とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

小田原から歩いて箱根までの旅 1

2010-12-03 | 東海道歩き

東海道を本気で歩き始めたのは2009年12月31日。
それまでは静岡県内しか歩いてなかったし、宿場~宿場を完全旧道で歩くというのは熱心にやってこなかった。

そしてホントに関東方面も歩き始めてから私の中にずっとある不安、それは・・・

箱根越え!


でした。なにせ今まで鉄道駅のあるところから鉄道駅のあるところまで歩く、駅のないところがゴールの宿場である場合、がんばってもう一宿場歩く、ということを条件で歩いてました。(金谷─日坂─掛川がその例)
だとすると箱根の場合、旧東海道沿いには近くに駅がないからもう一宿場をがんばる・・・とすると箱根八里(32km)・・・。

いくらなんでもワタシの体力ではムリ!

ならば二泊三日の予定を立てて、一日目は小田原から箱根まで歩き、次の日は三島まで歩き、三日目は疲れるから一日休み。

うん、これは名案。しかしウチの職場には難しい三連休。そしてチキンなワタシは、箱根をひとりで歩くのは怖い。
イノシシ出るかもしれんのだし!
しかし友だちが一緒に歩いてくれると言ってくれたのだ(^^)
日本橋から品川までも一緒に歩いてくれた親友である。(こんな時だけ親友と言ったりして(^^; あ、ウソウソ心の友よ!!by じゃいあん)
あとは三連休!も欲張って願っていたのだが・・・これはどうやらムリ。

だからその友だちと休みが合うタイミング(友人は土日祝日休なので普段は滅多に合わないし会わない)で半分の箱根越えをすることにしました。
幸いにも箱根はバスがたくさん出ているので、例え途中で歩くのをやめたとしてもバスで小田原まで帰ってくればよい。
これでコワイものは無くなった。
前日の夜から友だちと合流し、小田原で一泊。
イノシシに出会ったときの心得を話し合って打ち合わせOK。

小田原駅を6時スタート。さあ、出発です。↓朝の小田原城 学橋

しかし、夕べは早くにベッドに横になったのに、全然眠れなかった。
普段あまりそういうことがないのに、この日はちっとも眠れない。ギンギン(@_@;

そうこうしているうちに4時起床のケータイアラームが鳴り響いたのだ。
・・・くっ_| ̄|○
まー、それでも横になっていたのだから身体は休まっているはずなのだ。
いくぞっ。(4時起きでも文句言わない友はありがたいものであると実感)

まずは小田原城跡のお堀(↑お堀のところにいた鴨ちん)を抜けて旧東海道へ出る。
かまぼこ屋の看板などを見ながら歩く。
で、ういろうの前を通り過ぎる↓

ういろうは外郎家(元武家)のオリジナル菓子。
五代目の外郎藤右衛門定治は、北条早雲に招かれて小田原に移り住んだ。
そこで出していた家宝の名薬「ういらう」の後に食べさせる甘い菓子として、自ら造って客の接待に供した。
今もここは薬屋さんとういろう屋さん(喫茶室もあり)の両方を営んでいる。
ということでういろうは名古屋名物ではなく、この外郎家がつくるういろうだけがういろうであるということである。

さあさあ、箱根まで歩くので小田原でゆっくりはしていられめー。
ちゃっちゃか歩く。

▲旧小田原駅跡。

そして板橋見附と呼ばれている上方見附跡。つまりここが宿場の終わり。

さてさて、箱根へいよいよ向かいます。

つづくのだ


雨だけど、今日も歩きます

2010-09-30 | 東海道歩き
ずっと記事はサボっていますが、この間
■掛川宿─袋井宿
そして18きっぷを買ってから9/10までの間には
■品川宿─川崎宿
■川崎宿─神奈川宿
■神奈川宿─保土ヶ谷宿
■保土ヶ谷宿─戸塚宿(台風でした(^^;)
と歩いてました。
つい先日はちょっと飛ばして
■小田原宿─箱根宿
もクリアしました!
えっと・・・そのうち書きます。

18きっぷの季節以外は静岡県内を歩こうとも思っていたのですが、次が戸塚宿─藤沢宿(歩けたら平塚宿)と近くなってきたので今日行って来ようかと思います。
雨だけど。

さて、歩き出してからというものぜったい忘れてはいけないものがあります。

です。
ふだんポケ塩を持ち歩いているのですが、この夏からはニューバージョン。
その入れ物に岩塩の粒タイプを入れて持ち歩いています。
患者様から「岩塩なら口の中にいれても、そんなにしょっぱさを感じないでイケる」と教えてもらい、早速マネしてみたところなかなかよかったので、それ以来ずっと粒岩塩です。
でも一時間に一回摂るとなるとやはりしょっぱさも感じてきてしまうので、水分摂るときに岩塩を口にポイッ、水をゴクン!
そう、サプリを飲むみたいに飲んじゃうのです(^^)
そうすれば水分だけ摂ることも無く、脱水は起こりにくいのです~。

箱根を歩いている時に、リヤカーを引きながら徒歩で日本縦断している大学生の男の子に会ったのですが、ちょっと話した時に塩飴を私にくれました(^^)
夏に熱中症になってしまったそうです。
今年の酷暑の中、ずっと歩きっぱなし・・・大事に至らなくて良かった。
それで塩飴持ち歩いているのだとか。
身をもって知ってしまったのですね。でも塩分が大事ということに気づいたのはエラい!
無事に沖縄まで着けますように

さてさて、今日はちょっとゆっくりめのスタートですが、がんばってくるかな

金谷宿─日坂宿─掛川宿7/7の日記その2

2010-09-06 | 東海道歩き
さて、中山峠なのですっ!
やはり難所なのです。石畳でヒットポイント(体力)のほとんどを使い切った私の前に中山峠は立ちはだかるのです。
しかし、中山峠は宇津ノ谷のときとは違い、のんきな風景が楽しめるところでした。

