今度生まれ変わったら 貴方の楽士Aになりたい

三国志、呉の大都督・周瑜様をコテコテに持ち上げまくるぶろぐ。
「蒼天」周瑜様の死亡フラグが怖い今日この頃・・・

ブログラムのカテゴリー

2010-04-30 | 三国志
またブログラムの話でスイマセン。

カテゴリー「周瑜」 を待ちわびてはや数年・・・(そんなに経ってない)

もう、待つのめんどくさくなって

「周瑜」カテゴリー追加してください。

って、直訴してみました。

すぐ、お返事が来て「検討させていただきます」とのこと。

はやく検討して!!もう、カテゴリーつくっちゃって!!

「趙雲」カテゴリーなんてあーた、上位に上がってきてるのは

「一○当千フィギュアの趙雲」



コレのどこが趙雲なのよー!! 

・・・いえ、表現の自由ですよね。(笑)そして美しいのは美しい。確かに。(・・・えげつないのもありますが

でも・・・、「趙雲を語っているか」、っていったらどうでしょう? 何か違う事を語っていると言った方が。笑

日本人の妄想力のたくましさとか(笑)


そんなんでも「カテゴリー」オッケーなのに、周瑜さまは・・・・・
(そんなんばっかりじゃないんでしょうけど。笑)

カテゴリーってどういう風に決めたのか知りませんが、レッドクリフ公開時になぜカテゴリー化されなかったんだろう・・・

主役だったのに!!

記事にする人がいなかったのか・・・。

トニー・レオンはあるんですよね。

ああ~、はやく「周瑜」カテゴリー作ってくれないかなぁ・・・






紀元前399年の今日は

2010-04-27 | Weblog
ソクラテスの命日なんだそうです。

自分は何も知らないのだ、ということを知っているからこそ、最も知恵のあるものなのである(とアポロンの託宣により言われた)

知らないということを知っている・・・・

から、最も知恵があるんだって。

解るような、解らないような・・・・

なにを知っていれば「知っている」事になるんだろう???

何も解ってないのだということを自覚する・・・

そんなの、わざわざ考えてみるまでもなく、ワタシは何にも解ってないですよ、・・・と、

一瞬思ったけど、これは、ワタシのような「心配しなくても凡人」な人間のための言葉じゃないのか・・な・・・?(笑)

当時のアテナイで「知者」と言われていた人々の無自覚を・・・「知者である」と自尊している人々に対して

「知っている」ということに謙虚であれ、と、

「自分はまだなにも知らない」と知るところから、さらなる向上が得られるんですよ、と

伝えたかった・・・・・ということでいいのかな???(←適当だなぁ)


・・・で、なにを「知れば」、「知っている」という事が出来るようになるんでしょう?

それとも、ひとは永遠に「何を知ることもできない」のでしょうか。

結局「なにを知ることも出来ない」ということを知る、というか気付く、ことが、ひとの究極の目的なんでしょうか。

自分はもともと何にも分かっちゃいないよ、と言っている今のつゆだくも、当然「何も知らない」ことに「気づいてない」状態なんだろうか。

「知らない」ということを知る、というのは、そのことばそのものをそのまま解釈するほどには簡単なことではないんでしょうね・・・???

「知らない」と言っているワタシの「知らない」はうわべだけの「知らない」で、

本当に「知らないのだ」ということには気づいてない、なーーんにも。ずうずうしいくらい。

ってことなのかなー。 難しいこと考えるよね。


紀元前400年なんて大昔から人は悩んでたのね・・・と思ったら

さらに100年も前に孔子が。

「論語」もいわば、ひとのありように悩んだ果ての「こうあってほしい」という希望を記したものでしょう?

ほぼ同じころ、釈迦があらわれ、やっぱり悩んでます。

このあたりから中国にはスゴクたくさんの書が現れてますよね。

論語、春秋、春秋左氏伝、国語、老子道徳経、考経、大学、中庸・・・・・・・・・・・

どんだけ考えまくってたんですか

易経・詩経・書経に至っては紀元前800~700ですよ?
その頃日本人は何してたろう・・・、と思うと、果てしなくて気が遠くなりそうですよ


どんだけ勉強好きなの・・・・・・・この人たち 


易経あたりは、ひとのありようというよりは、記録要素のほうが強いようですが・・・。
(未来においてはそれを読むことで自身のありようとかを考えたのでしょうか)


