狂言 ナニコレ珍カリキュラム
登場人物
隠居(じつはアラブ・イスラム学者ラインハルト・ドーズィー*)
太郎冠者
次郎冠者
隠居 このあたり、我孫子の田舎に住む隠居者でございます。
もともと外国に生れて、それなりに仕事もしてきた身なれど、縁あって数十年前、ニッポンはこの我孫子の地に居つき、老いの日々を送っております。今日は日和もよく、のんびり散歩でもいたそうと出てきた次第でございます。
さて、おつきの太郎冠者、次郎冠者はどこにおるかの?…あれあれ、あんなところで二人、なにかを奪いあって騒いでおる。これこれ、太郎冠者、次郎冠者、なにを騒いでおる?
太郎 これはこれは、旦那さま、お出かけでござりますか?
次郎 これはこれは、旦那さま、お出かけでござりますか?
隠居 見ればわかろうというもの。今日は日和もよい、ひさしぶりに散歩でもいたそうと思うてな、これから日の暮れるまで歩いて参ろうというところじゃ。
おまえたちも来なさい。だが、いったいなにを騒いでおったのじゃな?なにか、奪いあっておったようじゃが?
太郎 はあ、これでござります。
隠居 なんだな、…「法学部科目表」とな?はてさて、どこぞの大学のカリキュラム表か… 学生でも先生でもないおまえたちに、こんなもの、関わりもあるまいに。
次郎 ところがところが、これが大事なんでござります。
太郎 わたくしめにも。
隠居 はて。まさか、殊勝にも大学なんぞに通って勉強でもしようと思い立ったか?
太郎 まさかまさか、さような時間の無駄はいたしませぬ。
次郎 わたくしめも同様。太郎はともかく、もとより頭のよいわたくしめ、話のメリハリもつかぬ蟹の泡吹きみたいなおしゃべりで時間を潰す教授でいっぱいの場所で、1時間半もぶっとおしでお尻の痛くなるイスに座って日がな一日無駄に暮らすのなんぞ、まっぴら。
隠居 それはもっともながら、では、どうしてそんな表を奪いあうことになったのかの、とんとわからぬな。
太郎 それなんでござります。
この表が、なんと、ふつうの大学の科目表とはまったく違う、頓狂な珍妙な代物でござりまして、世にいうトンデモもの、天上天下、めったに出会えないブットビ物件ということで、これはなんとしても、あのギネスブックに登録しよう、そうすればわたくしめ太郎の名前も永遠に記録されるものと、まあ、そんなふうに思いまして…
隠居 ほお、そうかの?なんぞ変わったところもないように見えるがの?
次郎 いやいや、旦那さま。よ~くご覧になれば、ほんとうに飛んでもない代物でございまして…
隠居 よ~く見ると飛んでもない…とな?だが、ずいぶん小さい字で書いてあるのお。飛んでもない代物かもしれぬが、この細かい字を読んでいかないとわからないのでは、難義じゃのう。
太郎 きっと大学もそれを承知の上なんでございますよ。小さい字なもんだから、人はあんまりちゃんと見ない。そこが狙い目なんでございますな、きっと。
隠居 ふむふむ。というと、なにか、あんまり注目されては困るようなことが書いてあるのかの?
太郎 そうも言えますな。なにせ、大学ですからな。
次郎 そうですとも。「だって、大学だもん」ですかな、相田みつを風にいえば。
隠居 とにかく、わたしはあんまり読んでみる気にもならんが、次郎、こんなものをどうして太郎と取りあっておったのかな?