▲小夜の中山峠。山に茶畑いっぱーーい。
写真は全て、クリックすると大きくなります。


▲みちしるべ

▲中山峠には句碑がたくさんあります。
難所の中山峠が楽しくなります(^^)


▲「旅寝する さやの中山さよなかに 鹿も鳴くなり妻や恋しき」橘為仲朝臣・風雅和歌集より。

▲野宿は一般的だったのかな。・・・こんな峠で夜を迎えるのはヤダ。

▲久延寺近くにある接待茶屋あと

▲これが久延寺。夜泣き石がある寺

▲久延寺の説明

▲久延寺境内

▲夜泣き石です。正面から撮らないチキンな私
平日なので峠でも人に会わないし、久延寺でもひとりだし・・・ちょっとこのお寺で一人はイヤだす(^^;

▲久延寺の敷地内には「茶亭跡」の碑がある。茶亭を作ったのは山内一豊らしいっす。家康に褒められた。

▲子育て飴の「扇屋」休みです。娘にお土産頼まれたのですが・・・土日しかやってません。

▲芭蕉の句碑。「道のべの 木槿は馬に くはれけり」。むくげの美しさに目を奪われそうになったと思ったその途端、馬に食われてしまったのだぁ(^_^; 
思わず「くすっ」と笑ってしまって撮りました。
←そこに咲いてたアザミがかわいかった(^^)
▲涼みの松。芭蕉が涼んだと言われる大きな松があったそうな。ちょっと休憩できるようになってます。


▲広重の東海道五十三次の中に描かれている日坂は中山峠。昔から夜泣き石はででーんとありました。

中山峠後半で雨が降ってきたので合羽を着ます。両手は空けておきたいので合羽がイチバン♪
最後の急坂を下るのがきつかった。・・・道路がコケだらけで、またしても雨の中すべるぅ。
よってこの辺りは写真が全然なし。


▲峠を降りる直前にある看板。日坂宿に軒を連ねていた屋号なのであろう。

峠を越えましたー!やったー!
そして日坂宿に入るのです。
まずはトイレトイレ・・・とトイレを探しますが、閉まっています_| ̄|○
お腹空いたし、お昼お昼・・・と思いましたが、飲食店見つかりません_| ̄|○
とりあえずトイレピンチのまま、日坂宿を見学です。

▲日坂本陣跡!!は、幼稚園となっていましたが、今は廃園。どこもさびしい状況なのだな。


▲萬屋。ご自由にお入りくださいって書いてあるから入ろうとしたら鍵がかかってた_| ̄|○

▲旅籠 川坂屋。土日祝日は公開されている・・・らしい。


▲高札場。どーーーにも曲がるな、撮影が。足元ふらついてるな。トイレと空腹のダブルパンチなのだな。

▲下木戸跡。宿場の出入り口を木戸と呼ぶことがあります。京都方面の木戸

さて、飢えていた私はどうしたかというと、日坂の町で営業している「岡田ベーカリー」という、町のパン屋さんに飛び込みました。
焼きそばパンと、↓これを購入

なんにも書いてなかったので何パンかわからなかったのですが、なんだか妙に気になったので、つい選んでしまったのです。その岡田ベーカリーで、
「トイレが閉まっていたので困っちゃったー」
と言ったら
「八幡さんなら大丈夫よ(^^)」
と教えてくれたのです!感謝♪
パン屋を出てすぐに歩きながら焼きそばパンを食べ(相当飢えていた)、目指すは八幡さん!

トイレのために!


▲事任八幡宮です。遠州一の神社かな。ことのままはちまんぐうと読みます。
ここでトイレ借りたの、助かったの(T_T)
事任八幡宮は「願ったことがそのままに叶う」という噂で、大人気の神社となったそうです。
それでその名前がついたそうな。

トイレを借りたら、また掛川に向けて出発です。

▲へとへとになった私は、掛川道の駅を見つけ。休憩~。
ここの道の駅はおすすめです。
御殿場高原時之栖のお店なので、御殿場高原ビールはあるわ、ソーセージ買えるわ、地元の野菜は買えるわ、子育て飴買えるわ・・・楽しい道の駅です(^^)
ここで水分と塩分を補給し、休憩しているうちに・・・・寝てました(^^;30分は寝てました。

目を覚まして、さっき買ったパンを食べようと思ったら・・・ない!

もしかしてもしかしなくても・・・事任八幡宮の、しかもトイレにおいてきた_| ̄|○
あわてて往復1.5キロ歩いて取りに戻る雨の中・・・。
そしてやっぱり食べながら歩くワタシ(^^;←このオンナを何とかしろ
パンは、中にカステラとみかんジャムが入っていました。
マーマレードではありません。みかんジャム♪(皮が入っていなかったから自分的にはジャムなのです)
なかなかやるです、美味しいです、岡田ベーカリーさん。


▲この日、二個目の一里塚跡

あとはひたすら幹線道路だったり旧道だったりする道を黙々と歩き、馬喰橋(ばくろうばし)を越えれば・・・・

掛川宿!・・・・の入口。


▲この日、三個目の一里塚跡。それっぽく盛り土がしてありますね。

足、そろそろ足裏もつってきました。かれこれ14キロは歩いている。

さて掛川は城下町。
七曲と呼ばれる道があります。城へ攻め込みにくいように道が曲がりくねっているのです。
あっちまがってこっちまがって、こんどはここを曲がって・・・・まちがえました_| ̄|○
どうにも本に書いている通りに出ませんでした(^^;
まあ、そんなんでも掛川城の前には着くのです。昔の戦略にみごとにハマッた旅人がここにいました(^^;


▲あの門の向こうには掛川城があるのだ。

▲足動かないし、掛川城の見学は終了した時間なので、おしみながら掛川宿をあとにしました。

金谷駅から歩いて掛川駅まで・・・。自分でもよく歩いたなと思いますが、普通の東海道ウォーカーは島田から掛川まで平気で歩いちゃいますから。まー、私にしては頑張りました。

