前回見たAtari Lynxは1989年から1995年の約6年間販売された。
世界で見ると総計200万台売れている。その数だけ見ると「失敗」とは言えないと思わないか。累積販売台数自体は「悪い」って程じゃない。
もっとも、ゲームボーイは1995年時点で1,600万台売れている。Lynxの8倍売れてるわけだが、それでも200万台と言う数字は「打ち切る」には勿体ないだろう。市場が小さいだろうがある程度やりようはあったのではないか。
しかしアタリ・コープは1993年にとんでもない経営戦略を打ち出す。「今からどうなるか分からないゲーミング・コンソール」Jaguarにリソースを全部集中しよう、と言うんだ。
Atari Jaguar。64bitシステム、として宣伝されたが、CPUの68000は16bit CPU(内部的には32bit)だった。カスタムチップを2機搭載していて、それらの名前はトムとジェリーだった。
「今から売れるかどうか分からん」ゲーミング・コンソールに社運を賭ける、とか正気の沙汰とは思えない。当時は北米では任天堂とセガが覇権を争っていて、そこに割って入ろう、なんつーのはマトモな経営戦略とは思えないが、アタリ・コープはそれを断行する(ちなみに、社長は代替わりしてて、ジャック・トラミエルの息子、サム・トラミエルが率いるようになっていた)。
結果、アタリのパソコンは、プロ用DTMマシンとしてニッチな市場をヨーロッパで形成してたが、それさえもアタリ・コープは「捨てる」と言う愚行を犯すわけだな。
ATARI STの後継機ATARI Falcon。CPUはモトローラ68030の32bit機。ST同様、マシンにはMIDI(Musical Instrument Digital Interface)がデフォルトで搭載されていて、ヨーロッパでは次世代DTMマシンとして注目されていたが、「普及に弾みが付く前に」アタリはJaguarに賭けてホームコンピュータ市場からも撤退してしまう。買ったユーザーとしてはとんだ裏切り、と言えよう。なお、ATARI Falconが恐らく初めて音声チップとしてDSP(デジタル・シグナル・プロセッサ)を搭載したパソコンで、その音楽的性能は当時では(プレステが出るまで)どの機械の追従も許さなかった、まさに「音楽専用マシン」と言えるスペックを誇っていた。なお、以前も書いたが、現在のDTMソフトウェアのデファクトスタンダードで、現在はヤマハの子会社になってるSteinbergのCubaseは元々ATARI STのソフトウェアで、90年代では日本やアメリカでは全く知名度がないソフトウェアだった。また、AppleのDTMでデファクトスタンダードになってるソフト、Logicも元々STで生まれ育ったソフトウェアをAppleが買収したモノだ(かつてMacで生まれたDTMソフトは軒並みWindowsに移動してしまった)。このように、DTMではATARI STがヨーロッパで育んできたソフトが現在ではプラットフォームを変えてデファクトスタンダードになっている。
言っちゃえば、この「とんでもない経営戦略」に巻き込まれて「まだまだやれる子だった」Atari Lynxはその役目を1995年に「強制的に」終える事、となるわけだ。
もう一つの理由は、Atari LynxだろうとAtari Jaguarだろうと、任天堂と決定的に違ったのはアタリ・コープは生粋のハードウェアメーカーでゲーム作りのノウハウが全くない会社だった辺りだ。
これを聞くと「アレ?」って思うかもしんない。ビデオゲームビジネスの創生者だったアタリがゲーム作りのノウハウが全くない、なんて事はあり得ないだろ、と。
しかし思い出して欲しい。アタリショックでアタリは多額の損失を出したわけだが、一方それでもアーケードゲーム部門「だけ」は利益を出してたんだよ。
親会社ワーナーは、結果不採算部門だった(ATARI2600を作った)家庭用コンピュータ/コンソールビジネス部門だけを売っぱらいたかったわけだ。ここに買収を申し出るのがコモドールを追い出されたジャック・トラミエルと彼が率いる(元コモドールの技術者達で構成された)トラメル・テクノロジーズだ。ジャック・トラミエルは「アーケード部門が家庭用に絡む場合、アタリのロゴを使わない事、また"アタリ"ではなく"アタリ・ゲームズ"を名乗る事」を条件に「ゲーム制作ノウハウを持たない」部門を買収するわけだ(※1)。
ワーナーは「旧アタリのゲーム制作部門」をそのまま持ち、そこにナムコが資本参加する、って流れになるわけ。結果、ナムコがアタリ・ゲームズの株を1993年辺りまで40%くらい持つようになる。
いずれにせよ、ジャック・トラミエルが買収した「部門」はハードウェア設計に特化した部署で、ゲーム作りのノウハウを持ってた集団じゃなかったわけ。そこがLynxの製造・販売をしたりJaguarの制作としたり・・・つまり、ハードウェアは作れてもソフトウェアを作れるような能力は元々無いわけだ。
これもいつぞや書いたが、ハードウェアメーカーは「ハードウェアをリリースさえすればあとは勝手にソフトウェアメーカーがソフトウェアを書いてくれる」と盲信してる。言わばある意味ソフトウェアメーカーを「下に」見てるわけだ。これで失敗するわけだ。コモドールもそう、シャープもそう、でそれで自社プラットフォームにソフトウェアが揃わない、と言う状況を招いている。
