瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#132

2013-07-24 23:39:22 | 考える日々
昨日、「解る」について書いたけれど、今日、本を読んでいて次の一文に出会った。

「本当に理解するにはひとつの方法しかない。間(ま)の静寂に身を沈めねばならない。」

やはりそういうことなのだね。ぼんやりとは気付いていたが、間という言葉は思いつかなかった。ちょっと前に語られていないことにこそ思いを馳せろみたいなことを書いておきながら、そのことを活かせないのだからお粗末な話。我がことながら呆れるね。
この場合の間は無と言ってもいいかもしれない。有だけ相手にしていても解らないのである。とはいえ、無を捉えるとはどういうことかとなるとお手上げなのだが。

それにしても、よくもまあ、こういうタイミングで起こるものである。ほとほと感心してしまう。昨日の今日だから、この一文に私は反応した、たぶん。タイミングが違っていたら読み流していたような気がする。きっといろんな出来事がそうなのだろう。それを縁と呼ぶのである。


補足
上記の引用文だけでは、たぶんピンとこないだろう。ま、よくわからないまま、その一文を何度も舌の上で転がして味わうのも愉しいものだけれど、それでは欲求不満だという人は本を直接読んでください。

ライアル・ワトソン「未知の贈りもの」(ちくま文庫)

人によっては、この本、胡散臭く感じるかもしれない。いわゆる疑似科学、あるいはトンデモ本。
でも私に言わせれば、ワトソンは文学的なだけである。科学的な記述では言い表せないことに及ぶと表現が詩的になる。上記の引用文にしても情感が出ている。そういう表現をしてしまう人なのである。
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