金谷宿─日坂宿─掛川宿 7/7ぶん

2010-07-18 | 東海道歩き

金谷宿は昨年の12月に島田から歩いているので、今回はその続きからです。
元気な人は袋井まで歩いてしまうようですが、私は体力がないので、休憩しながら撮影しながら、亀歩き。
撮影もマニュアルフォーカス、フィルムカメラ!マニアックなのではありません、たまたま持っているのがそーゆーのなのです。ヘタクソなので撮るのに時間もかかります。

前回は石畳前でリタイヤだったので、今回は石畳から!
JR金谷駅から、石畳へ行く案内板が出ていますので、その通りに進んでいけばあるいて「すぐ」です。
石畳の前から既に坂ではありますが。

今回金谷駅に着いたのが8:30。石畳茶屋はまだ開いてません。
【小さい写真はすべて、クリックすると大きくなるのです】
さー、さくさく登るぞっと決心した私の前に立ちはだかる金谷石畳。

こーみるとなかなか良いよね(^^) 

石畳は、坂道に敷き詰めてその坂をすべることなく上り下りできるようにしたもの。

しかし・・・・・

だがしかーしっ

足元コケ!コケだらけなのですよっ!!すべってすべってたまらんのです!


▲証拠写真 緑色の石

ここを一歩歩くごとにヒットポイントが2ごと減っていくのだ。←ドラクエの毒の沼地かっ!
どの石を踏もうか、どの石なら滑らないか、石の間の落ち葉が溜まっているところを歩こうか・・・そんなことを考えながらそろーりそろりと歩く私は汗だらけ。
おまけにそんな私の所へは縞やぶ蚊が寄ってくる。・・・集中できん。

そんな風におっかなびっくり歩くワタシの目の前に現れたのは

すっ、すべらず地蔵尊だとう。



しかも「ここの石畳はすべらない」だとう・・・?
すべらず地蔵尊には受験生が掛けたであろう、合格祈願の絵馬がたくさんかかってた。

いやいやいや!すべるだろぅっ!

ここへ来るまでに既に受験生はツルッツル滑ってるよ、きっと!
・・・・この坂で滑ったことは気にしてはいけない>受験生諸君 だが健闘を祈る。


▲明るくなってきた。きっとそろそろ出口。

▲上りきったところで後ろを振り返る・・・真っ暗(^^;

金谷坂をのぼりきるとそこは茶畑である。
すでにくたくたですが、まだまだ旅は始まったばかりなのでここで休憩するわけにもいかず、歩きます。
ちょっと進むと「諏訪原城址」・・・ですが、先は長いので見学せず。というか以前見学した時ちょっと「イヤ」だった。気のせいかもしれんが難所を控えているので余分なことはしない。

さて・・・菊川へいく道は。

こちらも石畳なのであるっ!
しかもこれまたふだんあまり人が歩いていなさそうである。
まーいいか。東海道はこの道しかない。

紫陽花も見ごろは過ぎて、色が変っています。でも写真だとそんなにわからないかな。


下り坂のコケだらけ石畳のきついこと。一歩踏み出すことに体力が減ります。膝もガクガクになってきます。
降りきった!と安堵する私の前に立ちはだかったのは


続きの石畳!!
しかも下り勾配が急らしく、道の先がまったく見えていない!!
えーーーーもういいよう~

泣き言いっても始まりません。降ります。
ここからかなりテンパリモードだったらしく、撮影してません。

▲菊川坂石畳の降り口にあった案内板。
こんどこそ、石畳おわりです。
膝がーーー・・・・_| ̄|○
いや、ホントきついです。ここで体力の2/3以上を使ってしまいました。
この日の難所は中山峠。難所前にもうガタボロの私。
とりあえず、間の宿菊川を堪能。



間の宿菊川。
ふつう、間の宿は宿場間の距離が長い時に設置された。
しかしここ菊川のように、宿場間(金谷─日坂)の距離が短くても、峠のような難所を控えている時は、便宜をはかって設置された。
間の宿は宿泊厳禁。尾頭付きなどの本格的な料理も旅人に出すことはできなかった。
そこで「なめし田楽」が大流行。名物となった。
今はこの菊川の「菜めし田楽」は金谷の「よし善」で食べることができる。
http://www3.tokai.or.jp/yoshizen/
(と、去年12月の記事でも書いたとおり♪めちゃくちゃウマいので、ぜひ一度(^^))

菊川のベンチで10分ぐらい休憩して再出発。
さて、今度は中山峠が待っているのである。

なんとっ!!こんなレポートが続くのである!  つづく


地元東海道おかち日記─ダイジェスト版?

2010-07-10 | 東海道歩き

最近、休みの旅にあるく旅してます。しかも交通費があまりかからない地元ばかりです。
たとえ地元でも、ものすごい楽しいです(^^)

5/30(日)【興津宿─江尻宿】(興津駅─清水駅)

興津駅近くに美味しいたいやきがある(らしい)。なぜか突然食べたくなったため仕事帰りに興津へ行く。
しかし私が入店する直前からなぜかものすごい人だかりで入店できず、あきらめてそのまま江尻宿である清水まで歩く。
旧旅籠「水口屋ギャラリー」に立ち寄る。ここは入場無料なのにガイドまでしてくれる。
なんて親切なのだろう。
おまけにスタッフさんが近所のおいしいものまで教えてくれた。

揚げはんぺん、である。はもときすの練り物であった。うまうまだった。
「調味料(アミノ酸等)」ほか、添加物と化学調味料は入ってます。
お買い求めの際は「自己責任」で(^^;

「潮屋」にて興津名物、宮様まんじゅうを土産に購入。余分なもの入ってないから、シンプルでおいしい。

たいやき食べられなかった自分は、宮様まんじゅうを揚げまんにした「あげまんぢう」を購入(^^)食べながら歩く。
食べすぎちゅうい(^^;

6/19(土)【府中宿─丸子宿─宇津ノ谷峠─岡部宿】


本当は土曜日の休みということで「休日乗り放題きっぷ」で、娘と「身延線乗り鉄の旅♪」をするところだったのだが、前日の豪雨のため雲行きが怪しくなり、当日の朝6時の時点で警報が解除されないためやむなく中止。