人としていかに生きるか的な件について

ちょうどソクラテスが悩んでいたと同じころに、中国でもおなじようなことで (←雑なくくり方だなー。笑)

色々と考え込んでいた人たちがいたんだなぁ、と思うと、

ちょっと面白いと思いませんか?偶然ではあるのでしょうが、

でも、今も強く残る(精神性に関わるような)思想が、この時期にぶわっとでたというのはとても不思議です。

この時期、世界的に「考え込むのがブーム」だったんでしょうか(笑)




テンパり過ぎてちょっと頭が紀元前まで飛んでってます・・・・

いっぱいいっぱいだよー!もう!
(あ、ちなみにまだ良いご報告はできそうにないです・・・・・orz)



さて、紀元前はいいから現実に帰らないと(笑)










PVはあきらめて。

2010-04-22 | 美少年育成計画
美少年育成計画2010


こういう方法に変えました。 やっぱだめだった、PV(笑)


そのPV見てみたいよ、とおっしゃられる方がおられましたら、メールで送らせていただきます。
それが一番早い・・・・(今の私のレベルでは。とほほ)

「メッセージ」欄が、サイドバー・一番上の「つゆだくウサギ」の下にありますので、そちらからどうぞ。


QTで見られます。携帯では無理なのかもしれません(←よく解らない。)重いし・・・。2MB以上だし(←根に持ってる)


では、フォトチャンネルで美少年育成計画を、お楽しみください


いや、楽しくないか・・・・

だって、




さよなら策、です。

はらはら・・・・

2010-04-21 | Weblog
実は今、就活中です。ワタシ。

今日も、ひとつ面接があります。うう・・・。

しかも決断したのはワタシじゃなくて、旦那。笑…ってる場合か!!

ほんっと~~~~にワタシ、決断できないんです!!

散々石橋をたたいて、結局渡らないタイプで・・・・・

だからなかなか前に進まない


業を煮やした(?)旦那が、

「俺が決めてやるーーーー」 と、応募先を決めてしまいました・・・。


い、一応言い訳すると・・・(笑)、自分でも色々検討して、調べて、これはいいんじゃないか、応募しよう、というところまで考えるんですよ。

でも・・・

最後の決断ができないだけなの! (エラそうに言ってる場合か!!)



何かあったら(←何かって何なの、っていう)どうしよう、とか、まだ何もしてないうちからスゴイ考えちゃって

(この辺激しすぎる妄想癖が悪い方に現れてしまっている感じ)

行きつく先は「やっぱ戻ろ」  (戻んのかよ!)


そりゃ旦那だって 「行ってこい!! ってなるよね。


こんなパッシヴな人生でいいのかなぁ・・・?(よくない)







行ってきますよ。へいへい。  うう・・・(←また)

「おとなの分別」 に萌える。

2010-04-19 | 三国志
甘寧と、魯粛と、凌統の間に立って「あー。困ったなー。まずいなー」ってなってる周瑜さまを想像すると、

もうどうしようもなく萌えます。 (どこでも萌えてるだろうが、というツッコミは華麗にかわして)


普通は「甘寧、凌統、その間に立って周瑜」なんですけど(笑)、その泥沼をさらにかき混ぜるべく、 魯粛も加わってさらに泥沼化。


というネタを(ネタ?)、たぬきママさんからお借りしました。もう、描かずには居られなかったの!!(笑)




・・・あれっ?・・・原作はこんな話ではなかったよーな気が。  (おい) 


ああ~!たぬきママさんゴメンナサイ!! 

きゃつらが、きゃつらが勝手に動くんです!! (投げたな)


そして

言ってるそばからもうひと押し!! (おい)





あっ・・・もうひと押しだけ!ねっ? ねっ?







たぬきママさんの周瑜さまはもっと素敵です。ええ。 (周瑜ファンの私がこの始末でどーすんの)



・・・・・・・・・・イメージぶち壊してごごごゴメンナサイ!!  でも食指が!! (反省してねーな)


暑苦しくてうっとおしいんだって。

2010-04-16 | 三国志
なにが? はい、ワタシがだと思います。

えーと、最近気がついたんですけど、これ。

左サイドバーの「あしあと」のところの、「投票」欄。

(たぶん常連様方はもう投票して下さったかなーと思うんですけど)

このぶろぐについてどう思うか? という質問です。

1、愛がはみでてますね!

