二日目、南相馬の仮設住宅で幸子さんの作ってくれた具沢山味噌汁を堪能し、朝早くに南相馬を出発!
この日のミッションは盛りだくさんだ!
朝起きると、いきなり母親に集合をかけられ、本日のミッションを言い渡される。
三人が少年野球時代についた習慣、集合。
アタシは、息子たちと同じ苦しみも喜びも味わいたい!と、野球チーム始まって以来初めてのママコーチをやり、子どもたちにもグランドでは「浦野コーチ」と呼ばせていた。
だから、ボールの持ち方も投げ方も、最初はアタシが教えた。
ホントは、野球のことなんにも知らなくて、本を読みながら教えていたんだけど。
他のコーチからは、低学年のお漏らしの世話や、甘える場所として重宝されていたかもしれない。
この時の「集合!」と言うと、ぱっと集まりコーチを注目する習慣が、かなり役にたっている。
ミッション其の1
陸前小野駅前仮設住宅集会所におのくん里帰りをさせ、姉やいとこへ、新人おのくんを仕入れてくること。
おのくん、ホントにかわいい。
【おのくんTOUR隊 募集】
カラフルモンキー「おのくん」は、宮城県東松島市「小野駅前応急仮設住宅」の人々の、住処であった。
東松島の復興を願って生まれた靴下を使って生まれた人形が、里親さんたちと繋がっていくことで、キャラクターになりました。
そして、おかあさんたちの居場所が出来ました。
「めんどくしぇ」とぼやきつつ、1人でも多くの人に東松島に来てほしいという思いが込められています。
おのくんプロジェクト
めんどくしぇおのくんHP
ミッション其の2
鮎川のその後を、自分の目て確認したい。
震源地に最も近い牡鹿半島。
ここには、何度も支援に訪れていた。
捕鯨で潤っていたこの町だけでなく、半島には小さい漁村が点在しており、それぞれかなりの被害があった。
漁業の復興は遅れ、若い人はこの土地を離れた。
この半島には大きな問題がある。仮設住宅はそれぞれの漁村単位で点在していることだ。
買い物するところも、病院も遠く、車がないと生活ができない状態。
年寄りだけで、暮らすには厳しい。
震災後、離孤島のようになったこの半島に、仙台で農業支援を受けながら野菜を作っていた農家から野菜を買い取りお届けする活動をお手伝いした。
少しでも賑やかにしよう!笑顔を取り戻して欲しい!と、通った。
牡鹿中学校の卒業式を盛り上げるために、豚汁の炊き出し、秋田名物ババヘラアイスをお届けしたこともある。
町内対抗リレーに飛び入り参加させてもらったのを、思い出す。
石巻行きの電車と並走
道はまだ悪く、防波堤もできていない。
黒い土のう袋が海との間に高く積まれている。
港は工事中。
以前のように、波をくぐって走るところはなかったが、あんまり変わっていない。
5年も経ったのに。
埼玉の会社の近くの道路は急ピッチで工事進んでるよ。
半島付け根にあるコンビニ。
ここで、産気づいた妊婦さんを救うため、駐車場に「HELP 病院へ」と書いた文字は半分残っていた。
その時救われた命も、5歳だ。
ますます、道が悪くなってきた。
でも、それよりも心配だったのは、実は坂道で30キロも出ないジムニー。
エンジン焼けちゃう??
一人おりて走るか。
待つか。
ダイエットか?
ジムニー、頼む!根性だ!!
牡鹿中が見えてきた!懐かしい!もうすぐだ! おのくん、車酔いか・・・
橋がグニャグニャ、変わってない・・・
鮎川港に無事到着!
あの頃お世話になった成田夫妻と再会!
港はとても整備されていた。
あの頃は、陥没して浸水し、船がつけられない状態だったのだから。
ミッション其の3
なんと!成田夫妻が金華山への船に乗せてくれた!!
金華山に渡り、金華山神社に参拝。
三回お参りすれば、一生お金に困らないと言われている。
息子たちをずっと連れて来たかった。
船は気持ちいい!