しかし、天気は快復。
娘は一度お出かけを中止すると変更がきかないため、ひとりで出かけることに。
次の日も休みなので、足がどんなに疲れても動かなくなっても大丈夫と思い、府中宿(静岡市繁華街)から岡部宿入口まで歩く。
宇津ノ谷峠に入る前に17時の鐘が鳴った・・・が宇津ノ谷峠強行突破。
岡部宿の「大旅籠 柏屋」まで歩く。
結局「石部屋」で食べた安倍川餅がお昼ご飯となった。


6/24(木)【宇津ノ谷集落~宇津ノ谷峠─岡部宿─藤枝宿】




6/19の時にあまり満足できなかったので、宇津ノ谷集落からもう一度歩くことに決定。
先に宇津ノ谷道の駅で「若鶏の網焼き定食」(650円)を食してからスタート。
これがボリューム満点で、歩きに影響を及ぼすのでは・・・と思ったが、杞憂に終わった。なかなか良い(^^)
しかし、ごはんと味噌汁に「マイ塩」をがんがんかけて食べていたので、お店の人は奇異の目で私を見ていたに違いない。「当店の味付けに何か問題が・・・?」ってきかれなくてよかった(^^;

ずっとお話を聴きたいとおもっていた「御羽織屋」(石川家)の石川ときさんから、秀吉の羽織の由来をきく。
その後2度目の宇津ノ谷峠越え。
なぜ2回も難所を越えるのか・・・自分も物好きだよなー、と再確認。

その後岡部の「大旅籠 柏屋」見学。ここで午後三時になっていたので慌てる。
松並木がところどころ残っている岡部─藤枝間を歩くのはちょっとウキウキした気分です。
藤枝の水守交差点付近まで歩くが、翌日からの一週間のことを考えてここでやめる。
宇津ノ谷峠で買った「十団子」♪娘へお土産。



7/1(木)【藤枝宿─島田宿】




一日休みのときは、遠慮がちに歩きます。
一宿場歩くだけでもクタクタになりますが・・・。
だいたい8-9キロ。東海道歩く人たちというのは、もっともっと歩く。
しかし自分の体力の限界を知っている私は、かなり遠慮がちに歩く。
途中で染飯買いにいくために横道にはずれたので、もいっかいバスで青木まで戻ってから歩きなおす。

今回の買い食いは藤枝の商店街「おきせ」(和菓子屋)で買った「抹茶きんつば」♪
商店街を食べながら歩いてた・・・(^^;
島田到着、帯通りで夕方5時。やっと昼ごはん食べる気になる。
藤枝名物染飯。(リュックに入れっぱなしで寄ってます)
ホントは竹の皮で包まれたものもあるそうですが、こっちの方が安いんだもん♪
くちなしで染めたおこわの握り飯。昔はすりつぶして小判状に固め、干したものでした。
携帯食になっていたため、旅人はこぞって買い求めたのだそうです。

7/7(水)【金谷宿─菊川(間の宿)─日坂宿─掛川宿】
いっぱい歩いたから別の記事へ~。←ひっぱるのかっ


東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 後半2

2010-05-21 | 東海道歩き
お昼ごはんを食べてから、今度は静岡市中心にかけて歩きます。 しばらく国道1号線を歩き、柚木交差点で地下をくぐります。


くぐったところの階段を上ると、ふたたび旧道が顔を出します。
曲金商店街を目指して歩きます。
ふだんは全然気づかない道しるべがありました。


ここらへんは住宅街なので人の家の庭にある花なんぞをながめながら歩くのも楽しいです。
さくらんぼみっけ!


アメリカジャスミンみごと!
普段は自転車で「しゅーーーっ」と通っている所ですが、歩くとまた全然違う景色に見えるからフシギです。



曲金商店街を抜けるとやがて最後の地下道へ。
ここから春日町駅付近へ行きます。
斜めに延びている「横田町」の通りからいよいよ府中宿です!!
今は安い美容院が建っていますが、あのすぐ隣あたりが、東見附という宿場の入り口にあたります。


↑あ、失敗して真っ黒ですが、「下横田町」と書いてあります。

とりあえず由来の説明も書いてある(クリックすると少しは大きくなります。)

もう少し進むと猿屋町。猿回しの方たちが住んでいたらしいです。


これは鋳物師町の説明(鋳物師たちが住んでいた)今はこれらの名前の町はないので、当時のことを知るのに助かります。
やはり、自転車で通っていたのでは気づかなかった。

横田町といえば「おいべっさん」(横田町 西宮神社のえびす講)。縁日にはにぎやかになる丸一屋えんぎ店。

またまたここをまっすぐ行けば伝馬町になります。

にぎやかになってきました。

久能街道の道標。家康が葬られている久能山へつづく道です。ワタシも昔は久能街道に住んでました。

日吉町の駅の近くに「華陽院」があります。
家康のお祖母さんと、5歳で亡くなった家康の娘が眠ってます。
入り方わからなくて(^_^;(幼稚園といっしょになっていて入りにくい)、お寺はあまり興味がないのでそのまま街道に戻りました。


下伝馬本陣・脇本陣跡?↑
上伝馬本陣・脇本陣跡?↓


本陣(大名や公家や幕府用心を宿泊させる場所)跡なのか脇本陣跡(ふだんは旅籠だが、本陣がいっぱいになったときに大名たちを泊めるところ)なのか・・・
なぜまとめられているのか・・・

くぉらー!静岡市!手を抜くんじゃないっ!

