兵第65連隊第7中隊の大寺隆上等兵の陣中日記はこう書きとめている。
12月18日・・・昨夜まで殺した捕虜は約2万、揚子江に二ヶ所に山のように重なっているそうだ。7時だが未だ片付け隊は帰ってこない。
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
最高司令長官がくれば治安がよくなるのかもしれない。そんな期待を抱いていたが、残念ながら外れたようだ。それどころか、ますます悪くなっている。塀を乗り越えてやってきた兵士たちを、朝っぱらから追っ払わなければならない有様だ。なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、私を見るとすぐにさやをおさめた。 私が家にいる間は問題はない。やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。だが、中国人に対してはそうではなかった。兵士が押し入ってきた、といっては、絶えず本部に呼び出しがある。そのたびに近所の家に駆けつけた。日本兵を二人、奥の部屋から引きずり出したこともあった。その家はすでに根こそぎ略奪されていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
中国人が一人、本部に飛び込んできた。押し入ってきた日本兵に弟が射殺されたと言う。言われたとおりシガレットケースを渡さなかったから、というだけで!・・・・・
家に着くと、ちょうど日本兵が一人押し入ろうとしているところだった。すぐに彼は将校に追い払われた。その時近所の中国人が駆け込んできた。妻が暴行されかかっているという。日本兵は全部で4人だということだった。我々は直ちに駆けつけ、危ないところで取り押さえる事ができた。将校はその兵に平手打ちを食らわせ、それから放免した。 再び車で家に戻ろうとすると、韓がやってきた。私の留守に押し入られ、物をとられたと言う。私は体中の力が抜けた。・・・・・
次から次へと起こる不愉快な出来事に、実際に気分が悪くなってしまったのだ。・・・・・・・
18時
危機一髪。日本兵が数人、塀を乗り越えて入り込んでいた。中の一人はすでに軍服を脱ぎ捨て、銃剣を放り出し、難民の少女におそいかかっていた。私はこいつを直ちにつまみ出した。逃げようとして塀をまたいでいたやつは、軽く突くだけで用は足りた。・・・・・・・・・・・
寧海路五号にある委員会本部の門を開けて、大勢の女の人や子供を庭に入れた。この人たちの泣き叫ぶ声がその後何時間も耳について離れない。我が家のたった500平方メートルほどの庭や裏庭にも難民は増えるいっぽうだ。300人くらいいるだろうか。私の家が一番安全だということになっているらしい。私が家にいる限り、確かにそういえるだろう。そのたびに日本兵を追い払うからだ。だが留守のときは決して安全ではなかった。・・・・・
悲しいことに、鼓楼病院でも看護婦が何人か暴行にあっていた。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月18日 土曜日
今は毎日が同じ調子で過ぎていくような気がする。これまで聞いた事もないような悲惨な話ばかりだ。恐怖をあらわにした顔つきの女性、少女、子供たちが早朝から続々とやってくる。彼女たちをキャンパス内に入れてやることだけはできるが、しかし、みなの落ち着く場所はない。夜は芝生の上で眠るしかない、と言い渡してある。具合の悪いことに、寒さがかなり厳しくなっているので、これまで以上の苦痛に堪えなければならないだろう。比較的に年齢の高い女性はもちろんのこと、小さい子供のいる女性に対しても、未婚の少女たちに場所を譲るため、自宅へ帰るよう説得を強めているところだ。・・・・・・・・
たいていの場合、立ち退くように説得すればそれですむのだが、中にはふてぶてしい兵士がいて、ものすごい目付きで、ときとしては銃剣を突き付けて私をにらみつける。今日南山公寓へ行き、略奪を阻止しようとしたところ、そうした一人が私に銃を向け、次には、一緒にいた夜警員にも銃を向けた。 昨夜恐ろしい体験をしたことから、現在、私のいわば個人秘書をしているビック王を同伴して日本大使館へ出向くことにした。・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで、私たちの困難な体験のこと、また金曜日の夜の事件のことも報告し、そのあと、兵士たちを追い払うために持ち帰る書面と、校門に貼る公告文を書いてほしいと要請した。両方とも受け取る事ができて、言葉では言い表せないほど感謝しながら戻ってきた。田中氏は物分りのよい人で、心を痛めていただけに、自らも出向いて、憲兵二人に夜間の警備をさせるつもりだ、と言ってくれた。降車する際大使館の運転手にチップを渡そうとすると、運転手は、「中国人が壊滅的な打撃をまぬかれたのは、ごく少数ではあるけれど外国人が南京にいてくれたからです」と言った。
もしこの恐るべき破壊と残虐が抑止されないとしたら、一体どういうことになるだろうか。
昨夜はミルズと二名の憲兵が校門に詰めてくれたので、久しぶりに何の憂いもなく安らかに就寝できた。 私がこの執務室でこれを書いている今、室外から聞こえてくるわめき声や騒音をあなたたちに聞いてもらえたらよいのだが。この建物だけで600人の避難民がいると思うが、今夜はきっと5000人がキャンパスにいるのではないだろうか。今夜はすべてのホールに、そしてベランダにも人があふれていて、ほかには場所がないため、彼女たちは渡り廊下で寝ている。・・・・・・・
「Imagine9」解説【合同出版】より
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界
「反応ではなく予防を」。これは、2005年にニューヨークの国連本部で開かれた国連NGO会議(GPPAC世界会議)で掲げられた合言葉です。紛争が起きてから反応してそれに対処するよりも、紛争が起こらないようにあらかじめ防ぐこと(紛争予防)に力を注いだ方が、人々の被害は少なくてすみ、経済的な費用も安くおさえられるのです。 紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題が持ち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処する事が必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいと言えます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手におえなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。
2005年、国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくる事が大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。