シードリーム金華山汽船
この、崩れかけた崖っぷちの脇を、ワゴン車が登っていく。
その辺のジェットコースターより、スリルがある。
こうして、しっかり金華山神社をお参りし、再び鮎川港へ。
港につくと、成田夫妻が待っていて、塩ウニとホヤをお土産に用意してくれていて!!
アタシがお世話になったというのに、至れり尽くせり・・・
本当に、ありがとうございました!
息子たちまで船に乗せてもらって、めちゃ喜んでました!!
金持ちになったら、めっちゃツアー組んで観光に大勢連れてきますから!!!
その後は、鮎川の復興市場へ。
実はね、ここだけの話だけど・・・
鮎川は思い出の場所なんだ。
初めて付き合った彼が石巻出身で、実家に遊びにきて、牡鹿半島を二人でドライブした。
クジラ博物館でクジラを初めて見て感動したんだけど・・・津波で破壊されて、今は何も無くなってしまった。
でもね、思い出は無くならないよ。
あの時見た綺麗な海は変わってないけど、道や家並みはかなり変わった。
元彼や家族のこと、石巻に行った時探したけど、わからなかった。
きっと、他の土地で元気にしていると信じている。
もし会えたとしても、相手が、変わり果てたアタシをわからないんじゃ??と、ある方に言われたし。
牡鹿の帰り道は、山の上を通り、女川へ向かった。が、坂道のぼらなーい!!
そして、女川へ。
女川では、あまりのダンプの数と砂埃がひどく、車を停めることもできなかった。
横倒しになっていた港の前の建物はなくなっていたし、港にある水産工場や市場?も立派になっていたけど、なんだか街を作るための地盤を固めている様子をみると、本当にこの土地に街が人が戻ってくるのだろうか?いや、今まで人が住んでいたんだろうか?と思えるほど、ただの土盛りしかない寂しい場所だった。
ミッション其の4
大川小学校でお参り。
ここで起きた悲惨な出来事は、息子たちもよく知っている。
というのも、長男と三男の母校である浦和学院は、石巻交流プロジェクトとして大原小学校、鹿妻保育所、北上中学校などに学習支援活動をしている。
「今、浦学にできること」という広報誌を作り、その活動を全校生徒やweb上でも公開している。
浦学での支援活動はあまり知られてはいないが、とても素晴らしいものだった。
そして、今も続いている。
例えば、春の選抜に選ばれていた野球部は、全校生徒の応援を取りやめ、そのために準備していた物資やポンチョなどを避難所へ寄付した。
入学当初「浦学ふぁみり~なんてダサい」と思っていたアタシだったが、そのファミリ~から120万もの支援金が集まり、それを元に支援活動が開始された。
特に野球部の行動力と支援は凄い。
野球部HP
ミッション其の5
さんさん市場でお買い物
キラキラ丼も食べたかったけど、女川で海鮮天丼食べてしまったので、とても食べられず。
その代わり、お土産に山清のタコぷりん等購入。
以前きた時と違って、観光客向きのメニューだけではなく、地元の人用生活必需品販売が増えてきていた。
ミッション其の6
南三陸 ホテル観洋に宿泊。
ここの温泉に、息子たちを連れて来たかった。
二日目、長く濃い一日だった。
次男に言われた。
「お母さんは沢山の人に会いに行きたいって言ってたけど、俺達が沢山もらう旅になったね。申し訳ないくらいだ。」
本当に。皆さん申し訳ないくらい、息子たちに良くしてくれた。
アタシは不良母ちゃんだけど、どこで何をしていたか、すこ~し、理解したらしい。
「あなたは、変な人だ。」とも、言われた。
そうね、よく言われる。
そのDNA受け継いでるはずだよ。
↑観洋の部屋の窓からは、素晴らしい景観が見え、かもめが近づいてくる。
このかもめは、アタシがあげたおにぎりのごはん粒をくちばしにつけたまま、優雅に海へ飛び立っていった。
この日のミッションは盛りだくさんだ!