太郎は、ほれ、さっき言っておったが、ギネスブックに登録しようとやらで、…
次郎 そうなんでございます。太郎のやつめ、ギネスブックに持ちかけて、自分の名を歴史に刻もうと目論んでいるんでござります…
隠居 まあ、目論むというほどの大事でもあるまい。ちょっとしたお遊びの気持ちであろうが…
次郎 ところがでございます、わたくしめにもテレビ局に知り合いがおりましてな、『ナニコレ珍百景』という番組に関わっている者でございますが。
まあ、酒なんぞいっしょに飲む時には、その者からいつもネタを求められておりまして、採用されたら幾らいくら出すぞ、どんどん持ってきてくれ、と言われておるんでございます。
この科目表は建物でも風景でもないけれど、ナニコレ珍システムとかナニコレ珍カリキュラムとでもいったもので、こいつぁ報酬いただきだぁ、と思いまして… 明日にでも渡せば、ちょうど番組づくりの〆切に間にあう頃合いでございまして…
太郎 まったく、意地汚いやつなんでございます、次郎は。はした金のために、わたくしめがギネスブックに掛けあうのを待ってくれろとウルサイんでございますよ。とんでもない。
ひろい世界にはどんどんトンデモ大学、トンデモシステム、トンデモカリキュラムが出現してきかねないんでございますから、こっちだって急いで登録しなきゃいけません。
次郎 なにをいうか、こんなヘンテコリンなカリキュラム、めったに出てくるもんじゃない、ギネスのほうは急ぐことはないから、まず、こちらによこせと言うに。
太郎 どうして、どうして、なるものか。ギネスが先だ。
次郎 つべこべ言わずに、ええい、渡せ、渡せ。
太郎 なるものか、なるものか。
隠居 ほ~らほら、待ちなさい。どちらも見苦しいぞ。
だいたい、おまえたちが言うほど、本当に珍妙なものかどうか。ちょっと説明してみなさい。ただ、あんまり細かい話も困るな、散歩の時間がなくなるからな。
太郎 いやあ、珍妙、頓狂の山盛りみたいなカリキュラム表なんですがな、…そうですなあ、旦那さま、旦那さまご自身が外国のお方ですから、まあ、いちばん関わりがおありと思えるお話をいたしましょう。
外国語のことでございます。
隠居 外国語のこととな?
次郎 そうだ、その話がよろしかろう。外国語、外国語。
隠居 で、外国語がどうだというのかな?
太郎 それでございます。ここのところをご覧になってくださいな。
隠居 んんん、細かい字だなあ。ちょっと読めぬ。どうもな、老眼でな。
太郎 では、かいつまんでお話いたしますが、まあ、こんなふうなのでございます。
ここの法学部にはコースがいくつかあるんでございますが、いちばんスゴイところだと、なんと、4単位だけ外国語をとればいい、っていうんでございます。
4単位といいますと、授業ふたつでございます。一年生でひとつ、二年生でもうひとつ。これでOKってなわけでして。
隠居 ほおお。外国語の勉強というのも難儀なものではあるが、大学ではふつう、避けて通れぬ試練と決まっておるもの。
ふたつの授業だけでOKとは、また、大きく出たのお。
次郎 そうなんでございます。
4単位でOKっていうのは、「司法」コース、「行政」コース、「スポーツシステム」コースなんでございます。
隠居 ふ~む。「司法」とか「行政」とかのコースに進もうという学生は、その、なんじゃろうな、やはり、「司法」とか「行政」に寄った方向の仕事をしたいと…思っているんじゃないのかの?
太郎 ま、実際にはどんな仕事に就くか、人生いろいろゆえ、わかりませぬが、それでも、「司法」や「行政」方面に進みたいからそういうコースを選択する、というのがふつうでしょうな。
隠居 それで、そういう方面には外国語の勉強経験は不要とな?
次郎 そんなはずはございません。どんな方面に行こうと、ひょんなところから外国語の必要が飛び出してくるご時世でございます。藪から棒ならぬ藪から語でございます。
隠居 ハッハッハ、ヘタな地口を言っておる。
ところで、「スポーツシステム」コースとやらは、なんじゃな?
太郎 これがなんだか、一人前に独立したみごとな珍妙さでございまして、だいたい、「システム」なんていう言葉をぺラッと看板にのせる商法にロクなものはございませんが、これが、法学部にどうしてあるんだか、まったくもって珍妙度の高いギネスブックものじゃないですか、「法学部・スポーツシステムコース」ってんですからね。
じゃあ、なにかい、「法学部・無国籍キッチンコース」とか、
「法学部・ペットケアコース」とか、
「法学部・リラクゼーションアロマコース」、
「法学部・VIPスペシャルうっふ~んコース」なんてのもありかい、ってんだ。
隠居 ふ~む。お好み焼きが広島焼きになった以上の進化を遂げておるわけじゃな。
…ま、それでも、他のコースはもっと外国語をやらされるんじゃろう?
次郎 そうですな、まあ、かたちのうえでは。
たとえば、「現代社会と法」コースは8単位、「ビジネスキャリア」コースは12単位を選択必修しなくちゃいけない、ってことで。
隠居 多いとはいえないが、それならば、まあまあではないか?
