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Retro-gaming and so on

敢えて「観た方がいいアニメ」と言うのは、80年代前半にしか集中してない

コロナ禍のせいだろうか。皆、Stay homeで暇してんだろうか。
教えて!gooで「観た方がいいアニメは何か」と言うカンジの質問が連投されている。
皆、暇つぶしに何すっか困ってんだろうな〜、とは思う。
でもマジレスな話。

そんなものはない。

そもそも、フツーの映画でさえ「観た方が良い」映画、なんつーのは思いつかない。
所詮この辺はエンターテイメント、要するに娯楽、ってのが基本だ。
娯楽、なんつーのは基本一過性のモノであり、一時期ブームになったとしても忘れ去られて当たり前のもの、なのだ。

例えば。90年代。
ピアノ・レッスンって映画があった。
当時周りにいた、クソ女共が「芸術的で感動する」とかのたまってた映画だ。
正直、個人的には「何も中身が無い」映画としか思えなかったが、いずれにせよ、バカ女共はその映像美にヤラれてたらしい。もう一度言うけど、そんなモンは個人的には単なるギミックとしか思ってなかった。
んで、時は過ぎて。
誰かこの「ピアノ・レッスン」なんつー映画を覚えてる?覚えてないだろ。
「どんなに芸術的な作品」(あるいは「芸術のフリをした」作品)だとしても残るかどうか、なんざ分からんのだ。
結局一過性として流されてしまう。
一部一過性にならずクラシックとして残る作品もあるだろう。
ただ、そんなモン、つまり、100年後に観ても面白いかどうか、なんざ予測は付かないのだ。
従って、「観た方がいい」と言うのは簡単には判定が付かない。
こちとらトーシロだけど、例えば映像研究やってる学生とか映画を学んでる学生とか、言ってる事が痛い程分かるだろう、と思う。
本当にエポックメイキングな作品、なんざ数が限られてるんだ、と言う事を。

あるいはジャンルに分けた時、代表的な作品はこれ、って言う事は出来る。
ただし、アニメに於いてはそれは凄い難しいのだ。
何故なら、現時点作られてるアニメのそのほとんどが、あくまで市場としてはアニヲタを相手にしか考えていない。
一部の人を対象に造った作品が「万人に理解されて、時の試練に耐えて残る強度を持ってるか」と言うと「持ってない」としか言いようがないだろう。
結局、あくまで一部の人だけが面白がってて、ハッキリ言うと一年も経つと忘れ去られる程度の作品しか出てこない。「本当にいつ観ても面白いモノ」ってのが出づらい構造になっているのだ。構造と言うかそういう商売か。
そういう商売なのに「観たほうが良い」作品なんてあるわけがないのだ。

それでも「敢えて」の話をしよう。
「観たほうが良い」アニメ作品は、70年代末から80年代前半にしか集中していない。
しかもテレビ作品ではない。劇場公開作品だ。
それを理由と共にここに書いていこう、と思う。

ハリウッド映画がSFXを前面に押し出した映画を製作しだしたのは、70年代に入ってから、だ。この時期、ホラー映画を筆頭としてSFXを駆使したエンターテイメントが洋画界を席捲しだす。それまで、SFXは、円谷を擁した日本がむしろ牽引していて、正直言うと、ハリウッドはそのテの事が得意ではなかったと思う。
ところが、70年代に入ってから、それまで「低予算の為の技術」だったSFXに金をかけるようになって、映画のエンターテイメント性が格段に変わってきた。ポセイドン・アドベンチャー、タワーリングインフェルノ、ジョーズ、・・・・・・と枚挙にいとまがない
そして、ターニングポイントは1977年のスターウォーズだった。映画制作会社側でさえ「大丈夫かこの企画?」って疑ってたらしいが、蓋を開ければ大ヒット。ここでSFXを使いまくった大作、でもエンターテイメントでさえあれば金が稼げる、って事が決定的になった、のだ。
反面、邦画界は基本そこまで金をかけれなかった。だから「人間の内面を描こう」とするような「芸術性が高い」作品は作れても、エンターテイメントはとてもじゃねぇけど作れない状態だった。娯楽作品が殆どない邦画は恒常的に客を呼ぶには力不足だったのだ。当時、邦画で唯一気を吐いてたのは、1976年に映画作りに参入してた角川作品くらいだったんじゃないか。
つまり、エンターテイメントと言う分野に限ると、邦画でハリウッドの実写映画に比肩する映画を作るのが可能に思えたのはアニメしか無かったんだな。アニメなら豪華なSFXに金をかけずとも、比較的、安価に作る事が出来る。そういうわけで80年代前半は、エンターテイメント性に溢れる「大人が観ても耐えられる」アニメ映画を作ろう、と言う試行錯誤に溢れた作品が出てくるのである。

