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ベルトー VS サンマルティーニ(続)

2017年05月05日 | 音楽で考えた


(承前)
さて、モファットによってチェロ・ソナタト長調の作曲者に擬せられたG.B. サンマルティーニという音楽家は、事実、そうされても何の不思議もないほどの大作曲家であった。
もともと、サンマルティーニ、あるいは似た名前の音楽家はたくさんいて、大変紛らわしい状態であったのである。G.B.サンマルティーニもイニシャルだけでは実の兄弟の区別がつかない。父親も音楽家であり親戚にもチェリストのマルティーノなどがいて誤解の材料には事欠かない。

ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ Giovanni Battista Sammartini(1700?-1775)は、 生涯のほとんどをミラノで過ごした音楽家・作曲家で非常な多作家でもあった。音楽史的には前古典派に属し、ソナタ形式による交響曲の創始者のひとりとして重要な地位を占める。ビッグネームであり、その親族のブランド力は強い影響力があっただろう。どれほどの有名人だったかといえば、グルック、ボッケリーニ、大バッハの末子ヨハン・クリスティアン・バッハや若きモーツァルトらが、わざわざミラノに会いに来ていると言えば十分だろうか。また、エステルハージー家のハイドンは彼の交響曲の写しを2曲分所有していたという。サンマルティーニがいかに高名で、その作品が広く流布していたことの証拠だろう。 このように、「いとも名高きサンマルティーニ」と言っても過言ではないほどだったサンマルティーニだったが、その死後は忘れ去られた。



マルタン・ベルトーとされる木炭画
(ニコラ・ベルナール・レピシエによる) 出典:Wikipedia


では、最後に、マルタン・ベルトーとは何者だったのだろうか。
マルタン・ベルトー(Martin Berteau [Bertau, Bertaud, Bertault, Bertheau], 1708?-1771?)は、フランスのヴァレンシエンヌに生まれた。バッハより20歳ほど若い。チェロ奏法上フランス派の祖とされる人物である。
ガンバ属がまだ勢力を保っていた当時から、早々とチェロに乗り換えた。そして、チェロの演奏技術開発にあたり名を成す。ソナタ・ト長調にも顕著なアルペジオ、重音の多用はそのためであろう。演奏効果を高め、大向こうをうならせるためである。そうでなければ報酬が少なくなってしまう。彼が作品1として自作を出版したのも売り込みと販売目的があっただろう。

情熱的なベルトーには逸話も多く、演奏前に松脂の代わりにワインを所望し、演奏中も側に置いていたという話が伝わっている。天晴れというか、山師というか、芸術家肌である。いや、そもそも芸術家なのである(笑)。いずれにせよ、彼の技術は卓越しており、初期のチェロの勢力拡大に貢献した。キュピスやデュポールなどの弟子に恵まれた。コンセール・スピリチュエルでいち早くチェロを演奏したチェリストのひとりでもある。

サンマルティーニからベルトーへ、ほとんど名前の知られていなかったベルトーが姿、形を現しはじめた。今後の研究により、その生涯や作品が掘り起こされ、この時代の音楽がより豊かになることは楽しみである。もう、サンマルティーニとされることもないだろう。

私が練習を始めて以来の違和感(何となくイタリア感がない曲)が消えて、ようやく練習に打ち込めるようになった(笑)ソナタ・ト長調。
こういうことにこだわるのは変人だけらしく、多くの学習者、特に子供は無心に練習してうまくなって次のステップに進む。だから、自分はいつまで経っても弾けないのだなあと感じ入りつつ、この項を終わります。



ベルトー VS サンマルティーニ
ベルトー VS サンマルティーニ(続)
ベルトー VS サンマルティーニ(付録)
ベルトー VS サンマルティーニ(ディスコグラフィー1)
ベルトー VS サンマルティーニ(ディスコグラフィー2)
ベルトー VS サンマルティーニ(ディスコグラフィー3)
ベルトー VS サンマルティーニ(ディスコグラフィー4)
ベルトー VS サンマルティーニ(エピローグ)



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