まったく静岡市(旧)は旧東海道ウォーカーにとって不親切な土地なのである。地元民はなさけなくなった。
家康が隠居して移り住んだ街なのにっ。もー少し家康に感謝してあちこちに歴史的遺産を残してほしいのである。
府中宿は東海道の中でも最大級の宿場のひとつ。
・・・だったらもーちょっと東海道ウォーカーにわかりやすくしとけーぃっ。

ちょっとむーっとしながらもう少し歩くと

これは知ってる人は知っている。山岡鉄舟と西郷隆盛が会見した場所の記念碑。ペガサート前。
日本橋から品川に歩いたときには「勝海舟・西郷隆盛会見の碑」がありました。そのお膳立てをしたのが山岡鉄舟。
江戸城無血開城について、西郷隆盛と話し合いをするために江戸を出た山岡鉄舟。
途中さった峠手あたりで危ないところを望嶽亭藤屋の主人によって地下にかくまわれ、漁師に変装して船で逃がされ(このとき手伝ったのが次郎長親分)命拾いをして府中へ。
で、無事会見に至ったのである。
・・・まちがってたらごめんなさい。←オイ
さて、駿府城も近づいてきました。江川町交差点を曲がって呉服町方面へ。


そして伊勢丹前が高札場であった「札の辻」
これは札の辻ビルにある駿府の地図

↓札の辻跡

ここで足をとめてじーーーっと見入っている、旅の人は居るかもしれんが地元の人はあんまし居ないです(^_^;
ワタシはよく足を止めてます。←ただの変な人に見えるらしくて通行人がじろじろ見る
普通はここから駿府公園に行きますが、勝手知ったる駿府公園。
足も疲れているので今日は省略っ!!

ここを曲がって七間町通りを歩きます。
映画館の4つ角をすぎてチョットしして雑貨さんの手前を右に曲がり、写真屋さんの角を左に曲がれば新通。
あとはまっすぐ行くだけです。
府中の町は川越町まで続きます。川越町あたりに西見附があったということなので、そこまで歩けるかなぁ~・・・と思ってましたがやっぱり途中で娘がリタイヤ宣言。
バスに乗って駅まで帰ることにしました。
本通に出るとなぜかそこに一里塚がっ!
・・・写真撮るのを忘れましたが、本通が東海道となったこともあったらしいのです。
まあまっすぐ行けば安倍川橋だしね(^^)

それにしても地元のことって知らないなぁ~・・・と改めて思いました。

ちなみに、この日伊勢丹で売っているはずの、かつて古庄で売っていた「うさぎ餅」がみつからず、5/20松木屋で買ってきてしまいました(^_^;
前記事に書いたうさぎの焼き印ではなく、昔ながらの満月の焼き印でちょっとうれしい「うさぎ餅」。こしあんでめちゃうまっ!


5/13に歩いた地図の後半(1枚の画像におさまりきらないんだよね)。

東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 後半

2010-05-20 | 東海道歩き
とにかく江尻から府中を目指して歩いている途中に、雨風と気温の低さと空腹にみごとに負けてしまった桐井親子は、5/13になってようやく出かけることにしました。

 今回なぜ超地元を歩きたいと思ったか、まーカネがかからないというのは前記事で述べました。
しかしもう一つ大きな理由があったのです。

意外と(旧)静岡市の東海道がどう通っているのかわかってない!


清水という町もよく知らないワタシ。
そして自転車でよく走り回っている市内の駿河区、葵区にしたって、東海道がどこからどういう道をたどっていくのか知らなかったのです。

 これは歩かなくてはいけない。地元の東海道を知らずに「東海道好き」などと宣言してはいけないのである。
そしてワタシはバッグの中にはいつも
新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド (講談社+α文庫)
東海道ネットワークの会
講談社
この本を忍ばせておき、クリニックが早く終わった日には自転車を走らせて、江尻─府中間の予習までしていたのである。

まーそんなわけでとにかく前回の続き。JR草薙駅から歩き始めます。
草薙駅前

前回草薙神社も見逃したのだが、今回も「別にいいか~」と素通りする(←オイ)。
せめて写真を撮ろうと思って、しずてつストア草薙店からカメラを構えたのだが・・・鳥居が大きすぎてファインダーに収まりきらない。
すっかりイヤになってしまったワタシは先を急ぐことにしたのである。
この草薙駅から少し南に入ったところから東海道なのだが、ちょっとだけ道が消失している。
なので今ある道を行くしかない。
今まで少し南幹線と合流していたが、再び一本南の旧東海道に入る。

するとそこはっ!




そう、そこは造園業者ストリートなのであった。
ほんとにここ、東海道だよね・・・と心配になったその時

助けてくれた親切な看板も、造園業者のものでした。ありがとうございます。
そこには白いアヤメが咲いててかわいかった(^^)

本当にこの辺りは造園業者ばかりである。
いろいろな木や花が植えられていて、ちょっと楽しい。
造園業者でしょ~。また造園業者でしょ~♪(^^)・・・と指さしながら歩いていました。
ちよっとあるくと・・・また造園業しゃ・・・・

だっ・・・ダルマっ?(@_@;;

実はここは東光寺という禅寺で、めずらしい立ち姿のダルマ像が置かれてました。
↓読みたい方は写真をクリックすると別窓で大きい画像がでます。



さて、草薙総合運動場が近くなってきました。・・・と、そこで木に白い花がたくさん咲いているのを発見。


さて、これは何の花でしょう。



ハイ、みかんの花でしたー。・・・って、なんで花と一緒に実がなってんの?・・・まあいいか。

やがて道は運動場にぶつかり、行き止まりとなりますがここから北へ向かって静鉄運動場駅を目指して歩くのです。
運動場駅前の道がやはり東海道。
アッチ曲がってコッチ曲がって・・・とは思いますが、まーこんなのは大した曲がりくねりではないのである。岡崎宿(愛知県)には27も曲がる道があるのだ。

そして、静岡中央ロータリークラブが建ててくれた「旧東海道記念碑」があります。

↓詳細が書かれています。写真をクリックすると別窓で大きく開きます。

JRに東海道が分断されてしまって栗原に存在する東海道の多くの部分がなくなってしまうために、記念として建てられた。ここからすぐ横にある狭い地下道を通って線路の向こう側へと渡ります。

非常に狭くて、しかも車が通りますのでこわいです。
ここを歩くとき、また自転車で通るときはじゅうぶん注意しなくてはなりません。
隅っこを小さくなりながら遠慮がちに歩き、出口です!