朝起きると、いきなり母親に集合をかけられ、本日のミッションを言い渡される。
三人が少年野球時代についた習慣、集合。
アタシは、息子たちと同じ苦しみも喜びも味わいたい!と、野球チーム始まって以来初めてのママコーチをやり、子どもたちにもグランドでは「浦野コーチ」と呼ばせていた。
だから、ボールの持ち方も投げ方も、最初はアタシが教えた。
ホントは、野球のことなんにも知らなくて、本を読みながら教えていたんだけど。
他のコーチからは、低学年のお漏らしの世話や、甘える場所として重宝されていたかもしれない。
この時の「集合!」と言うと、ぱっと集まりコーチを注目する習慣が、かなり役にたっている。
ミッション其の1
陸前小野駅前仮設住宅集会所におのくん里帰りをさせ、姉やいとこへ、新人おのくんを仕入れてくること。
おのくん、ホントにかわいい。
【おのくんTOUR隊 募集】
カラフルモンキー「おのくん」は、宮城県東松島市「小野駅前応急仮設住宅」の人々の、住処であった。
東松島の復興を願って生まれた靴下を使って生まれた人形が、里親さんたちと繋がっていくことで、キャラクターになりました。
そして、おかあさんたちの居場所が出来ました。
「めんどくしぇ」とぼやきつつ、1人でも多くの人に東松島に来てほしいという思いが込められています。
おのくんプロジェクト
めんどくしぇおのくんHP
ミッション其の2
鮎川のその後を、自分の目て確認したい。
震源地に最も近い牡鹿半島。
ここには、何度も支援に訪れていた。
捕鯨で潤っていたこの町だけでなく、半島には小さい漁村が点在しており、それぞれかなりの被害があった。
漁業の復興は遅れ、若い人はこの土地を離れた。
この半島には大きな問題がある。仮設住宅はそれぞれの漁村単位で点在していることだ。
買い物するところも、病院も遠く、車がないと生活ができない状態。
年寄りだけで、暮らすには厳しい。
震災後、離孤島のようになったこの半島に、仙台で農業支援を受けながら野菜を作っていた農家から野菜を買い取りお届けする活動をお手伝いした。
少しでも賑やかにしよう!笑顔を取り戻して欲しい!と、通った。
牡鹿中学校の卒業式を盛り上げるために、豚汁の炊き出し、秋田名物ババヘラアイスをお届けしたこともある。
町内対抗リレーに飛び入り参加させてもらったのを、思い出す。
石巻行きの電車と並走
道はまだ悪く、防波堤もできていない。
黒い土のう袋が海との間に高く積まれている。
港は工事中。
以前のように、波をくぐって走るところはなかったが、あんまり変わっていない。
5年も経ったのに。
埼玉の会社の近くの道路は急ピッチで工事進んでるよ。
半島付け根にあるコンビニ。
ここで、産気づいた妊婦さんを救うため、駐車場に「HELP 病院へ」と書いた文字は半分残っていた。
その時救われた命も、5歳だ。
ますます、道が悪くなってきた。
でも、それよりも心配だったのは、実は坂道で30キロも出ないジムニー。
エンジン焼けちゃう??
一人おりて走るか。
待つか。
ダイエットか?
ジムニー、頼む!根性だ!!
牡鹿中が見えてきた!懐かしい!もうすぐだ! おのくん、車酔いか・・・
橋がグニャグニャ、変わってない・・・
鮎川港に無事到着!
あの頃お世話になった成田夫妻と再会!
港はとても整備されていた。
あの頃は、陥没して浸水し、船がつけられない状態だったのだから。
ミッション其の3
なんと!成田夫妻が金華山への船に乗せてくれた!!
金華山に渡り、金華山神社に参拝。
三回お参りすれば、一生お金に困らないと言われている。
息子たちをずっと連れて来たかった。
船は気持ちいい!