最初のターニングポイントは、ご存知松本零士の「銀河鉄道999」である。


なんとこの作品、1979年に日本で公開された映画では、興行収入ランキング第5位である(邦画だと実はダントツぶっちぎりの興行収入である)。どれだけのブームになったのか分かるだろうか?
ひっじょーに丁寧に作られたアニメで、ぶっちゃけ、「劇場版アニメ」は、これ以前、とこれ以降、だと質が全然変わってしまった、って言うくらいのエポックメイキングな作品である(これ以前は基本的には「東映まんがまつり」程度だった)。
従って、敢えて「観た方が良いアニメ」としてなら、この作品をまずは推挙する。これが初めて「アニメはジャリのモノじゃない」と言う主張を掲げた作品であって、当時の東映動画の本気度は洒落じゃなかったのだ。そしてアニメじゃないと作れない映画でもあった。
どれだけ東映動画の本気度が凄まじかったのか。監督は、劇場版アニメ初監督となるりん・たろうだが、サポートに何と、(多分「犬神家の一族」が一番有名だろう名監督)市川崑を配置している(クレジット上は監修)。


市川崑は、「初監督」であるりん・たろうに、色々とアニメ映画作成に対するアドバイスを行っていたらしい。実は市川崑は、元々戦前にはアニメーターとして活躍してて、アニメでもエキスパート中のエキスパートでもあったのだ。良くある単なる名義貸し、ではない。
そして原作松本零士。今はどうだか知らんが、少なくとも当時の松本零士の作品には一種のリアリズムがあった。例えば曰く、「相手が殺しにかかってきたら、躊躇なく相手を殺せ」等(笑)。ぶっちゃけ、少年漫画としてはどーかと思う「テーマ」が彼の作品には散りばめられている。だからこそアピール対象は実は子供、ではない。
松本が仮定してる「世界」とは、弱肉強食の世界であり、そこは無法である、と言うのが原則。つまり、彼の実際はどうあれ、(かなりの確率で)彼の漫画の登場人物は「明文化された」ルールを信用していない。と言うか頼れないのである。そこではどんな非道な事でも行われかねない。従って、我々の持ってる「日常的な常識」と言うのは信頼出来ない。そんなモンは環境でガラリと変わってしまうから、だ。そして代わりに来る常識、「生物としてどう行動すべきか」を問う。
「銀河鉄道999」は彼のそのテの漫画でしばしば問いかけられてきた「常識に対する疑問」を昇華させて詰め込んだ大作である。だからこそ面白い。根源的な疑問に対して何とか回答しよう、と言うのが、機械化人間が作り出す「社会」と生身の人間の対比で描かれてるのだ。
と言うわけで、今観てもこの作品は面白い。で、恐らく100年後観ても面白いんじゃないかな、とは思う。
これが一推しだ。

次点が、1983年公開の「幻魔大戦」だ。


この映画、実はスタッフ的には前述の「銀河鉄道999」のスタッフが再集結してる。そして角川書店が初めて造ったアニメ映画でもある。
当時、既にオタク文化が形成されつつあって、アニメ雑誌も多数創刊されて、同時期に「宇宙戦艦ヤマト 完結編」、そしてオタクが支持してた安彦良和の絵が美麗な「クラッシャージョウ」が公開される事が分かっていた。
アニメ雑誌的には「クラッシャージョウ」の情報が第一でイチオシ、正直言うと、当時の雑誌の扱いでは幻魔大戦は三番手だったのだ。製作がどう進行してるのか、殆ど秘密裏に進んでるんじゃないか?、て感じるくらいに盛り上がってない。雑誌的には。
ところが、蓋を開けてみると、幻魔大戦が圧勝。1983年の興行収入でも第14位に付けていて、クラッシャージョウは惨敗、と言って過言ではなかった。
正直な事を言うと、幻魔大戦のストーリーは今見てみると「???」って思うトコも少なくない。と言うか当時でも「???」って思ってるトコは正直あった。
そして、世紀末へ向かう当時、1983年の「人々の感じる漠然とした不安」と、2021年の、まだ21世紀がはじまってから4/5しか経ってないトコでの「人々が感じる漠然とした不安」は質が違うだろう。要するに根底的に共感出来ないトコがあるんじゃないか、って思っている。
ぶっちゃけた話、今、幻魔大戦を観るとしたら、一番期待すべきは「リアリティの描写への挑戦」しかない。今までの「漫画的な設定での映像の描き方」ではなく、「我々が住んでるこの世界の描写」への挑戦、である。今だと例えば「けいおん!」が京都の町並みを描写してる、で盛り上がったりしてたが、その辺のルーツは、この「幻魔大戦」に全て詰め込まれていて、ここからはじまった、のだ。



