毎年1回、お能のレクチャーに参加している。
毎回テーマは色々で、とても興味深く、昨年はレクチャーしてもらった演目をどうしても舞台で観たくなって、大阪まで出かけて行った。
そのことを先生もスタッフの方も覚えていてくださって、わざわざお礼を言っていただいて恐縮してしまった。
今回は能装束の着付けについて。
冒頭、「少しだけ謡います」と、当地に縁のある演目から、謡を披露してくださった。
ふつうにお話している時の声と、謡の声が全く違うし、能舞台を模した和室のレクチャー室に素晴らしく響き渡って、初めて聞いた時は本当にびっくりした。
「では・・・」と言って一礼し、顔を上げた時にはすでに能役者の顔になっていて、一瞬にしてオーラを変化させる、その切り替わりの凄さにも目を見張る。
会場に来ていた一般の方の中からおひとり代表して着付けを体験。
唐織の上着は大きめに仕立ててあり、基本的には現代の着付けに通ずるが、舞台衣装としての着付けであるので、大きく、立体的に見せる工夫がされている。
また、着付け方の違いは、役のキャラクター(性別、年齢、人間か否か等)を表現する効果がある。
興味深かったのは、日本人は本心を秘めるということが美であるという考えが昔からあり、それが着物にも表れているという話。
確かに、外からは見えない襦袢や裏地に派手な模様や自分の好きな柄を用いる。
切腹をするときに上着を脱いで襦袢姿になるのは、そういう意味もあるのだとか・・・
能の場合、3人がかりで着付けをするという。
役者はこの時からすでに舞台への気持ちの準備を始めており、紐を絞めるときだけ締め具合について役者に訊ねる以外は無言、あ・うんの呼吸で進められる。
舞台上で帯が緩くてほどけたりといった不祥事があった場合は、閉まり具合を決めた役者の責任がある(昔なら切腹)という、責任の所在を明らかにするという意味があるのだそうである。
唐織職人が減ってしまっているため、薪能など、コンディションの悪い時には、装束保護のために化繊の着物を使うこともあるというが、やはり正絹の着物のほうが軽くて足さばきも良いという。
能の場合は、役者がすべて衣装も管理する。
手持ちの衣装を使って演ずるというから、高価な装束は、楽器演奏者にとっての楽器のように、商売道具かつ大切な財産である。
着付けの仕上げ段階で、襟をひと針縫い留める針と糸。
馬の尻尾を使ったかずらをかぶらせてから結い、能面を付けた瞬間、会場がどよめいた。
まさに能面の持っている魔力によって、人形に命が吹き込まれたという感じで、鳥肌ものであった。
この日着ていったのは、ピンクの単衣紬。
母からの譲りものである。
帯は自分で仕立てた結城の半幅。
最近はすっかり襦袢を省略した着方しかしていないなあ・・・
でも、脱ぐ前に鏡の前で着崩れがないかどうかを必ず毎回チェックしている習慣は、能役者と同じなのであーる。
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