2、もっと周瑜道に精進せい

3、暑すぎてうっとおしいから

4、私は孔明がいいんですけど

5、次郎長三国志は?


の、五項目。

ずいぶん久しぶりに見たら、いま、50件の投票があるんですね。ありがとうございます

ですが、その中に 「暑すぎてうっとおしいから」 を選択された方が約一名。

そして、「ワタシは孔明がいいんですけど」 を選ばれた方も約一名。





・・・・・・・暑すぎてうっとおしいって、言われちゃった・・・・・・・・・ たぶん、孔明ファンのひとに。



・・・・・・・・・


・・・・・・



(●´ω`●)ゞ いやん  照れるじゃない





ほめても何も出ないよ?(笑)

孔明ファンからの「暑すぎてうっとおしい」・・・・・・・


・・・それはワタシにとって、最大の ほめ言葉!!( ´艸`)


うっとおしいと思わせるぐらい、暑苦しく、ウザく 周瑜愛を語れているという、それがまさに証し!!  (←ホントにウザいな)

自信を回復しましたよ!ワタシは!!(なぜ)


ありがとう! ぽちってくれた孔明ファンのかた

これからもさらに、演義ファンからウザがられるワタシでありたいと思います!! 



でも私、「金城孔明」は大好きですよ

(でも。。。たぶんコテコテの孔明ファンの方は、金城孔明嫌いだろうなぁ・・・・・・(笑))


ついでのもう一つ。


検索ワードに 諸伏高明 が引っ掛かってるんです。未だに (爆)

しかも、先日なんか


諸伏高明  受け  ・・・・


う・・・、受けなんだ・・・・・(いやソコじゃないでしょ)


(爆笑)

だ、誰が・・・


所轄の孔明さんと、誰が、やおいなの? (黙れ自分)


世間は広いわ。 なんにでもあるんだやおい・・・って、感心したよ、私。すごいな、女子の妄想力




…人の事は言えないか(自爆)



それとね、もうひとつ謎な検索ワードが。


周瑜さまになりたい


・・・・・・っえっ?


なりたい? なりたいって言った? 会いたいじゃなくて?なりたいの?!


(爆笑)


うーーーん。。。。。それは難しいぞ・・・・・


なりたいんだもんねぇ?  てゆーか、


なってどうしたいんだろう(笑)  あ、コスプレとかそっち方面の「なりたい」なのかな。

そーだなー

もし私が周瑜さまになったら・・・


うーん。やっぱなりたくないなぁ。だって、自分が周瑜さまじゃ周瑜さまに萌えれないもん。

やっぱ楽士Aでいいや。(笑)  そのあたりが絶好の周瑜さまビューポイントな気がする。









無駄に時間を

2010-04-16 | 美少年育成計画
費やしています・・・・・・


実は、美少年育成計画のPV を作ってみたんです。(何やっとんじゃ)

で、なかなかよくできたので(自分で言う?)

ブログに乗せようと思ったら、

拡張子が違う と言われ、断られてしまったのです。

で、拡張子を変える方法を探して・・・ここからつゆだくの長く果てしない格闘が・・・

ググってみたらいっぱいありました。拡張子を変えるフリーソフト。

なんだ簡単そうじゃない、と甘く見て

さっそくひとつフリーソフトを選んで使ってみました。

・・・・・・・・・・出来ない・・・・・・

おかしいじゃないか! 簡単にできます、って書いてあったじゃないか!!

何度やってもダメ。押しても引いてもダメ。

仕方なく、別のを探したり、知恵袋などで似たような質問を読んでみたり・・・

で、そのうち、ウェブ上でコンバートできます、というサイトにたどり着き、

これならいけるかも・・・

と、やってみました。

・・・・・できない・・・・・・・・・・

どうなってるんだ!!おかしいじゃないか!!

英語サイトなので書いてあることもよくわかんないしさぁ!

しかたなく、翻訳ツール使ってみました。不思議な翻訳(笑)をかましてくれるのでイマイチ信用できないけど

まあワタシの翻訳よりましだろうと(笑、いや笑えませんて)

そうしましたら、「貴方のパソコンは完全に互換性がありますですしかしこの場合こちらでサポートできます思います」

と、奇妙ながらも翻訳してくれて(笑)

さっそくコンバートしてみました。

・・・・・出来たーーー!!