そして美少女もクソも無い造形のキャラクタ達。まだマイナーだった漫画家、大友克洋にキャラクターデザインを任せて、とにかく全編に渡って「リアリティ」を追求する。
要するに実写映画に挑戦しよう、と言う野心に溢れて製作された本作。実際、ウワサによると、大友克洋デザインのキャラクタを「アニメとして動かす」と言う無茶振りに逃げ出したアニメーターも多かったそうだ(笑)。



いずれにせよ、アニメの技術的進歩に着眼するとすれば、明らかにこの作品は「観た方が良い」アニメとなるだろう。
そして、今の体たらくな角川アニメと、この時代の「進取の気概」を持ってた角川との違いを感じてもらいたい。

あと、面白いか面白くないか、で言うと、単純に「面白い」ってんで二つばっか、当時のアニメ映画から紹介してみようと思う。東京ムービー新社(現・TMS)製作の2本、劇場版「コブラ」(1982)と「ゴルゴ13」(1983)である。
この二作品とも監督は同じで、出崎統である。実は個人的にはこの監督が一番アニメ監督としては好きだった。彼の個性溢れる演出が個人的にはたまらない、のだが、この辺は好みの問題で、合わない人もいるだろう。



まずはコブラ。原作はあまりにも有名な漫画で、説明は特に要らないだろう。いる?
コブラは左手に「サイコガン」と言う銃を仕込んだ宇宙海賊。以上。



実は僕は、漫画「コブラ」の(アメコミ調の)絵がどーにもダメで、全く読んだ事が無かったのだ。このアニメで開眼した、と言って良い。それくらいこの映画は「良く出来てる」。良く出来てる、としか言いようがない。
映画は原作1〜3巻をベースにしてて、原作の寺沢武一も脚本に参加し、非常に良くまとめている。手堅くまとめた上で結構ロマンチックな悲劇(悲劇としか言いようがない)として再構成してる。
流浪の宇宙海賊、コブラが、ひょんな事から滅んだミロス星人の最後の生き残りの三姉妹(正確にはそのうちの二人)と一瞬の愛を交わす物語。旅人である彼の人生のうちのちょっとした一瞬の交差でしか無いのだ。非常に切ない物語である。



ちなみに、コブラの声はなんと松崎しげるが演じている。これに対してネットでは割に否定的評価があって、僕も最初配役を聞いた時、「え?」って正直思った。最初にコブラが喋るシーンでも違和感があったんだよなぁ。
でも、映画を通して最後まで観ると、全然意見が変わってて、むしろ「松崎しげるしかコブラの声はあり得ない!」って思うようにまでになってしまった。ハッキリ言う。コブラの声は松崎しげるが「ベスト」である。結果、彼のひょうひょうとしたキャラに良く合ってるのだ。
主題歌も良い。BGMも良い。
いずれにせよ、オススメである。



ゴルゴ13。この映画も個人的には大傑作であると思う。そして、これも、絵がダメで、それまで一回も読んだ事はないのだ。ただし、設定「だけ」は知ってはいた。
この劇場版が面白いのは、「スナイパーである筈のゴルゴ13が狙われる立場になってる」って辺り。なんつー映画的なスペシャルな設定なんだ(笑)。狩人が狩られる立場になる、なんつーのは面白すぎてしゃーない。そしてこの映画が面白すぎて、僕もゴルゴ苦手が無くなったのだ。



そもそも、ゴルゴ13ってのは分析すると、「ゴルゴ13って漫画の主人公」ではないのだ。単に連作シリーズとして考えた時、「共有する登場人物」なだけである。言わば役割的には狂言回し程度にしか過ぎない。
だからこそ、それまでに作られた実写映画版は二本とも失敗した。狂言回しを無理に主役に仕立ててもダメだから、だ。
ところが、このアニメの劇場版だと明らかに主役になっているんだけど不自然ではない。何故なら「狙われる立場」だから。ゴルゴ13に於けるこの設定は美味しすぎて、このアニメの劇場版が出ちゃった以上、二度と同じ事は出来ないのだ。だからこその傑作、と言えるわけである。
主題歌も良い。BGMも良い。っつーか、基本的に、アニメ制作会社としては、東京ムービー新社(現・TMS)は抜群の音楽センスを持ってる、って思っている。
ちなみに、この映画では派手な(当時としては)破格のCGを導入した作品としても知られているが、同時にその部分だけは"the worst CG"等と諸外国では呼ばれているみたいだ。ただ、それも合わせて、敢えて傑作だ、と言っておこう。

