今回は長いですし きっと支離滅裂になりますこと はじめに言っておきます。
面倒だなと思った方はスルーしてください。
毎年8月の終戦記念日あたりに 「戦争」のことについて書いています。
今年はゆうらさんの入院でばたばたしていたため 今日まで書けずにいました。
私の祖父兄弟はみんな兵隊として戦争に駆り出されました。
祖父は終始内地勤務で終戦を迎え、弟のひとりは戦地で病気となり 内地に戻されその後亡くなりました。
もうひとりの弟は 遠く南の海の中に飛行機とともに眠っています。
子供の頃 夏休みで祖父の家に遊びに行くたび 孫の私たちは祖父から戦争の話を繰り返し聞かされました。
きっと祖父は 自分が無くなっても孫たちに戦争のことを忘れるな。語り継いでほしい。
平和がいちばんだから 平和を守りなさい。そういう気持ちを込めていたんだと思います。
なので。ゆうらさんとは関係ないけれど。
このブログで少しでも発信できたらな と思って書き続けることにしています。
今回は祖父から聞いた話ではありません。
先日 確か終戦記念日の日だったと思うのですが。
テレビで「インパールの戦い」のドキュメントを見ました。
インパール。ものすごい激戦地で有名なようです。
もう戦うのは無理とわかっていながら なかなか中止することをせず。
やっと中止したときには それぞれ勝手に逃げろ 状態だったようです。
何万人の兵士が亡くなりましたが 戦いの最中より逃げる最中に亡くなった兵士がほとんどのようです。
生き延びて日本にもどった兵隊がいますが。
そのほとんどが「上層部」。将校などの指揮を執る者たちです。
戦いが無理だと早くに気づき 食べ物も部下よりも食べていて体力があって。
逃げる算段ができていたのかもしれませんね きっと。
将校の秘書的な役割をしていたという 生き残りの 90歳を超えた老人のインだビューが流れました。
今は老人ホームで暮らすこの老人。
最後は上司から何も告げられず 野原におきざりにされたそうです。
逃げるあいだ ずっと現地の様子や自分の気持ち 特に国や上司に対する疑念を
書き綴っていました。
「よく見つけて訪ねてきましたねぇ」と最初は穏やかに笑って
インタビューを受けていましたが。
「上司は何万人の兵士の命のことなんか
これっぽっちも思っていませんよ。なんとも思っていない。
それだけのものです。」と号泣していました。見ていて切なかった。
この老人を置き去りにした元上司は 国に帰って70歳半ばまで生きました。
その間 わざわざ肉声をテープに残しています。
あるとき アメリカの元兵士が書いたインパールの戦いの本を見つけ 読んだらしい。
その中に「日本の上官の {指揮がすばらしかった} ために戦いが長引いた」
みたいなことが描かれていたらしい。
国に帰ったその将校は「役立たず 馬鹿野郎」とかいろいろ言われて悔しかったようだ。
そんなとき「指揮がすばらしい」と書かれた。
「私は十分仕事をした。相手国も認めてくれているではないか。自分は間違っていない」
みたいなこと。テープに向かってしゃべり残している。
戦後の人生 彼もいろいろあったんだろうけど。
私には自分を正当化する ただの言い訳にしか響かない声でした。
あなたが本当にすばらしい指揮をしたならば 何万人の兵士の命は
亡くならずにすんだのではなかったのではないかしら と思ってしまいましたよ。
みんなだって 国に帰りたかったんだよね。
あなたの家族はあなたが帰ってきてうれしかったと思うけど。
亡くなった兵士の家族だってみんな無事に帰ってきてほしかったんだよ。
私がよくお邪魔するブログの管理人さんは 「メレヨン島」の戦いについて書いてました。
この島でも何万人の兵士が無くなっています。
死因はほぼ「餓死」アメリカの攻撃で日本からの食糧が届かなくなったらしいのです。
でも本当の理由は。
将校の絶対的権力を背景にした食料の不平等配分だったらしいとのこと。
配下の兵隊より食べていたお偉いさんたち。部下より体力ありますよね。
だから。メレヨン島から帰還できた兵隊の69%が将校だったそうです。
ブログの管理人さんは
「安倍政権の高級官僚が 疑惑を残したままうまく逃げのびたことにダブルね」
と書いています。
私は 戦時下のお偉いさんとその部下の兵士のこと。
現代社会の「会社」とダブルなぁ と感じます。
電通や 国立競技場建設関係会社の社員の自殺。
朝から夜中まで働いた。
会社のために 上司の命令に 部下は頑張って働いていたのです。
休みも奪われ 自分の時間を失っても 責任感から離れることなく働いたのです。
死んでも黙殺され 公にされたら あわてて謝る。
これからはこういうことのないように改善します と決まった文句。
でも亡くなった命は帰らないよ。やり直すことはできないのです。
上司とはなんだ? リーダーとはなんだ? 人の上にたって指揮するって?