出来たよ3GPに!!

やった! さっそくブログの画像フォルダにアップ~~~

・・・・・・・・出来ない・・・・・・・!!

出来ないよ!なんで?なんで?!

画像フォルダの注意事項をよく読んでみると

ファイルサイズは2MBまでです。

だって。え、ワタシのファイルはどんだけ?・・・・って27MB?! 

そりゃ無理だ。  無理だよ、手ひどく撥ねつけられるの当然さぁ。

どうりでコンバートするにも時間がかかったはずだよ。

いや、それ以前にムービーを発行する段階でもの凄い時間がかかってる・・・・・・

あ、要するに、ムービーを発行するときにファイルサイズを小さくすればいいのね、とまた甘く見て

やったら何をまちがったかPV用最高画質で発行してしまい

702MBに!!!

でかくなってるよ!!どう考えても間違ってるよ!これ! ・・・どうりでやたら時間がかかったと・・・(←またやってる)

今度はちゃんと圧縮サイズ のラジオボタンを選んで、一番小さいサイズに設定・・・

良く見たらそこにちゃんと(  )MBって書いてある。

なんだここでサイズを変更すれば済む話なんじゃん!!解決解決!!

・・・・・・3MB以下にしてくれない・・・・・・・

なんだよ!!けちなこと言うなよ!! もっとでかくしろと言ってるわけじゃない、

小さくて結構です、って、奥ゆかしく言ってるのに!!

くそー

でも。。。そういえば、さっきは、36.5MBのファイルを3GPにコンバートしたら、27MBになって返ってきたんだった、と思いだし

その計算で行くと、3MBは1MB近くにはなるはず・・・・!!

待ってろよ!!今小さくしてやるからな!!ふはははははh------ と、

意気揚々とコンバートしに。

通信もスッゴイ速い。さすが画像荒くした甲斐があった。さっきやった時は10分ぐらいかかったようなかからなかったような。

サクッとコンバート成功!や っ た 。。。!! 

4.8MB!!

・・・っておいぃぃぃぃぃぃーーー!

でかいよ!なぜかデカくなったよ?! 

おかしいでしょ!さっきは36が27になって? なのに今度は? 3MBが4.8MBにって

どーゆー計算が行われたの?!

わかんないって!わかんないよーーーー

もうやめようかな・・・upすんのあきらめようかな・・・と何度思ったか。

でもホント、良い出来なの!(笑。まだ言うか) ぜひ見てもらいたいの!(笑) と気を取り直し

そうだ、携帯で撮影するってのはドーヨ? と思い付き

なるべく手がぶれないように、音も最大にして、 3分頑張った。

早速確かめてみると・・・・・・ヒドイ画像。音もぼワーんって。 

三分フルフルしないように頑張ったつもりだったのに、とれたものはひどい手ブレ。 

携帯撮影はだめだ・・・!と放り出し、次の手は・・・・

じゃあ、コンバートの詳細設定のとこをいじればいいのかも・・・と思い付き(こればっか)

翻訳ツールの心もとない翻訳を頼りに

画像サイズ(?)を、一回りくらい(たぶん)小さくするものを選択。←すごいいいかげん。

ついでに、kbps (48  9999) とあるのが なんか怪しい感じ。(そんな適当な)

でもkbpsってなんじゃいな?とググってみたら、通信速度の単位で・・・・、8ビットが1byteなので・・・・、1kbpsで125bytes/sに相当・・・

は?

解らん・・・

解らんが、この数字が小さいと、画像が粗くなるということはなんとなくわかったので

とりあえず48 まで下げてみる。(全然とりあえずじゃないし。)

スッゴイ速い。サクッとコンバート終わる。 コ レ は 期待できそうだよ?!

・・・・・・2.3MB 

そんな・・・もうちょっとなのに?! そこでけちる?!(けちっているわけでは)

だめだ・・・・・

もうだめ・・・・・

これ以上、何をどうやったらいいかさっぱり解りません!! 

しかも、散々サイズ小さくしまくったもんで

もはや、見るに堪えない画質に・・・・・

オリジナルはスッゴイ綺麗なのに・・・・!!オーマイガーーー!!



ちなみにここまで・・・まるまる二日もかかってます・・・・・

もう、根本的になにか勘違いしてるんだろうか。

リンクを貼るとかそういう感じの方法とかないのか?

