私の所属する「公益社団法人 日本愛玩動物協会」から今年も環境省のポスターが届いています。
今も殺処分されている犬猫はたくさんいます。
以前CAPPの仲間と私たちの住む自治体の動物保護センターの見学に行ったことがあります。
里親を待つ子犬の棟や去勢・避妊等のオペをする手術室など、施設内を案内されて回りました。
最後に殺処分を待つ犬たちの部屋に案内されました。
5つの部屋にわけられていて、ガラス越しに中の犬たちの様子を見ることができます。
保護されてから一日目、二日目、三日目というように犬たちが分けられて入っています。
一日目の犬たちはまだ元気で、ガラス越しの私たちに愛想を振りまく子たちがほとんど。
でも部屋が進むにつれて、犬の表情が失われていきます。
いつまでたっても大好きだった飼い主さんの姿がみえない。
景色もにおいも今までとは違う。
おかしい。これはただごとではない。
犬たちは悟っていくように見えました。
私たちが行ったとき、最終の部屋にはたしか5頭の犬が入っていたと思います。
みんな立ち尽くしている。だれひとり座っていない。身動きもしない。
こちらを見ることもなく、どこか一転をむなしく見つめているだけ。
その中にグレートピレニーズがいました。13才。長生きしてきました。
もう少ししたら命を全うできるじゃないか、なぜここにいるの?
「引っ越しで飼えなくなったそうです」
ここに連れてくる前に飼い主さんが独自で新しい里親さん探しをしたかは不明です。
したとしてもこの年ではほぼみつからなかったでしょう。
それでなくても超大型犬ですから、住環境だって難しい。
この子はひきとられてからすでに期限は過ぎていました。
ずっと最終の部屋にひとりではいっていました。なぜ期限がすぎても執行されなかったか?
一頭だけでの執行は不経済だからだそうです。
「5頭集まったので明日には執行されるでしょう」
切なかった。翌日は一日中空を見ては「苦しみなく、天国にいけますように」と祈っていました。
飼い主さんにはどうしようもない理由があったのだ。
泣く泣く、胸が引き裂かれるような思いで置いていったのだ。
そう思いたい。
執行するセンターの職員さんは言ってました。
「僕たちだって平気で執行してるわけではありません。よく仕事だからとか、もうなれちゃってなんとも感じないんでしょとかいわれますけど。そんなことはないんですよ。ぼくたちだって心はあります。痛いですよ。家に帰って自分の犬を抱き締めますよ、毎日」
ちょっとほっとしました。泣きそうになったし。
私もすぐ家に帰ってミュウさんとクーさんを抱きしめたくなった。
この部屋に入った犬たちも助かる道があります。
それは動物愛護団体のピックアップ。
団体が時々この部屋を見に来て、里親探しできそうな犬を予約するそうです。
で、執行するまでに飼い主が名乗り出ない場合、団体が引き取って里親探しをするそうです。
でもね、私たちが行ったときに予約されている犬はねみんな純血種で、ガラス越しに猛烈に、愛らしくアピールしている犬たちばかりでした。
もしかしたら、あっちの隅にうずくまってる子だって本当はフレンドリーでいいこなのかも知れない。
ただ、こんな雰囲気に怖くなって動けなくなってるだけかもしれないよ。
思いました。
ひとが大好きだったり、ある程度マナーがよく育てること、大事なんだと。
だってね、こんな切羽詰まった状況でもチャンスがまわってくるんだもの。
ある海外のドッグトレーナーさんが言ってました。
「海外の飼い主さんは犬を飼う前に勉強を始めるが、日本の飼い主さんは飼ってからあわてて勉強始める」と。
ペットショップで若いご夫婦。幼稚園くらいの子供さんが犬の前で「これを飼うんだ」とダダこねて。
「しょうがねえなぁ」と簡単に犬を購入していったこと、見たことあります。
驚きです。どうなったかな、あの犬。いまでもときどき思います。
犬や猫を飼うときは、家族でよくよく相談してください。
住環境、経済、自分たちの年齢も大事。そして高齢になったときの介護のことも考えてくださいね。
犬や猫のこともよく知ってくださいね。かわいいから、だけでは飼わないでくださいね。
「自分は絶対に最後まで面倒みます。途中放棄することなんて絶対にない」
絶対でしょうか?
