瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

休日

2015-04-03 17:13:04 | 随想
桜を見に行こう。近所の公園のは見たんで、今日はちょっと遠くまで。と言っても駅二つ先だけど。

と思ったが起き上がれない。疲れのせいで体幹をまっすぐ支えていられない。首がガチガチで頭が痛い。昨日からそうであったが一晩寝ても駄目だった。

昨日が酷過ぎた。十八時間、働いてた。掛け持ちをするからこんな時間になるのだが、はたらけどはたらけどわが暮らしは楽にならない。心に澱が溜まっていく。
そのうえ昨夜は警察に呼び止められるし。乗っていた自転車が東京にいたころのものだから、照会に時間もかかりその間雑談。警察からすれば雑談だろうがこっちにしてみれば職質。体調悪いし、苛々するばかり。

そんな昨日を引きずり今日は結局一日横になっていた。せっかくの休みが残念なことだ。

「休み」と書いたが実は違う。仕事を中心にしてみれば確かに今日は「休み」である。仕事はない。だが仕事を中心に据えなければどうか。「人生を創る」を中心にすれば「休み」の意味は反転する。仕事がない今日こそ「人生を創る」日であり「休日」ではない。桜を見に行く。それこそが人生であり、ま、仕事はついでにやっているようなものだ。

明日は仕事。人生を創るのは休みである。さすがに明日は十八時間ではないけれど、それでもあたしの人生、ちと休み過ぎじゃないか。ややこしいけど「休み過ぎ」とは一般に言う「働き過ぎ」ということである。
休んでばかりでは(とは、つまり働いてばかりではってことだけど)何十年生きようが何も創れない。休んじゃ不可(いけ)ない。


蛇足
仕事が人生をつくるという側面はもちろんあるのよ。それは承知の上であえてこういう書き方してるの。
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