なにか解る方がいらっしゃったら教えてください

もう、へとへとです。まじで。



こ・・・これが例の・・・・・!!

2010-04-12 | 三国志
見つけちゃった・・・・・

見てしまったさ・・・・・

マジで書いてあるの。

マジで!!

「諸葛亮、魏の曹操を 赤壁 に破る。」 

って!!  

たぬきママさん・・・ホントだったのね。 
(いや、信じてなかったわけじゃないんですけどね、そんな馬鹿なって、ねぇ?)

信じられない・・・! 



(爆笑)

これは、漢和辞典なんですけど(たぬきママさんが話してらしたのとは違うかも)

漢和辞典の、巻末付近の「中国の歴史年表」の一部でね、

見つけた時、ワタシ、目を疑いましたよ。

マジで書いてある・・・・「諸葛亮、魏の曹操を赤壁に破る」 って、マジで書いてある!! って!

マジかよ!! って。

しかしまあ、よくそんなでたらめが書けるな。 仮にも君は辞典だろうが?!

世界の知識を人々に広くあまねく教え伝えるという、偉大なる役割を担う君が、なぜにそのようなでたらめを?

・・・・いや、君に罪はない。

罰せられるべきは○○社!! (言えない…とても言えないわ!!)

そして監修委員である、ドコゾ大学名誉教授とかゆー、えらい先生たち!!

しっかりしてよ・・・

恥ずかしいったらない。

趣味が高じた雑学本レベルで起こった出来事なら「またかよ。」でスルーなんだけどさー
(うそ。全然スルー出来てないし。むしろ掘り起こしてるし)

仮にも辞典 なんだよー?  Dictionaryなんだよー?

知識のタンクなんだよー?

こないだの「国語便覧」 における、文学史的アプローチとは、ワケが違うのよ。

歴史年表上に記載されてるんだから!

そんな間違ったこと書いていいのかって言う。



一縷の望みがあるとするなら、この辞典の発行が、改訂版で1989年になってることか・・・。

最新版ではこのようないい加減な記述が変更されているよう願います。








恋愛? は?

2010-04-12 | レッドクリフ
さっき、記事を投稿した後、左サイドバーにあるブログラムを見てみたんですけど

記事のカテゴリーが

恋愛 だった。


・・・・・はっ? え? いやちょっと待て。

恋愛チックなことなんて一言も書いてないよ?ワタシ。

趙雲と周瑜さまでボーイズラブ的な何か(ぅぉぉぃッ!) を書いちゃった、というなら解るけど、

いまのところ(は?) 恋愛要素を入れ込んだつもりはないんですけど・・・・・・・(笑)


恋愛は無いよね。 ブログラム、何に反応したんだろう。



そうそう、そのブログラムですが

カテゴリー蒼天航路 で、なんと、一位に!

何かの間違いじゃないの?(笑)
あれだけ連投するとこういうことが起きちゃうんでしょうか。しかしぁの内容だからなぁ・・・・・
なんだか申し訳ない感じ・・・



ブログラムに登録した当初の目的と言えば、カテゴリー 「周瑜」 の構築 なわけですが

登録以来がんばって「周瑜さま」「周瑜激愛」「周瑜たんハァハァ(…)」と、書きこみ続けているんですが

全く反応してくれない・・・・・orz

ちらっと書いた「金○○明」とか「諸○亮」とかにはものすごい勢いで食いつくくせに
(そしてシツコク『つゆだくさんのブログのみどころ』に組み込まれているという・・・)

ワタシが食いついてほしいのは周瑜さま! なんだってば!

「周」 って、単品じゃダメなのよーーーーー!!(この一文字単位でしか拾ってくれないんだよ、ブログラム!)

「孫策」カテゴリーだって、「孫権」だってあるのに・・・・・・・なんだよー!

久しぶりにレックリでお願いします。

2010-04-12 | レッドクリフ
44444hit記念萌え。はい、萌えです。萌え。


                    



「・・・・・・・  ・・・!」

名を、呼ばれたと思った。
だがそれは、自分の名だったろうか?