以上である。
が、恐らく1970年代末、から1980年代中盤、辺りまでのアニメ映画だったら、どれを選んでもそこそこ面白い、のではないだろうか。多分。
ただし、それ以降になるとハズレが出てくる。と言うか、1980年代前半の「邦画の実写映画に欠けてるエンターテイメント分野を背負おう」としたアニメ映画、ってのが無くなっていく。
大きな原因はビデオデッキの普及だ。つまり、ビデオデッキの普及により、アニメ制作会社は「一般人を相手にしなくて良い」と製作の方針を転換するのである。そう、OVAの登場、である。
つまり、ここに至って、「オタクだけに的を絞って、オタク相手に商売すれば充分」って言うビジネスに転換したんだな。これによって、当然、エンターテイメントとしては質が落ちていくようになるわけだ。そこではオタクだけが理解出来る粗悪な美少女モノがはびこっていく、のである。
そしてそのマインドは今も続いている。

断っておくが、今のアニメ作品でも面白いモノはある。個人的には例えば、2009年に放送された「咲-Saki-」なんかは大好きである。
ただ、その理由はまず僕が麻雀好きだ、って事がある。麻雀好き以外に奨めた事もないし、そもそも麻雀知らんヤツに薦められるのか、と問われれば「うーーーーん」としか言いようがない。
つまり、どう考えても万人向けではないだろう(いくら、当時人気があったアニメだとしても、ね)。



また、例えばドラマとして考えた場合、SHIROBAKOは面白い。確かに面白いのだ。
ただ、これも「アニメとして考えて」となると疑問符が付く。これって実写でも良かったんじゃねぇの?ってのがどうしても振り払えない。
「アニメとしてしか表現出来ない作品だからオススメする」ってのはあり得るけど、「別に実写でも良かったんじゃねぇの?」となるとその辺、どーしても推薦へのテンションが落ちる、のである。どーしても「観た方がいい」にはならないのだ。
そういう意味で言うと、ドラマとしてはSHIROBAKOは面白いんだが、アニメとしては、構成があまりにもフツー過ぎるのだ。




先に挙げた「幻魔大戦」はリアリティへの追求だ、と言った。ただし、やっぱ当時としては「アニメでしか表現し得ない」作品でもあったのだ。アニメじゃないとニューヨークは崩壊出来ない。
かなり後になってからCG技術の向上によって、Clover Fieldでは怪物によりニューヨークを崩壊させた。ただし、1983年にはそれは無理だったのだ。従って、幻魔大戦でも「アニメでしか出来ない」表現をやっぱりやってのけていたのである。
厳しく言うとSHIROBAKOにはそれがない。同様に、最近ヒットした「君の名は。」にもそれがない、のだ。



個人的には「この素晴らしい世界に祝福を!」も好きである。まだ角川が今程酷くなかったし(ただ、「出版されたラノベのCMとしての深夜アニメ制作」のコスパを疑問視しはじめており、方向転換をしつつあった)、元々コメディーが大好きなのだ。
ただ、この作品が100年後も観て面白いのか、っつーと「分からん」。今まで挙げた70年代末〜80年代中頃の作品に対するような、明確な評価を下しようがない。所詮それこそ、客観性が無い「個人的な趣味」の範疇になってしまう。



他にも、ここで挙げてない「面白い作品」は、ここ20年で考えても「無くはない」。ただし、やっぱり基本が「アニヲタ向け」で製作されてるのは間違い無く、「一般人を含めて面白がらせよう」ってやってるのか、と言うと甚だ疑問を感じざるを得ないのだ。だから挙げられない。恒久性がある作品を選ぶ、ってのはそれほど、アニメと言うジャンルでは、特に難しいのだ。

と言うわけで、敢えて「観たほうが良いアニメ」を挙げるとしたら、やっぱり「一般人を面白がらせようとしてた」「ハリウッドに比肩する映画を作ろうとしてた」80年代中頃までの作品に限るんじゃないのかなぁ、ってのが個人的な結論なのである。
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