出たら左にぐいんとまがって、旧道に戻ります。
やがて、それらしき道に出ますので一安心。ちょっと公園で足を休めます。
そして5分後、再び歩きます。

古庄道しるべ。やはりここでよかった旧東海道♪
しばらく歩くと国道と交差します。

すると目立つこの看板。古庄の自治会によってたてられたものですね(^^)

うさぎもち・・・跡地。うさぎもち食べたい。でも跡地。
駿河三大名物・・・。
1.安倍川餅
2.追分ようかん
3.兎もち
・・・とこういうわけですな。
江戸時代の狂歌の第一人者、蜀山人が東海道を旅している途中に
「耳長う 聞き伝へきし兎餅 月もよいから あがれ名物」
と、つい詠んでしまったぐらい美味だったらしい。
あんこが透けるぐらいうすい皮に包まれた大福に、月の焼き印が押してあるものだったらしい。

旧東海道で商いしていた人たちの事情は厳しい。
鉄道が敷かれ、国道が整備され、忘れ去られた街道となってしまった旧道でお店を営んでいくのは、困難を極めた家が多すぎる。
この兎もちをつくっていた吉田家も・・・まあそれ以外の事情もあったのでしょうが店をたたみ、作り方は別の店へ受け継がれ、そこもまた他の店へ引き継いでもらい・・・と転々として、現在は水落交番からほど近い鷹匠町の「松木屋」さんで売られているそうです。
今は満月の焼き印ではなくて「うさぎさん」の焼き印みたいです。
http://blog.shizuokaonline.com/eye/2009/10/post_299.html

さて、一度国道と合流して、長沼の交差点まで歩きます。
交差点の花壇には、ココロ和むこんなものがあります。

ここには大きな「望月家」という屋敷があったのですね。・・・う~む、地元人、知らない。長沼は詳しくないしなぁ、うちのじいちゃんばあちゃん死んでしまったしなぁ。
誰か知ってたら教えてくらさい。
で、交差点を渡ったらちょっと斜めの道に入ります。ここが旧東海道。
しばらく歩くと「静鉄 長沼駅」より少し手前にあるのがこれ。

誰もが見落とすと評判の、長沼一里塚。
いやいや、それでも数年前はもっと見落としそうだったようである(植木鉢の置き場に使われていた)。

今は、ゴミ収集所に昇進しましたっ!!

・・・・ゴミ収集日にはまた「見逃す一里塚」になっちゃうじゃん・・・_| ̄|○
さて、ここに来たときはAM11時30分近く。

「混むから早めのお昼にしよう!」と娘をむりやり「かっぱ寿司」に引きずり込むのであった(娘は魚嫌い・・・というより、ほぼ魚アレルギーで、なぜかマグロだけは食べられる)

二人で990円というお得なお昼をすませ、また歩き始めるのである。
・・・府中宿後半へつづく!!
↓とりあえず、こんな感じで歩いてきました。

地図も後半へつづく!

東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 前半

2010-05-18 | 東海道歩き

あれは・・・おそらく4/15のことである。
突然思い立って地元の東海道を歩きたくなったのだ。

なにせ、地元ならば交通費がかからない!

ということで、江尻宿─府中宿(宿場間の距離は10.5km)を歩くことに決定~。

江戸から18番目の宿場町、江尻宿とは、ちょっと前までは清水市。今は静岡市清水区となってしまった、「今や市内」である。
ちびまるこちゃん、清水の次郎長親分、サッカーのエスパルスなどで知られている。


JR清水駅で降りて「江尻口」へ出る。もう片方は「みなと口」です。ちびまるこちゃんの垂れ幕が教えてくれます。

そこから真っ直ぐ歩いてセブンイレブンの交差点までいく。その交差している道が東海道。
道には途中に東海道歩きのための看板が立っているので迷わなくてすみます。親切だなぁ、府中宿はこうはいかないのだ。

この日は寒くて、この辺から雨が降ってきました。
一里塚があったはずなのだが、見逃す。

駅からちょっと離れたところに清水中心街の「清水銀座」はあります。江尻宿の中心です。そこで右折。そのへんの看板にあるが「稚児橋」というものを目指しながら歩きます。

んで、無事稚児橋に到着。

いい位置から撮ろうとしたら、車がびゅんびゅん通るから撮影断念。
変な構図になる↓


「稚児橋」の由来。
江戸初期、徳川家康の命によって巴川にこの橋がかけられました。地元の一組の老夫婦を選んで「渡り初め」をしようとしたその時!!

なんとおかっぱ頭の稚児が川の中からぴょん、と現れ、この橋を一番乗りで渡って府中方面へ消えていったのである・・・。

地元の老夫婦はがびーん・・・となったかどうかはわからないが、とにかくそれを見ていた人々は
「ありゃー河童だらー」
ということで、この橋には稚児橋という名前がつけられ、河童の像が四隅に、河童のレリーフが埋め込まれてます。

なんで稚児が河童なんだろう・・・と思っていましたが、そーゆーわけでした。
ただのおかっぱ頭の子どもだったのか、本当に河童だったのかはミステリー。

で、橋を渡り終えると河童のこしかけなんぞもある。



稚児橋を渡り終えたら次に目指すは「追分羊かん」である。
http://www.oiwakeyokan.com/syohin.html

・・・の前に、これは西木戸跡。


追分ようかんを目指してまたてくてくいく。


300年の伝統を誇る老舗です。
竹の皮に包まれた羊羹ですが、なんとなくもっちり。
甘さは控えめでなかなかいけます。子どもの頃食べたのはもーちっとマズかっ・・・あわわ。
とにかく今は美味いです。濃い~いお茶と共に召し上がりたいモノです。
この追分羊かん本店では中で休憩できます。
しかし先を急ぐので羊羹を買ったら再びちゃっちゃっと歩きます。
店の前の石碑には「ここより 志みづ道」と書かれています。ここから脇に入ると志みづ道。・・・だがそのまま歩きます。
なにせ10.5キロ、旅人二人(ワタシと娘)体力なし!