人生はいろいろあります。突然とんでもない事情が襲ってくることもありえます。
万が一、億が一、愛犬、愛猫をどなたかに託さなくてはならないことになるかも。
その時の準備、託す相手も考えておくべきではないか?と私は思います。
日本動物病院福祉協会でアンケートを実施しました。
「震災前後における人と動物の絆に関するアンケート」
結果、飼い主の精神面の支え、身体面(健康の維持)、人間関係(コミュニケーション)について。
動物とともに暮らすことにより、よい、強くなった、深まったとする回答が震災後のほうが上回りました。
とくに被災地はその意識がほかの地域に比べて大きい。
動物の存在が重要であることの現れですね。
家族の一員に迎えた子。
どうかどうか、いつまでも大切にしあげてください。
もちろん私も大切に、大切に、愛情をもって暮らします。
ミュウさんとクーさんが逝ったとき。
私は無意識に「ありがとう」って言葉がでました。
私も愛情かけたけど、それ以上にふたりが私に愛を返してくれてたからですね。
ありがとう。
みなさんと愛犬、愛猫さんの毎日が「ありがとう」で満たされていますように。
そしていつか来る別れの時も。
「ごめんね」ではなくて。
「ありがとう」で尽きますように。
今も殺処分されている犬猫はたくさんいます。
以前CAPPの仲間と私たちの住む自治体の動物保護センターの見学に行ったことがあります。
里親を待つ子犬の棟や去勢・避妊等のオペをする手術室など、施設内を案内されて回りました。
最後に殺処分を待つ犬たちの部屋に案内されました。
5つの部屋にわけられていて、ガラス越しに中の犬たちの様子を見ることができます。
保護されてから一日目、二日目、三日目というように犬たちが分けられて入っています。
一日目の犬たちはまだ元気で、ガラス越しの私たちに愛想を振りまく子たちがほとんど。
でも部屋が進むにつれて、犬の表情が失われていきます。
いつまでたっても大好きだった飼い主さんの姿がみえない。
景色もにおいも今までとは違う。
おかしい。これはただごとではない。
犬たちは悟っていくように見えました。
私たちが行ったとき、最終の部屋にはたしか5頭の犬が入っていたと思います。
みんな立ち尽くしている。だれひとり座っていない。身動きもしない。
こちらを見ることもなく、どこか一転をむなしく見つめているだけ。
その中にグレートピレニーズがいました。13才。長生きしてきました。
もう少ししたら命を全うできるじゃないか、なぜここにいるの?
「引っ越しで飼えなくなったそうです」
ここに連れてくる前に飼い主さんが独自で新しい里親さん探しをしたかは不明です。
したとしてもこの年ではほぼみつからなかったでしょう。
それでなくても超大型犬ですから、住環境だって難しい。
この子はひきとられてからすでに期限は過ぎていました。
ずっと最終の部屋にひとりではいっていました。なぜ期限がすぎても執行されなかったか?
一頭だけでの執行は不経済だからだそうです。
「5頭集まったので明日には執行されるでしょう」
切なかった。翌日は一日中空を見ては「苦しみなく、天国にいけますように」と祈っていました。
飼い主さんにはどうしようもない理由があったのだ。
泣く泣く、胸が引き裂かれるような思いで置いていったのだ。
そう思いたい。
執行するセンターの職員さんは言ってました。
「僕たちだって平気で執行してるわけではありません。よく仕事だからとか、もうなれちゃってなんとも感じないんでしょとかいわれますけど。そんなことはないんですよ。ぼくたちだって心はあります。痛いですよ。家に帰って自分の犬を抱き締めますよ、毎日」
ちょっとほっとしました。泣きそうになったし。
私もすぐ家に帰ってミュウさんとクーさんを抱きしめたくなった。
この部屋に入った犬たちも助かる道があります。
それは動物愛護団体のピックアップ。
団体が時々この部屋を見に来て、里親探しできそうな犬を予約するそうです。
で、執行するまでに飼い主が名乗り出ない場合、団体が引き取って里親探しをするそうです。
でもね、私たちが行ったときに予約されている犬はねみんな純血種で、ガラス越しに猛烈に、愛らしくアピールしている犬たちばかりでした。
もしかしたら、あっちの隅にうずくまってる子だって本当はフレンドリーでいいこなのかも知れない。
ただ、こんな雰囲気に怖くなって動けなくなってるだけかもしれないよ。
思いました。
ひとが大好きだったり、ある程度マナーがよく育てること、大事なんだと。
だってね、こんな切羽詰まった状況でもチャンスがまわってくるんだもの。
ある海外のドッグトレーナーさんが言ってました。
「海外の飼い主さんは犬を飼う前に勉強を始めるが、日本の飼い主さんは飼ってからあわてて勉強始める」と。
ペットショップで若いご夫婦。幼稚園くらいの子供さんが犬の前で「これを飼うんだ」とダダこねて。
「しょうがねえなぁ」と簡単に犬を購入していったこと、見たことあります。
驚きです。どうなったかな、あの犬。いまでもときどき思います。
犬や猫を飼うときは、家族でよくよく相談してください。
住環境、経済、自分たちの年齢も大事。そして高齢になったときの介護のことも考えてくださいね。
犬や猫のこともよく知ってくださいね。かわいいから、だけでは飼わないでくださいね。
「自分は絶対に最後まで面倒みます。途中放棄することなんて絶対にない」
絶対でしょうか?
人生はいろいろあります。突然とんでもない事情が襲ってくることもありえます。
万が一、億が一、愛犬、愛猫をどなたかに託さなくてはならないことになるかも。
その時の準備、託す相手も考えておくべきではないか?と私は思います。
日本動物病院福祉協会でアンケートを実施しました。
「震災前後における人と動物の絆に関するアンケート」
結果、飼い主の精神面の支え、身体面(健康の維持)、人間関係(コミュニケーション)について。
動物とともに暮らすことにより、よい、強くなった、深まったとする回答が震災後のほうが上回りました。
とくに被災地はその意識がほかの地域に比べて大きい。
動物の存在が重要であることの現れですね。
家族の一員に迎えた子。
どうかどうか、いつまでも大切にしあげてください。
もちろん私も大切に、大切に、愛情をもって暮らします。
ミュウさんとクーさんが逝ったとき。
私は無意識に「ありがとう」って言葉がでました。
私も愛情かけたけど、それ以上にふたりが私に愛を返してくれてたからですね。
ありがとう。
みなさんと愛犬、愛猫さんの毎日が「ありがとう」で満たされていますように。
そしていつか来る別れの時も。
「ごめんね」ではなくて。
「ありがとう」で尽きますように。