12月10日、中シナ方面軍参謀副長 武藤章大佐と同参謀 中山寧人(やすと)少佐は、通訳官をともなって中山門ー句容街道において午後一時まで投降勧告の「回答」を待っていたが、中国側の軍使は来なかった。・・・・こうして10日の午後から12日にかけて、昼夜を分かたず壮絶な南京城攻防戦が展開されることになった。「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月10日 不穏な夜だった。昨日の夜8時から明け方の4時ごろまで、大砲、機関銃、小銃の音がやまなかった。昨日の朝早く、すんでのところで日本軍に占領されるところだったという話だ。日本軍は光華門まで迫っていたのだ。中国側はほとんど無防備だったという。交代するはずの部隊が現れなかったのに、中隊をいくつか残しただけで、予定通り持ち場を離れてしまったのだ。この瞬間に日本軍が現れた。あわやいうところで交代部隊がたどりつき、かろうじて敵軍を撃退する事ができたという。今朝早く分かったのだが、日本軍は昨夜、給水施設のあたりから揚子江まで迫ってきていたらしい。遅くとも今夜、南京は日本軍の手に落ちるだろう、誰もがそう思っている。・・・・・・・・・・・・・ 東部では、決戦の準備が始まったらしい。大型の大砲の音がする。同時に空襲も。 このままでは、安全区も爆撃されてしまう。ということは、血の海になるということだ。道路は人であふれかえっているのだから。ああ、日本からの返事さえ、日本軍の承諾さえあれば!・・・・・・・・・・
今夜のうちに南京が陥落しても少しも不思議ではない、というのが大方の意見だ。とはいっても、今のところはまだその気配はないが、おもてはひっそり静まり返っている。婦人や子どもをふくめ、たくさんの難民がまたもや通りで眠っている。 深夜2時半 服を着たまま横になる。夜中の二時半、機関銃の射撃とともにすさまじい砲撃が始まった。榴弾が屋根の上をヒューヒューうなり始めたので、韓一家と使用人たちを防空壕へ行かせた。私はヘルメットをかぶった。南東の方角で大火事が起こった。火は何時間も燃え続け、あたりを赤々と照らし出している。家中の窓ガラスがふるえ、数秒ごとに規則正しく打ち込んでくる砲弾の轟音で家がふるえる。五台山の高射砲砲兵隊は狙撃され、応戦している。わが家はこの射線上にあるのだ。南部と西部も砲撃されている。ものすごい騒音にもいくらか慣れて、再び床に就いた、というより、うとうとした。こんなありさまでは眠ろうにも眠れるものではない。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
午前7時30分の時点では、爆弾はたぶん夜通し続くと思っていたが、ときおり街路を行き交う人の足音が聞こえる以外は、奇妙なくらい静かだった。朝7時に警戒警報が鳴ったが、いまだに飛行機の飛来はない。今は機関銃の銃声がはるか南の方角に聞こえる。依然として暖かく、晴天が続いている。・・・・
(前述のことを取り消さなければならない。朝食に行くと、ほかの人たちはみな、朝4時ごろまで夜通し銃声が聞こえたことを話題にしていた。どうやら、私のほうがすっかり疲れてしまって、物音は何も聞いていなかったようだ。) 引き続き今朝も難民がやってくる。かつての教職員宿舎はほぼ満員になっているし、中央棟も満員になりかけている。・・・・・・・・・・・・・
安全区の旗を掲揚するのを手伝うため、午後、F・陳と一緒に西の境界まで行った。希望としては、明日までにすべての中国軍に出て行ってもらい、その旨の電報を日中双方に送る事ができれば、と思う。外出中に激しい空襲があり、何発かの爆弾が神学校の西に投下された。私は、落下する爆弾のヒューッという音や対空射撃の閃光を初めて体験した。私たちは飛行機が頭上から去るまで塚の間に身を隠していた。 激しい撃ち合いがほとんど終日続いていた。日本軍が光華門のすぐ近くまで迫っているそうだ。
市外周辺のあちこちでほとんど一日中火災が目撃されている。今夜は西の空が真っ赤に染まっている。・・・・・・・・
今夜の記者会見では、南京が引き渡されたあとの難民の問題が提起された。この先数ヶ月間、誰が彼らの面倒を見るのだろうか。 城外に取り残された12歳の少女の母親は、ほとんど一日中校門の外に立ちつくし、群衆の中に娘がいないかと食い入るように見ていた。
「Imagine 9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。