シードリーム金華山汽船
この、崩れかけた崖っぷちの脇を、ワゴン車が登っていく。
その辺のジェットコースターより、スリルがある。
こうして、しっかり金華山神社をお参りし、再び鮎川港へ。
港につくと、成田夫妻が待っていて、塩ウニとホヤをお土産に用意してくれていて!!
アタシがお世話になったというのに、至れり尽くせり・・・
本当に、ありがとうございました!
息子たちまで船に乗せてもらって、めちゃ喜んでました!!
金持ちになったら、めっちゃツアー組んで観光に大勢連れてきますから!!!
その後は、鮎川の復興市場へ。
実はね、ここだけの話だけど・・・
鮎川は思い出の場所なんだ。
初めて付き合った彼が石巻出身で、実家に遊びにきて、牡鹿半島を二人でドライブした。
クジラ博物館でクジラを初めて見て感動したんだけど・・・津波で破壊されて、今は何も無くなってしまった。
でもね、思い出は無くならないよ。
あの時見た綺麗な海は変わってないけど、道や家並みはかなり変わった。
元彼や家族のこと、石巻に行った時探したけど、わからなかった。
きっと、他の土地で元気にしていると信じている。
もし会えたとしても、相手が、変わり果てたアタシをわからないんじゃ??と、ある方に言われたし。
牡鹿の帰り道は、山の上を通り、女川へ向かった。が、坂道のぼらなーい!!
そして、女川へ。
女川では、あまりのダンプの数と砂埃がひどく、車を停めることもできなかった。
横倒しになっていた港の前の建物はなくなっていたし、港にある水産工場や市場?も立派になっていたけど、なんだか街を作るための地盤を固めている様子をみると、本当にこの土地に街が人が戻ってくるのだろうか?いや、今まで人が住んでいたんだろうか?と思えるほど、ただの土盛りしかない寂しい場所だった。
ミッション其の4
大川小学校でお参り。
ここで起きた悲惨な出来事は、息子たちもよく知っている。
というのも、長男と三男の母校である浦和学院は、石巻交流プロジェクトとして大原小学校、鹿妻保育所、北上中学校などに学習支援活動をしている。
「今、浦学にできること」という広報誌を作り、その活動を全校生徒やweb上でも公開している。
浦学での支援活動はあまり知られてはいないが、とても素晴らしいものだった。
そして、今も続いている。
例えば、春の選抜に選ばれていた野球部は、全校生徒の応援を取りやめ、そのために準備していた物資やポンチョなどを避難所へ寄付した。
入学当初「浦学ふぁみり~なんてダサい」と思っていたアタシだったが、そのファミリ~から120万もの支援金が集まり、それを元に支援活動が開始された。
特に野球部の行動力と支援は凄い。
野球部HP
ミッション其の5
さんさん市場でお買い物
キラキラ丼も食べたかったけど、女川で海鮮天丼食べてしまったので、とても食べられず。
その代わり、お土産に山清のタコぷりん等購入。
以前きた時と違って、観光客向きのメニューだけではなく、地元の人用生活必需品販売が増えてきていた。
ミッション其の6
南三陸 ホテル観洋に宿泊。
ここの温泉に、息子たちを連れて来たかった。
二日目、長く濃い一日だった。
次男に言われた。
「お母さんは沢山の人に会いに行きたいって言ってたけど、俺達が沢山もらう旅になったね。申し訳ないくらいだ。」
本当に。皆さん申し訳ないくらい、息子たちに良くしてくれた。
アタシは不良母ちゃんだけど、どこで何をしていたか、すこ~し、理解したらしい。
「あなたは、変な人だ。」とも、言われた。
そうね、よく言われる。
そのDNA受け継いでるはずだよ。
↑観洋の部屋の窓からは、素晴らしい景観が見え、かもめが近づいてくる。
このかもめは、アタシがあげたおにぎりのごはん粒をくちばしにつけたまま、優雅に海へ飛び立っていった。
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