私の元上司も とんでもないひとでした。
自分のミスは部下のせい。部下のお手柄は 自分がいつも指揮しているからです。
と自分のお手柄。自分より上にはへーへーと頭を下げ。
そのストレスを部下にやつあたりするひとでした。
新人が入ると公私混同でネチネチといじめ。何人も退職させました。
「あんたらの代わりはいくらだっている」が口癖でした。
今だったら パワハラで とーーーーーっくに訴えられてるね あれは。
あのころ パワハラなんて言葉がなくてよかったね あいつ(苦笑)
私はかなりながい間我慢してましたけど ある日どうしても我慢でくなくなり。
上司にむかって吠えました。今日でやめますから という言葉とともに。
「私の代わりもいくらでもいると思いますけどね。
あなたの代わりもいくらでもいること 忘れるな!!」と。
上司あぜん。そりゃそうよね 今まで誰もたてつかず やりたい放題だったし。
みんな泣いて去っていったのに 反逆されて心にナイフ突き立てられたんだもんね。
積もり積もったもの 泣いて去っていった職員が言いたくてもいえなかったこと
全部言いましたよ。
上司は改心すると言った。なので1か月様子見させてもらいますと返事した。
その後 私には100%態度が変わったけど まー ほかの人にはぼちぼちだったね。
その後何年か仕事は続けました。何かあったとき 私が え? と眉毛を持ちあげると
彼女(あ 上司は おばさん でしたのよ 笑)はびびってましたね。
話はそれました。
現代のサラリーマンも兵隊みたいなものです。
でもね。
あの戦争時の兵隊と違うところは 言いたいことを言えるところです。
あの頃は「お国のために」が絶対でした。ちょっとでも戦争についての不満を言ったら
非国民っていわれたのでしょう?
国に逆らうのかっていわれてしまうから。
みんな心のなかでは疑問があっても それは違うと思ってもいえなかったのでしょう。
でも今は言論は自由です。言いたいことは言ってもいいのです。
上司の顔色ばかり窺わなくてもいいんだと思うです。
上司の言うことが絶対正しいとは限らない。もっと声をあげていいと思います。
自分の命 大切にしましょう。
上司のみなさんも。
あなたの仕事がうまく進んでいるのは あなたの力量だけではありません。
部下が一生懸命働いているから 成り立っているのです。
あなたひとりでは仕事は進みません。
仕事がうまく回らない時。「まったくどうしようもない部下ばっかりだ」と嘆きますか?
それはあなたの指揮力も足りないからだと思います。
「どうしようもない部下」を「使える部下」に育て上げるのも上司のあなたの役割です。
あなただって「部下」だったときがあるはずです。
そのときのことも 忘れないでくださいね。
いつも先頭にたって部下を引っ張っていくあなた。
でも引っ張るだけではだめなんです。
時には後ろを振り返って ちゃんと付いてきてくれているかと 部下の様子を見なくては。
時には後ろに回って 困って止まりそうになっている部下を助けなくては だめなんですよ。
部下の 仕事上の命を 人としての命を守ること それも上司の大切な役目だと思います。
自分だけ逃げたり 自分だけ正当化したりするのはいけません。
どうか 日本中の社会の兵隊さんたちの命や心が 悲しいなくなりかたをしませんように。
日本のリーダーさんたち よろしくお願いしますね。
あ 「上司だって命はあるんだよ オレたちはどうでもいいのか?」っていいたそうなあなた。
ちゃんとしたリーダーシップ発揮できていたら。
あなたがころびそうになったとき。
後ろを歩く部下が全員力を合わせて きっと助けてくれることでしょう。
やっぱり支離滅裂になりました。
人の命はひとりひとつで。それはそのひとにとっても その家族にとっても大切なもの。
それはみな同じ。
社会でも 会社でも 家庭でも。お互い思いやりを忘れてはいけません。
思いやりは平和につながるって祖父は言っていました。
戦争やいがみ合いからは よいものは生まれないと 祖父は言っていました。
これからも心に刻んで 忘れないようにしたいと思います。