妊娠がわかって最初の診察から始まるのは英語のやりとり。
そうでなくても病院というところでは余計な質問をして良いのか
と気を回し、タイミングを逃してしまうもの。
しかし、ここは外国。
聞かなきゃ、言わなきゃと肝に命じました。
この本の実用的且つ豊富な英文質問例から引用したり、参考にして
単語を入れ替えて作文し、ノートに纏めました。
毎回、診察に入るとすぐそれを見てもらいました。(英文は次の検診日
までに準備すればいいので、日本人の得意な読み書きが活かせます。)
これは英語は分かるけれど、その場でポンポン聞いたり、話したり
するのは苦手なのだと相手に伝わって良かったと思います。
日本的な以心伝心を期待せず、「もうすこしユックリ話してください」
「なんとおっしゃったか分からなかったので、書いてもらえますか?」
と勇気を出して頼みました。
毎回、電子手帳を持っていき、ちょっとした単語のつまずきなら
待ってもらえるので、その場で検索したりしました。
ちょっとしつこいかしら?という質問をしたいとき。
その場に居ない主人に悪者になってもらえば角が立たないので、
「夫が聞けと」「帰ったら夫に説明したいから」「これはしないですね」
「これは○○の検査ですね?」などと曖昧な点を残さないようにしました。
こうした努力は、ごく当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが
案外と気力を要します。今振り返っても、検診前は予約から緊張して
いたものでした。
でも、海外出産は自分の一存で決めたこと。せめて「ハンガリーで
産んだからこうなったと言わない」、「考えられることは全部やった
のよとbabyにいえるように」、「日本でしても後悔する人はする」と
考えるようにしました。
空気を読む、行間を読む、というのが習慣化している日本人にとって
「分かっていることもあえて言葉にして確認を怠らない」ほどの
積極的なコミュニケーション姿勢を保つのは容易ではありません。
それでも、おなかにいる赤ちゃんを思うと段々「母は強しだ、
私にもできるはず」と強くなっていけました。^-^
また、今の時代、日本の本やインターネットを通じて、日本と海外で
異なる妊娠中の診察過程も有る程度確かめておけたので、助かりました。
そして、医師や助産士さんの側から見ても「(言語の違いで)あやふや
な理解のまま出産に臨むひと」よりは「自分でも調べてくるひと」
「ゆっくりで地道でも意思疎通しようと積み重ねるひと」が歓迎される
のだなと感じました。
出産までの何度も有る検診の間に、先生と助産士さんが私のつたない
英語のクセを知り、何を不安に思い、どういうことを心配するかを知り、
私という人間に慣れていきました。
そして私もまた、先生や助産士さんの英語やお人柄に慣れる・・・。
それは、互いの信頼が蓄えられた過程といえました。
不安な出産の瞬間を支えたものは、あの信頼感だったと今も思います。
そうでなくても病院というところでは余計な質問をして良いのか
と気を回し、タイミングを逃してしまうもの。
しかし、ここは外国。
聞かなきゃ、言わなきゃと肝に命じました。
この本の実用的且つ豊富な英文質問例から引用したり、参考にして
単語を入れ替えて作文し、ノートに纏めました。
毎回、診察に入るとすぐそれを見てもらいました。(英文は次の検診日
までに準備すればいいので、日本人の得意な読み書きが活かせます。)
これは英語は分かるけれど、その場でポンポン聞いたり、話したり
するのは苦手なのだと相手に伝わって良かったと思います。
日本的な以心伝心を期待せず、「もうすこしユックリ話してください」
「なんとおっしゃったか分からなかったので、書いてもらえますか?」
と勇気を出して頼みました。
毎回、電子手帳を持っていき、ちょっとした単語のつまずきなら
待ってもらえるので、その場で検索したりしました。
ちょっとしつこいかしら?という質問をしたいとき。
その場に居ない主人に悪者になってもらえば角が立たないので、
「夫が聞けと」「帰ったら夫に説明したいから」「これはしないですね」
「これは○○の検査ですね?」などと曖昧な点を残さないようにしました。
こうした努力は、ごく当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが
案外と気力を要します。今振り返っても、検診前は予約から緊張して
いたものでした。
でも、海外出産は自分の一存で決めたこと。せめて「ハンガリーで
産んだからこうなったと言わない」、「考えられることは全部やった
のよとbabyにいえるように」、「日本でしても後悔する人はする」と
考えるようにしました。
空気を読む、行間を読む、というのが習慣化している日本人にとって
「分かっていることもあえて言葉にして確認を怠らない」ほどの
積極的なコミュニケーション姿勢を保つのは容易ではありません。
それでも、おなかにいる赤ちゃんを思うと段々「母は強しだ、
私にもできるはず」と強くなっていけました。^-^
また、今の時代、日本の本やインターネットを通じて、日本と海外で
異なる妊娠中の診察過程も有る程度確かめておけたので、助かりました。
そして、医師や助産士さんの側から見ても「(言語の違いで)あやふや
な理解のまま出産に臨むひと」よりは「自分でも調べてくるひと」
「ゆっくりで地道でも意思疎通しようと積み重ねるひと」が歓迎される
のだなと感じました。
出産までの何度も有る検診の間に、先生と助産士さんが私のつたない
英語のクセを知り、何を不安に思い、どういうことを心配するかを知り、
私という人間に慣れていきました。
そして私もまた、先生や助産士さんの英語やお人柄に慣れる・・・。
それは、互いの信頼が蓄えられた過程といえました。
不安な出産の瞬間を支えたものは、あの信頼感だったと今も思います。
babyちゃんを出産された時のbudapestlifeさんの経験は、これからここで妊娠、出産を考えている人(勿論私も含めて)にとって、色々な面での支えになっていることと思います。
しっかり自分で調べて、その内容を自分なりにまとめて、お医者様や看護師さんに質問する、というbudapestlifeさんの姿勢を、私も是非真似ようと思います。
あくまで個人的な考えを纏めていますが、ここからなにかピンときてくださるなら嬉しく思います。
出産については配慮すべき点が多く、普段以上に推敲を重ねる苦しい作業を要するのですが、pigletさんのようなエールを頂くと「もうすこし頑張ってみよう」と思えます。ありがとうございました。