呉の大都督といわれる人が、乱戦の中、敵の矢を受けた。
・・・自分を庇っての事だった。
幸い大事には至らず、趙雲は胸をなでおろした。
しかし、周瑜のまわりは黙っていなかった。同盟とはいえ、助力を願ってきたのは劉備軍である、との考えを持つ呉の武将たちは、
自分たちの指揮官がその同盟軍のいち武将でしかない趙雲を、身を呈して庇ったことに対し大いに不満を抱いた。
もっともだ、と趙雲ですら思う。
呉の総司令官ともあろうひとが、前線に出て自ら敵兵と白兵戦をやってのけたというだけでも信じられないのに、
そのうえ、人を庇って怪我をした。
庇った相手は自軍の武将ではない。いや、自軍の武将であったとしてもかれは庇うべきではない。かれはこの戦いの総司令官で、
いまや呉の最重要人物であろう。
かれの生死にどれだけの意味があると思っているのか。
今、かれに何かあれば呉も、劉備軍もお終いだろうということぐらい自分にもわかる。
大将は、後ろにいればよい。いや、いてもらわなくては困る。
自分が主と選んだ劉備…大将を守るためならば、自分の命などまるで惜しいとは思わない趙雲にとって、
周瑜の行動は全く理解できなかった。大将を守るために、われらは最前線で戦う。当たり前だ。
その逆などありはしまい。
大将の首が取られればそれで勝敗が決まってしまう。
分らないわけはないだろう。なのになぜ。
自分が、劉備のために命をかける覚悟を持って戦に臨むと同じように、呉の武将たちも周瑜のために命をかけているはずだ。
武人とはそういうものだ。少なくとも自分はそうだ。
自分が守ると決めた大将が、たかが同盟軍の一武将を庇う。
・・・馬鹿な。そんな必要がどこにある?
うちの大将に庇われて、よくも平気でおれるな、ぐらいは思うに違いない。
まだ呉軍に合流して日こそ浅いが、周瑜という将軍と部下たちの結束の強さをみれば、周瑜が兵たちをいかに愛し、
兵たちも周瑜を心から敬愛しているのかは明白だ。
そんな大切な自分の大将に身体を張らせた・・・
刺すような視線も仕方ないだろう、と思う。頼んだわけじゃない、と心で強がってみたが、

ならばあの時自分は飛んでくる矢に気づいていたか?

・・・助けられたのだ。

むろん感謝しないわけがない。しかし、解らないのだ。
意味がわからない。なぜ、自分などを庇ったのだ。
もしも・・・、呉軍の武将を庇って劉備が怪我をしたら、自分はどう思うだろうか。
貴方が庇うことはありません、と言うはずだ。貴方だけは死んではならないのです、と。
それが当然のことだと信じてきたが、その趙雲の当然を容易く覆す周瑜の行動を思うと、それもひどく狭い心のような気がして、趙雲は俯いた。


乱戦を制し、赤壁の駐屯地へ戻るまで、趙雲は周瑜の傍を一瞬も離れず走った。
傷を負った周瑜は、駆けながら密かに(周囲に必要以上に心配をかけぬよう、だろうが)幾度か痛みに顔を歪めていた。
何か言わなければ、と思ったが、何を言い出すこともできず、趙雲は黙って並走することしかできなかった。
そして結局、何も言えぬままに到着してしまった。


楼台から見渡す江の向こう岸には、夥しい数の船が溜まっていた。

これほど多くの船が集まっているところを趙雲は見たことがない。これと闘うというのがどういうことなのか、趙雲には測りかねた。
水戦と陸戦では当然戦法も異なるだろう。
馬を駆けさせ槍をふるい敵をなぎ倒す、というわけにはいかない。
自分にできることなどあるのだろうか、と趙雲は前方の大船団を見遣って茫然となった。
水上での戦いが分らない分、不安は大きかった。しかも、けた外れの大軍だ。
これほどの軍団を相手に、戦をするのか?ほんとうに、勝機はあるのか?

