墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

龍馬が龍馬になったのは・・・

2011年01月31日 | つぶやき
今頃、龍馬伝をDVDで観ています。

毎週日曜の夜はバタバタしていて、ゆっくりTVを見ていられないので、大河ドラマで面白そうなものはDVDを借りてゆっくり見ることが多いのです。

龍馬伝は、実に面白い!

まだ、最後まで見終わっていないのですが、一番興味深いのは龍馬が龍馬らしく人間形成されるに至るまでの流れです。

龍馬だけではなく登場人物はみんな、何と言っても家庭環境が一番基本になって人格が形成されるものですね。

と言うか、幼少期の体験や人との関わりが人の器を作ると言うか…

彼は母と父と姉の影響をかなり受けています。
その中でも、父親が死期を悟ってから龍馬に言った言葉が印象的でした。



剣を振り、書を読み、己を磨き、
たかめようっちゅう気持ちを忘れたら、
生きている値打ちはない。
この世に生まれたからには、
己の命を使いきらなあかん。
使いきって、
生涯を終えるがじゃ。



この言葉が根底にあるから、龍馬はいつでも己を信じ、全力で戦い続けていけたのかもしれません。



そして、次に面白いと感じたのは、登場人物との関わりです。

目の前しか見えていない人。
周りもよく見えてる人。
ずーーーーーっと先まで見通している人。

それらの人との関わりの中で、龍馬は龍馬になっていく。

現代は、携帯やメールなど人との関わりが安易にできるけれど、リアルなやり取りが減ったために、ぶつかり合ったり人にもまれる事がなくなってきている。

社会に出て初めて、人を動かすことの難しさ、交渉、駆け引き…相手がどんな気持ちなのかを読んだり察したり…急にはできないものです。

龍馬が生きたあの時代は、一人ひとり自分の考えや生き方を持っている素晴らしい人たちが、日本というひとつの国の危機に翻弄され、ぶつかり合う。

あんな激動の時代が、いつかまた来るのだろうか…

いや、日本の危機はもう目の前に迫っているのかもしれないが、あの時代のような男たちも、支え続けた女たちも、ここにはもういない。



せめて、アタシは全力で、自分の成すべきことをし、沢山の出逢いを大切に、柔軟な心を持って生きていこうと思う。


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