1937年 南京 12月23日

2008-12-23 14:05:49 | Weblog

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
  12月23日 昨夜、総領事館警察の高玉清地親氏来宅。外国人が受けた物的損害の一覧表を作ってもらいたいとのこと。外国人が住んでいる、あるいは住んでいた家のリストを、なんと今日の昼までに作らなければならない。・・・・・・
 地区ごとに分担を決め、時間までにちゃんと仕上げた。それによると、ドイツ人の家で略奪にあったのは38軒。うち、一軒(福昌飯店)は燃やされてしまった。だがアメリカ人の被害はるかに甚大だ。全部で158軒にものぼる。
  リストの完成を待っていた時、ボーイの張が息せき切ってやってきた。日本兵が押し入り、私の書斎をひっくり返して、2万3千ドルほど入っている金庫を開けようとしているという。クレーガーと一緒にかけつけたが、一足違いで逃げられた。金庫は無事だった。 
  昼食の時、日本兵が3人、またぞろ塀をよじ登って入ってきたので、どやしつけると、もう一度塀をよじ登って退散した。・・・・・・
  私が本部に戻る直前、またまた日本兵が、塀を乗り越えようとしていた。今度は6人。・・・・・・・
  思えば、こういう目にあうのもそろそろ20回ちかくなる。
 午後、高玉氏に断固言い渡した。私はこういううじ虫を2度とわが家に踏み込ませない。命がけでドイツの国旗を守ってみせる。それを聞いても高玉は動じる様子もない。
 肩をすくめ、それで一件落着だ。「申し訳ないが、警官の数が足りないので、兵隊の乱暴を抑える事ができないんですよ」  
  6時。家へ向かって車を走らせていると、中山路の橋の手前が炎に包まれていた。ありがたいことに、風向きはわが家と逆方向だった。・・・・・・・これが組織的な放火だということぐらい、とっくにわかっている。・・・・・・・・ 
  わが家の難民たちは、雨の中、庭でひしめきあい、おそろしくも美しく燃えさかる炎を息を呑んで見つめていた。もしここに火の手がまわったら、この人たちはどこにも行き場がないのだ。彼らにとっての最後の希望、それが私だけなのだ。 ・・・・・・・・ 
  クリスマスだからといって、友人の靴屋が古いブーツの底を張り替えてくれた。そのうえ、皮の双眼鏡カバーまで作ってくれたのだ。お礼に10ドル渡した。ところが靴屋は黙って押し戻した。張が言った。「そりゃ、受け取れませんよ」私に深い恩があるから、というのだ!
 今日、シンバークが棲霞山から持ってきてくれた手紙には(彼は、江南セメント工場~南京間を1時間半で往復できる)、棲霞山の1万7千人の難民が日本当局にあてた請願書が添えてあった。あちらでもやはり日本兵が乱暴のかぎりを尽くしているのだ。

 

  「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
   12月23日 木曜日 
   クリスマスまであと2日。例年のこの時期のキャンパスとは大違いだ。・・・・・・
 午後2時、高級軍事視察員が将校3名を伴って来訪し、難民が生活している建物の視察を要望した。城内が平穏になりしだい、避難民に帰宅を促すつもりであることをくり返し伝えた。城内の事態はよくなってきているので、避難民たちはすぐに帰宅できると思う、と彼らは言っている。
 私たちの隣人で、虎踞関路からやってきた孫さんは、現在はキャンパスの東の中庭で生活している。彼女の話では、昨夜、60人ないし100人ほどの男性(ほとんど若者)が金陵寺南方の小さな谷間へトラックで連れて行かれ、機関銃で射殺されたあと、一軒の家に運び込まれ、火をつけられたそうだ。私は夜間に見られる多くの火災は、略奪や殺戮を隠蔽するために起こされたものではないかと、ずっと以前から疑っていた。学院の使い走りの少年も生物学科の使用人の息子も殺されてしまったのではないかと、ますます心配がつのる。
 食料はますます乏しくなってきている。ここ何日間も肉は食べていない。いまや街ではどんな品物も買えない。鶏卵や鶏肉さえも、もはや手に入らない。
 今夜は8時30分に消灯する。人目につくといけないので、実験学校ではろうそくしか使っていない。
 道路が開通したらすぐにも、フランシス陳、李さん、陳さんを南京から脱出させたいと思っている。というのも、若い人たちはあまり安全ではないと思うからだ。
 メリー・トゥワイネンの家が徹底的に略奪された。外国人が家の中にいればともかく、そうでない場合にはほとんどの住宅が略奪をこうむった。みな忙しいので、家にいることなど不可能だ。
 今日は雨が降っている。ベランダで寝ている人たちを、ともかく建物の中に押し込まなければならない。これまで数週間も続いた晴天は大いなる恵みだった。

 

  「Imagine9」解説【合同出版】より

 9条がゆきわたった世界

 「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。

 

  日本国憲法

 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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