日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
平頂山で何が起きたの?
未だ癒えぬ傷(平頂山事件 生存者の今)2005年
平頂山事件訴訟とは何だったのか
合唱朗読構成 「再生の大地」ー撫順戦犯管理所(短縮版)
南京大虐殺
南京大虐殺(マギーフィルム)
パネー号撃
苦干(重慶無差別爆撃)
ニュース257号
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
ビタミンC
本種は抗壊血病性に作用し、それがオレンジ、レモン、トマト等にたくさんあることも一般より認められている。Szent-Gyorgyi(1928)が牛の副腎等から還元性のあるC5H5O6なるものを分離しこれがAscorbin酸であり、同氏、Tillmann,King等によって、抗壊血病性に作用することが知られたのである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅱ
5月28日と7月8日の2度にわたり、彼は陸軍が中国山東省に部隊を派遣することに同意したのである。その名目は、北京に向けて北上する国民党軍兵士の攻撃から日本人居留民を保護するためだった。それから1年足らずの1928年4月19日、天皇は再度の出兵を裁可した。このときは、陸軍中将福田彦助に率いられた第6師団の5000の部隊が、日本の紡績業が集中し、かつては日本が占領していた山東省の青島に向かった。彼はこれを裁可するとき、まず侍従武官長の奈良に、干渉が1920年にロシア極東の町ニコラエフスクで起きたような、日本人の虐殺を引き起こさないだろうかと尋ねた。そうはならないだろうと奈良は答えた。