次に来たのが「都田吉兵衛」の供養塔です。
この人は清水の次郎長の子分で、これまた有名な「森の石松」を殺したやくざさんです。
次郎長一家に指名手配されてるっていうのに江尻に来て、仇として討たれたらしい。
で、誰も弔う人がいなくて、それをあわれに思った地元の人が供養塔を建てたとのことです。
ここはなんとなく撮影する気になれなかった。
というわけかなんなのか、追分みちしるべなんぞを載せてみる。

そして「金谷橋」を渡り~

昔は土で出来た橋だったらしいです。牛馬は回避してたのね。
後はひたすら歩きます。

狐ヶ崎をすぎてしばらく歩けば、見慣れた南幹線に出ます。ちょっとほっとしました。
雨は激しくなってきて、お腹もぐーぐーです。
歩く力もなくなってきました。


とりあえず草薙一里塚跡。
ここ、信楽たぬきが一緒にいるんだけどね、歩道が狭くて写す気になれなかったのです。
で、こんな構図に・・・(TдT)
んで、この一里塚跡からほど近いそば屋で休憩します。
http://www.at-s.com/bin/guru/GURU0040.asp?yid=C365510320
美味しかったのですよ。暖まったし、助かったぁ。

食べ終わってからもうひとがんばり歩こうと思ったのですが、娘がリタイヤ宣言。無理強いはできませんのでここで終了です。

続きは5/13と、約一ヶ月後のことになるのでした。
この日、歩いたルート。


そうだ、蒲原いこう─御殿山さくらまつり編

2010-05-18 | 東海道歩き
しかし、アップやーめた、というわけにもいきませんのでねぇ・・・。
4/8の蒲原 御殿山桜まつりの時の様子です。

Flashでまとめたモノをお目汚しでごらんいただきます。
・・・何にも考えずに撮ったものなので、チョーへたくそ。
失敗ばかり(^_^; なにせフィルムなので失敗したかどーかがわからない!
そんな感じです。

下の画像をクリックすると、別窓で開きます。よろぴく↓クリック!


そうだ、蒲原行こう(旅録編)

2010-05-17 | 東海道歩き
JRに乗って、目指すは新蒲原駅。

北へ歩くと道案内があります。

そこから東に進むこと1キロぐらい。
本来目指す由比宿への進行方向とは逆に歩きます。
宿場入り口というのは「東木戸跡」でいいのですが、それよりもう少し吉原宿寄りに「浄瑠璃姫の墓」と「源義経硯水」というのがありまして、そこも見てみたいと娘がいうのでとりあえず歩くことに。

で、まずは東海道沿いにある「源義経硯水の碑」と「浄瑠璃姫の墓」へ。



1174年、源義経が奥州へ行く途中、嵐のため蒲原に足止めとなる。再び旅立つときにこの場所の湧き水を汲んで蒲原神社へ奉納するための祈願の文を書きとめ、また恋の相手の矢矧 (愛知県)浄瑠璃姫へ手紙を書いたとされる。
手紙を受け取った浄瑠璃姫は義経恋しさに矢矧から奥州へ下る途中、この地で病に倒れて亡くなった。

というわけで、浄瑠璃姫の墓と義経硯水を見学してから宿場の入り口へ行きます。やっとここから由比宿に向かって正規のルートとなります。

しばらく歩くと一里塚発見です。


その先には東木戸跡。
ついに蒲原宿入り口です~♪


ここには常夜灯もありました。



問屋・名主 利左衛門との看板がありました。ここは貴重な資料の残っている旧家、渡邊家です。


材木をあつかっていたことから「木屋」とも呼ばれていたそうです。
奥に土蔵があり、当時の貴重な資料があるそうです。予約すれば見学させてもらえるそうですが、今回は予約もなく、足も疲れそうなのであきらめました。
先祖代々の資料を大切に残しているその努力はやはりすごいものです。
木屋の土蔵
http://kiyaedoshiryoukan.eshizuoka.jp/e360455.html

そしてまたテクテク歩くとなまこ壁と塗り家造りの元商家。蒲原にはこのような家がたくさんあります。


そして「蒲原夜之雪 記念碑」。歌川広重最高傑作といわれるこの版画、この場所で描いたと思われる場所に建てたのだそうです。


・・・が、蒲原にはこんなに深い雪、降りません、積もりません。だいいち温暖なこの地域に雪なんて滅多に降りません。
だからこの絵については最大の謎です。諸説ありますが本当のこと知っているのは本人(版画のグループ)だけ。

そして元旅籠、「和泉屋」さんは蒲原宿おやすみ処となっていますが・・・・品川宿につづいてこのおやすみ処もお休みです。

連休明けの平日ですからね。もーあっちこっちお休みばっかです。
なので4/8に再び訪れました。その時の写真。

二階のこの窓はものすごーく斜めになっているのを補正してあります。
このゆがみは安政地震の時にできたものです。そう考えるとやはり貴重なので残しておきたいゆがみなのですね。

二階の窓からは向かいの本陣が見えます。
昔はここからそーっと本陣に泊まっていた大名をのぞいたりなんかできたわけですねー(^^)
ここには織物で芸術作品を作る方がおられます。数々の作品が本に載り、作品展に必ず呼ばれるようなすごい作品を作る方です。
休憩しているときに話しを聞かせてくれるので、ここでぜひコーヒータイムとしゃれこみましょう(^^)
コーヒー一杯300円。ほかにもいろいろな飲み物がありました(失念)。

入り口には籐のつるし雛がありました。ここにも桜えび♪
このときは蒲原の雛祭りも兼ねてますからおひな様がいっぱいです。


和泉屋の向かいは本陣跡。
黒い塀に囲まれた本陣跡、かっこいいではありませんか。老夫婦が住んでおられますので、一般に公開されてはいません。
蒲原宿場まつりの時だけ公開されるようです。

その次には「御殿道」というものがありました。


説明は・・・こちらをどうぞ(^_^;

その次に現れたのは洋館です。


旧五十嵐邸。五十嵐歯科医院となっております。
ワタシは現役でここやっていると思っていたのですが、中は公開されていたようです(^_^; 3/23は休み・・・なのでここも4/8に再び来てみました。

