墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

気仙沼地福寺三回忌法要に参列して

2013年03月22日 | つぶやき
3月9日から11日までの3日間、スジャータプロジェクトのメンバーで、気仙沼の地福寺で行われる三回忌法要に行って来ました。

9日はホテルに到着後野菜など材料の刻み作業、10日は朝から移動し気仙沼へ。ものすごい強風と、時折降る雨が冷たい、寒い寒い一日でした。
しかし、夕方法要が始まる時間には風が落ち着き雨も一旦やみ、静寂と暗闇の中、悲しみを癒すお経だけが響き渡りました。
この日のために駆けつけた沢山の和尚さんたちのお経を唱える声が、前からも横からも後ろからも聞こえ、多くの命を飲み込んだ海まで届いていたに違いありません。

残されたものも、ただただ悲しみと不安と恐怖の中にいた2年前。
あれから、この地福寺の和尚さんの強さと人徳と努力で救われたこの地。
我々もこの和尚さんがいたから、こうして縁がつながりました。
被災された方たちだけではできなかったことも、遠く離れたところから駆けつけた方たちと一緒に手を結び、復興への第一歩を踏み出すことができました。

共に歩む、共に生きる大切さを、私達も教えていただいた場所です。

このお寺は何度かご紹介しているのですが、築後3年にして被災し、入口の左に記してある高さまで波をかぶりました。
3分の2の檀家さんが亡くなり、今こうして無事3回忌の法要を迎えられるのも、沢山の協力者の方々のお力とご住職の常人離れしたパワーがあってこそです。

最初にたけしょうが被災地に行った時のレポートを、2011年8月号のあきねえだよりに書いているので御覧下さい。

【墓石クリーニングの女2011年8月号】

その時の地福寺です。





現在は…






49日に向けて作ったの祈りの塔です。お墓を流され、お骨もない檀家さんのための場所です。



現在は…




地福寺の和尚さんのお話を、以前あきねえだよりに書いたのでお読み下さい。

【墓石クリーニングの女2012年5月号】

そして、私が今回地福寺で一番にしたいと思っていたことをして来ました。
それは、欅の柱に触れ、祈りを捧げることです。



この柱について語った、地福寺和尚のお話を読んで下さい。

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気仙沼 地福寺のご住職のお話
~欅の柱~
気仙沼地福寺は大津波によって檀家の三分の二の命を奪われ、お寺も天井まで波と瓦礫が入り込みました。
「この建物はねほんとに檀家が心を込めてね、こんな立派な欅なんていいって言ったんだけど、わしらの言うこと聞いてくれって、こだわってみんなが魂込めて作ってくださって…うちの建設委員長も総代長もまだ見つかってないんだけど、これを一生懸命推進した実行委員長も見つかっていない。この間その弟さんと娘さんが来た。だからその話を話しました。ここにはオヤジさんの魂がこもってるんだ。それを聞いて娘が柱に抱きついて、お父さんって…泣いて帰りました。ま、来る度にお父さんを思い出せって言ってます。これはね、つまり形見なんですよ。」
49日の法要にむけ、沢山の和尚さんたちが集まり手作業で本堂をキレイにし、無事49日の法要をむかえることができたそうです。
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ほんとうに見事な欅の柱でした。

今回は、焼きそばや甘酒、建長汁、綿菓子、味噌こんにゃくなどを振る舞いました。
本堂では、追悼コンサートで庄野真代さんの生歌が聴け懐かしい「飛んでイスタンプール」は最高でした。








以前は海が見えなかったこの場所から、遠くに海は見えるようになりました。
少しづつ暮れていく様子が、印象的でした。






そして、午後7時、法要が始まる鐘がなりました。




周りには手作りされた竹細工の灯りが綺麗に揺れています。








日経新聞など、沢山の報道陣が取り上げた灯りはこの場所で撮られたものです。






法事が終わり、寒さに震えながら皆さんが帰路につく頃、空からチラチラと白いものが降って来ました。



11日は南三陸に移り、朝から「語りべバス」に乗りました。
実際、ご自身の自宅が流され、奇跡的に家族も助かったものの、沢山の友人知人をなくされた方のお話を聞きながら、南三陸の町を見て回りました。

前回行った時に写した写真です。






今回はコンクリートの塊に。




今年もまた、和尚さんたちが「防災対策庁舎」にてお経をあげて下さいました。






すると、一番最後にお焼香したはずのアタシの後ろには長蛇の列が。沢山の方が、一緒に手を合わせお焼香してくださったこと、嬉しく思いました。




このあと、韓国舞踊の先生をしてらっしゃる金さんが、ここで追悼の舞を踊って下さいました。






また、さんさん市場で子供達に「タコプリン」って帰路につきました。





今回、私が感じたことは、復興はこれからなんだということ。

病院や学校や消防署など、市民の生活にとても大切な機関もまた仮設です。
これから、山を切り開く所から始めなければならないそうです。
まだまだ、時間もお金もかかります。
気が遠くなりそうな復興への道のりを、地元の方だけに背負わせてはいけません。

「共に歩む。共に生きる」

これが大切だと、感じぜずにはいられません。

この国は、大きな災害や戦争の痛手からも立ち上がり、更に大きく進化を遂げてきた国です。

正しい道を選択し、また、子供達が安心して暮らせる国に戻れると、信じています。



最後に、私が作成をお手伝いさせていただいた、スジャータプロジェクトのパンフレット2号が、建長寺のHPにアップされていたので紹介します。

スジャータプロジェクトのパンフレット2号

(クリックするとページがめくれます。読んでみて下さい。)


















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