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Retro-gaming and so on

確かに言ってるこたぁ分かるわ、と言う話

あまり瞬発力をためすようなゲームはしないのですが、インベーダーゲームとか原始的なキャラクターのゲームって、何が面白かったんでしょうか? というか本当に面白かったんでしょうか?


色々書いてはみたんだけど、確かに言わんとしてることは分かる。
っつーか、ぶっちゃけ、今どきスペースインベーダーなんぞやっても面白い、とは思わないよなぁ。



スペースインベーダーはそれまでの色んな半導体を組み合わせて製造するビデオゲームとは違って、CPUを中心に製作されたビデオゲームの最も初期の作品のウチの一つである。実はスペースインベーダーが出た時期(1978年)前後が「専用回路」と言う設計から「汎用CPU」中心への回路設計に変わる過渡期だったのだ(※)。スペースインベーダーはインテルのi8080を中心として組み立てられたらしい。
が。技術的進歩はそれだけ、と言えばそれだけである。
オリジナルのスペースインベーダーは白黒で、カラーを演出する為にセロファンを貼ってた程度だったし、スプライトみたいな高級な技術も使われていなかった。
結構ベタなコンピュータ用のプログラムで、全部を動かす為、自機の弾は一画面一発しか打てない仕様だった。それ以上キャラを動かすのは難しかった、からだ。
元々は戦車軍と自機の戦いとして企画されたらしいが、動きが戦車にしては不自然過ぎる、ってぇんで宇宙人にしたそうだ。宇宙人だったら動きが不自然でも「宇宙人だから」が理由になる、と。
つまり、キャラクタの動きの「限界」がゲームの背景を縛った、と言う、結構デタラメな状況で売れたゲームなんだよな。黎明期じゃねぇとこんな偶然なかったろ、と言うカンジ。
なお、当時は「宇宙モノは失敗する」って言うジンクスがあって、タイトー社内では「失敗が確実視」されたゲームだった模様。でもその予想は大ハズレで、歴史に名を残すゲームとなったのだ。

※: 余談だが、シンセサイザーの銘記、Prophet 5がデビューしたのも同じ年である。「音色が40個も保存出来た」のもCPU、Z80を搭載したから、で、やはりこの年前後が「CPUを中心」にした設計が普及する「CPU元年」と言って良い。
なお、YMOなんかが使ってたシンセの代表格がこのProphet 5で、彼らのデビューもこの「CPUを中心にした」商品にスイッチする時期と同時で、かつ、CPU商品の進歩が彼らの音楽の進歩と同期してる如きだった、と言うのがなかなか面白い。


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