危機的状況をなんとかくぐり抜けたのはアップルくらいだが、それはアップルは本質的にはハードウェアメーカーじゃなかったから、だ。往年のアップルはカスタムチップをデザイン出来るような能力はなかった。一方、「何でもソフトウェアで解決する」と言った社風がアップルを救っている。ソフトウェアが揃わなければ自力で作れる、と言った社風がアップルを助けていたわけだ。これは非常に任天堂に近い。両社共ソフトウェア作成能力が同業他社に比べると段違い、なんだ。
これらを鑑みると、やはりアタリ・コープは弱い。Lynxを存続させるにしても自社でソフトウェアを作る能力がなかったわけだ。ある意味、「新規ハードウェア」に社運を賭ける、と言うような博打を打たざるを得なかったのも、生粋のハードウェアメーカーとしてはしょーがない「悪手」だった、と言うのは分かるだろう。
Lynxはローンチタイトル、と言うか、バンドルソフトからしてある種精彩を欠く選択をせざるを得なかった。上で見た通り、アタリ・コープ自体がゲーム作成能力が低い、あるいは無い、と言った上に、そもそも元々の企画としてはEpyxと言うゲーム制作会社がソフトウェアを受け持つ、と言う契約になっていた。しかしEpyxはLynx発売の1989年にはゲーム制作会社としての機能をほぼ失ってしまう。
Lynxにバンドルされたソフトウェアは「California Games」と言うゲームだ。これは往年のEpyxのタイトルとしてはビッグヒットではあった。パソコンではかなり売れ、知名度は高い。しかし、Lynx「じゃなきゃプレイできない」ゲームってわけでもない。この第1弾タイトル自体が既にLynxの、ある意味「弱み」になってたんだよな(笑)。
California Gamesは元々は1987年に、Apple II/Commodore 64向けに開発・販売したスポーツゲームだ。
Apple II版
プレイヤーはまずは名称を決定し、そしてスポンサーを選ぶ。
スポンサーを選ぶ画面。日本企業であるバイク屋の川崎や、カシオの名称がある辺りが笑える(笑)。
そして、トライアスロンならぬヘキサアスロンみたいな状態で、6つある競技を順次クリアして総合得点を競うわけだ。
用意されている競技種目。
- スケートボード
- リフティング
- サーフィン
- ローラースケート
- BMX
- フリスビー
サーフィンの画像
まぁ、ここまでは良いだろう。日本人好みたぁ思えないが、アメリカ人は一般にスポーツゲームが大好きなんで、こういうゲームは「アリ」だとは思う。
問題は、だ。
Epyxはこのゲームを物凄く数多くのプラットフォームに移植してるんだ。MS-DOSや、なんとMSXにまで移植してる。
そしてその移植先には米国版ファミコン(NES)、セガ・マスターシステム、そして米国版セガ・メガドライブ(ジェネシス)が含まれる、んだ。
NES版(1988年):
セガ・マスターシステム版(1989年):
セガ・ジェネシス版(1991年):
ジェネシス版はLynxのリリース後に出てるが、NES版はLynxリリースより前、マスターシステム版はLynxと同じ年にリリースされている。
さて、ここで問題です。特にNES版はNES自体も売れたんで売れたろうが、果たして、新プラットフォームを自分で既に持ってるゲームがバンドルされてても「買いたい!」って思うだろうか?
殆どの人の答えは「No」だろう。いくら売れたとは言え、既存の他社のプラットフォームで既にバカ売れしてるゲームをバンドルしても食指は動かない。動かないだろ?
この辺、アタリ・コープのセンスは壊滅的にダメだ、と言う事に他ならない。
必要なのは「Lynxでしか遊べないスゴイゲーム」なんだ。ところが、アタリ・コープもEpyxもそんなゲームの開発能力が無い。ホントないないづくしなんだ。
人によっては「でもNESよりLynxの方が性能がいいし、"キレイな"画面で遊びたい人もいるでしょ?」と言うだろう。なるほど、その意見は確かに正しい。
しかしながら、Lynx版のCalifornia Games。こいつは実はダウングレード版なんだよ。
上にも書いたけど、元々California Gamesってのは一種のヘキサアスロンがテーマなんだ。6種類のスポーツを総合的に競う、ってコンセプトなんだ。
ところが、Lynx版はこのコンセプトが欠けてしまった。単に4つのスポーツゲームを行える、と言ったコンピレーション的なゲーム集にしちまったんだよ。
Lynx版California GamesではBMX、サーフィン、スケートボード、リフティングの4種のゲームから選んでプレイする、ってだけのゲームになってしまった。
それじゃダメだろ、と言う(笑)。
こう、ローンチタイトルが良いかどうか、である意味そのプラットフォームの運命は決まる。任天堂は外さない。しかし明らかにアタリ・コープはハズしてるのが分かるだろう。
そこそこ売れてはいたATARI Lynx。一方で1989年〜1995年の約6年間で、トータルでソフトウェアは73本程度しか揃わなかった。1年間に約12本。1ヶ月に1本しか平均では出てない、と言うペースだ。これは多いのか少ないのか。
どっちにせよ、Lynxはソフトウェア不足に悩まされ、Jaguarはもっと深刻だった。
「ゲーミング・プラットフォームを作るにはハードウェアよりソフトウェアを作れないといけない」と言う原則をセガを含め、知らん企業が多すぎる、ってこったな。
アタリ・コープの失敗も、「それを知らなかった」に尽きるだろう。
そしてアタリ・コープはJaguarでも案の定失敗し、会社を売り渡す事となりその歴史に幕を下ろす事となる。
※1: これが理由で、アタリ・ゲームズがファミコンやメガドラ用のカートリッジを売る場合、アタリブランドではなく、「TENGEN」ブランドになっていたわけだ。