「…で、孔明殿はどう思われる」
周瑜の声で趙雲は我に返った。
眼の前に立つひとは、自分と比べれば幾分小柄だ。
大きければいいというものでないということは、曹操という男を見ても解るが、それでも、この大軍を、
真正面から受けて立つにはあまりに小さい背ではあるまいか?
孔明と周瑜が話すのを、趙雲はほとんど聞いていなかった。

ぼんやりと視界のうちにあったその後ろ姿が、不意に向きを変えた。
急に振り返られて、趙雲の体が周瑜を遮る形になる。
自分の立場を思い出し、趙雲は前を通り過ぎようとする周瑜にどうにか声をかけた。
「―…大都督、」
引きとめられた周瑜が歩を止め声の方へ振り返る。戦のあとの張り詰めた鋭い気を孕んだままの眼に見返され、一瞬圧される。
声をかけたことを後悔してしまいそうになったが、同時に、否応なく目に入ってくる周瑜の鎧に付いたままの血のあとが、趙雲を我に返らせた。
(これは、自分を庇って流された血、だ)
「矢傷は・・・大丈夫ですか」
声が、ふるえたかもしれない。顔も、強張ったかもしれない。
一瞬が、ひどく長い時間に思えた。

「心配ない」

ほんのかすり傷だ、と答えた周瑜の声は,予想していたものよりもずっと柔らかいものだった。
先ほどまでその身を覆っていた張り詰めた気も鋭い眼も、もうそこには無い。
穏やかな笑顔で自分を見つめているこのひとは、本当にさっきまでそこにいた、鋭い気を周囲に漲らせていたあの大都督なのだろうか?
一変した周瑜の気に戸惑いながらも趙雲は、今度こそ何か言わねば、と言葉を探した。
「この・・・御恩はいつか、必ず」
……探したのだが、出てきたのはそんな言葉でしかなかった。
(もっと気がきいたことを言えないのか、俺は)
それは実際、趙雲のありのままの気持ちではあったが、もっと他に言いようがあるのではないのかと思ったのだ。
(・・・俺は、孔明殿のようには、話せん)
思いつめた表情を崩さない趙雲の強張ったままの心情を察したのか、周瑜はほんのわずか真剣な表情に戻り、
趙雲の眼を真っすぐに見つめ言い聞かせるように
「気にすることはない」
と言った。
言って、趙雲の肩の力を抜かせるように殊更軽い調子で腕をぽんぽん、と叩いた。
(気を使ってくれている・・・)
そう感じた趙雲は、その気持ちに応えねばと自分もなんとか笑顔を作ってみた。

(・・・駄目だ、引き攣った・・・)

軽い挫折感を味わったが、それでも周瑜は柔らかい笑顔を返してくれた。
息をのんで見守っていた皆もその笑顔に解されたようだ。趙雲の挙措を刺すように見つめ続けていた甘興も、
周瑜の言葉に気を収めてくれたようだった。
趙雲もようやく、ふ、と息を吐いた。何か、久しぶりに息をしたような気分だった。

趙雲の緊張が解けたことを見てとったのか周瑜は、もう一度笑みを返すとその脇を通り抜けた。
…通り過ぎる瞬間、周瑜が柔らかな表情から厳然たる総司令官の顔に戻ったのを、趙雲ははっきりと見た。
勝利の歓声を上げる兵たちに片手を高く掲げて応える周瑜の姿にはもう、先ほどの柔らかさの面影もない。
近寄りがたいとさえ思える、圧倒的な威風を纏っている。そしてその彼が放つ気に煽られるように兵たちの歓声もまた高くなっていくようだ。
大きい、と思った。
つい先ほどまでは、小さい背中だと思って見ていた。それがこのように大きく見えるとはどうしたわけだ。
そして・・・なぜこのように自分をも高揚させるのだ。
体中の血が、自分の預かり知らぬところで勝手に沸騰しているようだった。
惹き付けられる。そうだ、惹きつけられている、自分は。今、このひとに。


歓声を収め、兵たちに労いの言葉と祝いの振舞い酒を赦し、周瑜は楼台を後にした。
傷を心配した程普将軍たちがその後を追い、なにか一言二言文句めいたことを言いながら、周瑜を医務局へと急がせているようだが、
周瑜自身はまるで意に介していないようだ。
趙雲の傍を通り過ぎようとするとき、驚いたことに周瑜はもうあの柔らかな表情に戻っていた。
本当にもう気にするな、と趙雲の肩を叩き、食い下がる部下たちの苦言に対しては「次からは気をつけるよ」
と言って笑うと、さっさと邸へ帰ってしまった。
「次などあってもらっては困ります!」と、誰かが文句を言っていた。まったくだ。


55555hit記念萌えに 続く。(えっ)



そこ、もう少し詳しく!!もうちょっと突っ込んで!! と思ったんです!それだけなんです!(笑)
いやもう、文章書くって難しかったです・・・・(笑)