雛祭り(旧暦)も兼ねてるのであります、昔のおひな様。各部屋に時代ごとのお雛様が飾ってありました。
庭が見える素敵な部屋。

庭に咲いているのが「菊桃」という珍しい桃です。

蒲原宿、もうひとつ商家。国登録有形文化財 志田邸です。
しとみ戸という、珍しい仕組みの戸が残ってます。この日は休みね。


1854 年の大地震(安政の大地震)の翌年に建て直された商家です。
すごいですよね、こんなに長い間この状態を保てるのですから・・・。
このように蒲原宿は古い家並みをふんだんに残す宿場でした。
ここに紹介しきれなかったのですが、手作りガラスと総けやきの家というのもありまして、家のガラスが手作りのため、ちょっと波打ってたりするのです。とっても素敵な家屋でした。
ほかにも沢山古い家屋の家がありました。


宿場出口にある西木戸跡。
それぞれの宿場の出入り口を「木戸」と言います。
文字通り、大きな門がありました。昼間は開け放たれていますが、夜と非常時は閉じられます。
そしてこの木戸近辺は、フクザツになっています。
そして木戸近辺では道が細工されています。
道路が折れ曲がっているものが「枡形」、宿場内の道路を鍵状にカーブを付けたものが「曲尺手(かねんて)」と呼ばれます。どちらもセキュリティの目的と、大名行列がかちあわないようにするために重要でした。

で、蒲原宿と1月に歩いた二川宿は「枡形」が用いられていました。

蒲原宿を出た私たち親子は、由比を目指して3キロ強歩きます。
ほぼ一本道なので楽です。
二川宿から吉田宿まで歩いたときなんかは、アッチ曲がって、コッチ曲がって、またコッチ曲がって今度は・・・っていうような東海道もありました。
岡崎宿には27も曲がる宿場もあるようで、未経験のワタシにとっては脅威となっております。

そんなことはどーでもいいんですが、とにかくワタシにやさしい蒲原宿~由比宿。おしゃべりしている間に由比につきました。


ここは由比宿の建物ですが、現役で使われているような感じですが・・・。
時間はすでに2時を回っています。お腹すきました・・・。ご飯は「海の庭」と決めているのでがんばって歩きます。

由比には何度も足を運んでいるわりに、一度も行ったことのない「由比桜えび館」に行ってみようと思いました。
看板みっけ。








Σ(゜Д゜;エーッ!

桜えび館、ここをのぼるの?
ここ神社じゃないの?

まあいいや、とにかくのぼって行ってみよう。
で、素直に神社の階段を上っていくと、本当にありました。

ゆい桜えび館
http://plaza.across.or.jp/~kakusa/index.html
とくにどーいったこともなく、土産物の直売所でした(^_^;
「桜えび茶屋」というお食事処もありました。そしていつも行く「海の庭」、これも姉妹店だったんだそーです。

名物の「削りぶし直売所」と「桜えび直売所」の二つがあります。団体様は食堂が使えるようです。
桜えびはこれからたべるからいいとして、かつお節がちょうど切れそうだったんで、買っていこう・・・と見てみると、

新鮮なのに安い!!Σ(゜Д゜;

つい2袋買ってました(^_^;
でもって桜えび直売所は、なんとなく疲れてしまって見ないできてしまいました。

さてさて、もう3時近くです。お腹すいたんですぐに食べたいです。

さあ、ここからはいつもの由比歩きです。
娘はいつも桜えび食べられないんで、その辺りのお店に入ることはできません。桜えびしかないから(^_^;
で、いつもの「海の庭」へ。
駿河湾が一望できるレストランです。


あれ・・・?
国道と線路ばっか写ってる?・・・お腹すきすぎて撮影する方向さえ間違いました(;・∀・)
本当は駿河湾が正面に広がってます。

桜えび食べられない娘の「ツナおこわ膳」↓


ワタシの「桜えび御膳」↓


美味かった・・・(^^)

満腹になって満足したワタシは、下のおみやげ物屋でちょっとお菓子を買いながらお店の人とおしゃべり。
三連休は忙しかったかと聞いたのですが、天気が悪くておまけに黄砂まで飛んでたので、いつもの忙しさではなかったようです…。

お店を出て、向い側の「由比本陣公園」を見ると・・・こちらも休み。
由井正雪の生家、「正雪紺屋」、こちらも休み。
桜えび料理で大人気のそば屋、「井筒屋」・・・も休み。
ワタシは「今や市内」の土着民(つい最近、由比町と蒲原町は静岡市と合併しました)だからいいんだけど、遠くからさった峠越えてきた人たちもいたようだったので、ちょっと気の毒でした。
海の庭は営業しててくれて助かった。

お腹が満たされたワタシたちは、ゆっくり歩いてJR由比駅へ向かいました。
その途中に銘菓「たまご餅」を売っている春埜製菓があります。
今日こそは買おうと思って通ると・・・やっぱり休みでした_| ̄|○

次は季節遅れの「そうだ、蒲原いこう─御殿山さくらまつり編」だーー

そうだ、蒲原行こう(概要編)

2010-05-17 | 東海道歩き
3/23・・・って、だいぶ前じゃん。 えぇと、ふと思い立って蒲原─由比を歩きました。宿場歩きです。 一日の休みで宿場歩きをするとすれば、距離の短いところ。 そして交通費のかからないところ・・・とくれば、蒲原宿─由比宿(3.9キロ)です。 スタートは東木戸よりもう少し吉原宿寄りの「源義経硯水の碑と浄瑠璃姫の墓」から。 しかし、この日は三連休の後日だったため、見学できるところがことごとく休みでした。 悔しかったので4/8、お花見を兼ねてもう一度蒲原の宿場近辺を歩きました。 ・・・ので、写真をアップします。 宿場歩き順になってます。 クリックしてね。 http://blog.goo.ne.jp/photo/19122 細かい説明は次の記事にしまーす♪