雄山閣では、日本海の見える一番いいお部屋を用意していただいた。
朝ごはんも、見たことないくらい郷土料理が盛り込まれた豪華なものだった。
男鹿半島は、父が生まれ育ったところで、「父の話」の少年シンの物語の舞台だ。
父の話~少年シン~
父の話 ~裕次郎編~
ここで生まれた三兄弟は、この大好きな船川の海の見えるこの場所で一緒に眠ろうと約束をしていた。
予想に反し、アタシの母が先に逝き、彼女がこのお墓に姑と入りたくないと思っていたのは知っていたが、父がどうしてもというので、このお墓に母を埋葬した。
その時、三兄弟が交わした約束を、アタシも姉も心に留めた。
昔、三人で仲良く走り回った海。
それぞれの人生を歩んだが、またここで一緒にサッカーをしようと誓ったのだ。
そして、父の兄である本家の伯父も亡くなった。
今、2人はここ傳用寺で眠っている。
仕事でお墓を洗っているのに、このお墓にはそうそう来られない。
まして、息子たちと揃ってお墓参りをしたのは、父のお葬式以来だ。
だから、母の27回忌は10月だったし、父も10年目ではあったのだが、和尚様に法事をさせてくださいと無理をお願いした。
お忙しい中、和尚様は快く引き受けてくださり、母の妹夫婦(オジサンオバサン)とその娘(従姉妹)も加わって、お経をあげていただいた。
三人とも、無事大学生になれたのも、実は父のおかげだ。
だって、父が亡くなった時に、アタシに墓石クリーニングの女の道を示したのは、多分、父だ。
たけしょうで働くきっかけや、迷っている時に向くべき方向を教えてくれた。
だから、今がある。
だから、大学まで行かせる事ができた。
へそ曲がりの父は、「この先は、お前ら次第だぞ。オレは知らん。」
とでも、言ってそうだけど。
それに、一度命を救われた。
早朝、現場に向かっている時、メチャクチャ眠くてボーッとしていた。
家の近くの、そんなの大きくない道を横切ろうとして、まだ5時過ぎだから車なんていないだろうと止まらずに進もうとした。
足元においてあるゴミ箱がコロンと倒れ、左足にぶつかってハッとしてブレーキを踏んだ。
すると、目の前スレスレにダンプが凄いスピートで通過した。
流石に背筋に冷たい汗が流れた。
なんとなく「お父さん、サンキュー。ゴミ箱蹴るなんて芸当できるなんて、すげーよ。」とつぶやいていた。
何だろ。そう思ったんだ。
無事、法事が終わり、和尚様が美味しいコーヒーを入れてくれた。
和尚様のこだわりのコーヒーはいつも香りが良く、美味しい。本堂に、お線香とコーヒーの香りが混ざる。
アタシが24歳の時、母が亡くなって、その時のお経もあげてくださった和尚様だ。
アタシがお葬式でヒーヒー泣きじゃくって、お焼香で前に出なければいけない時に、足がしびれて立てなくて・・・
若い和尚様が「無理に立つと危ないから、ゆっくり、ゆっくり・・・」と言ってくださったことは、一生忘れない。
あれから長い年月が流れ、あの時副住職だった和尚様はご住職に。
若くカッコいい男鹿にはいないタイプのハイカラな和尚様も、ダンデイーな和尚様になった。
アタシは、結婚し、秋田を離れ、子供を産み、年を取り、そして増量した。
人生で一番悲しい別れの場には、このお寺と和尚様がいた。
そんな時お話してくださることは、いつも胸に刺さる。
そして、道を示して下さる。
そんな和尚様と、息子たちをあわせたかった。
これが最後のミッションだ。
姉が墓守をしているこのお墓には、次の墓守はいない。
だからこそ、三人の息子を連れてきた。
息子たちは、お墓を洗い、花を飾り、手を合わせた。
長い長い旅の終わりに、父と母のお墓にきた。
和尚様は、アタシに言った。
「こうして、ここに連れて来て、一緒にお参りすることが大切なんですよ。」
息子たちに言った。
「この先、自分が何をするか、何をすべきか、自分で考えて行動すればいいですよ。」
あえて、強制したりお願いしたりするのではなく、ここに大切な人の眠るお墓があり、ここが彼らの母親にとって特別な場所だということを、示すだけ。
それでいいんだと、和尚様は教えてくれたのだろう。
もう一つ、こんなお話もしてくださった。
「昨年、東京に住む檀家様の娘さんから一本の電話がありました。宅急便で父のお骨を送るので、埋葬しておいて下さい。別便で、お金も送ります。と。私はあまりにビックリして、お断りしました。そんな時代がきたのですね。でも、いつでもいいので、時間ができた時にご自身でお父上を埋葬しにいらして下さい。と、お話しました。いろんな形があったとしても、本人が故人のために精一杯のことをして見送ってあげることが大切だと思うんです。」
お寺に来てお参りすることと同じくらい、こうして和尚様とお話しすることは大事なことだ。
お墓がお寺にあるからこそ、アタシが少女の時から、何度も涙を流してきた場面を見てきた人がそこにいる。
そして、「こうすべき」というお話はしない。
「こんな風に、見たらどうか。」
すっと心に入ってくる言葉に、気づきがある。
息子たちは、長い長い旅の中で、汚染された故郷を守りたい人たち、失った命、誰かを救うために亡くなった命、幼い子供達の命、残された家族、辛くても生きなければいけない人たち・・・を知った。
そして、最後にアタシの大切な人の眠る場所に来た。
きっと、何かを感じ、考えていることだろう。
いい旅だった。
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