次郎 それがしかし、…違うんです。細工があるんです。
隠居 細工?
次郎 はい。英語、ドイツ語、フランス語、中国語、コリア語のうちから、いまお話した8単位とか12単位とか、さっきの4単位とかを選ぶわけですが、そのなかの総合英語ⅠとⅡの計4単位を取得しさえすれば、あとは、教養系科目の単位として他の外国語を取ってOKよ、というわけで。
隠居 総合英語ⅠとⅡに、学生たちはいやでも誘導されるわけじゃな。
次郎 そうでございます。
隠居 ま、英語の勉強だから、それはそれでもいいが。…しかし、総合英語の担当者たちと他の外国語の担当者たちのあいだには、最初から、科目存続の安定性のうえで格差が出るわけじゃな?
次郎 おっしゃるとおり。
太郎 それだけではないんでございます。資格英語Ⅰ・Ⅱ、および、ビジネス英語Ⅰ・Ⅱをセットで取得したら、その取得単位を教養系科目に振り替えてよいぞよ、ともあるんでございます。
隠居 ふ~む。セットでお得、という手法で、資格英語とビジネス英語の科目存続もあらかじめ安定させておこうと、な。
こんなふうに誘導されれば、たいていの学生たちは総合英語Ⅰ・Ⅱを取って、それから資格英語とビジネス英語もそれぞれⅠとⅡをセットで取る、となって、他の外国語にはあまり学生が流れなくなるであろうのう。
カリキュラムのこの部分を組んだのが英語教員だというのが、なんとも露骨に見えるようじゃな。
次郎 そうなんでございます。
数年のうちに、ドイツ語、フランス語、中国語、コリア語の授業など、学生数が激減して消滅するのなぞ目に見えております。
学生の向学心を疑うものではござらぬが、なにせ、単位のこととなると、どうしても学生は易きに流れますからな。
太郎 まあ、外国語科目と教養系科目の枠の取っぱらいを目指しているんでしょうかの。
だんだんと枠を溶ろかして、全廃して、最後には外国語科目を教養系科目に統合し切る。
そうすれば、勉強の面倒なわりに、取得できる単位数の少ない外国語科目を選ぶ学生はごくわずかか、完全消滅するでしょうから、外国語を学ばないでいい大学が自ずとできあがっていく、というあんばい。
隠居 なんだか、外国語のぜんぜんできない教員が、偶然と幸運とゴマスリと泣きつきとお友だち人事から、どうにかこうにか潜り込んだ巣穴(=大学)を、もっと自分たちに居心地のいい場所にするために、必死で外国語排除策を進めているようにも見えるが…
次郎 そうでございますな。外国語アレルギーなんじゃないでしょうか?
太郎 外国語だけでなく、勉強アレルギーなんじゃないですかね?
少なくとも、論文アレルギーは蔓延しているようでございますからな、この大学。
何も書かない。何も足さない。ちょっと前のサントリーの広告みたいですな。「何も引かない、何も足さない」って。
次郎 ははは、「引く」ことだけはやってるようだが。能力なんかは。
太郎 いや、「引かない」をやっているとも。もっと給料引いてやるべきなのに、ぜんぜん「引かない」。
次郎 なんだか、『葉隠』みたいな連中らしいものなあ。
「武士道は死ぬことと見つけたり」ならぬ「教授道は学ばぬことと見つけたり」。
あるいは「教授道は書かぬことと見つけたり」。
隠居 う~む。なんだか裏寂しい知的風土ぞな。
減らしたとはいえ、英語はとにかくやれ、という方針はいいとしても、大学のあいだにもうひとつやふたつぐらい、他の外国語の初歩に触れておかないと、薄ら寒い精神風土のニッポン人ができあがりそうだのう。
次郎 まったくそのとおりで。
それが、旦那さま、このカリキュラム表の大学というのが、ほかならぬ我らが我孫子の、あの中央学院大学なんでございます。あそこの法学部の2013年からのカリキュラムなんでございますよ、これ。
隠居 どうりで、近頃、我孫子がうすら寒くなったと思っておった。
放射能で以前より暖かくなったかと思ったが、どうしてどうして、放射能の内部被曝にも負けぬ寒さじゃわい。
外国語というものは、さっきのシステムという言葉を使わしてもらえば、比較的完成された閉鎖系システムで、その基礎を学んでみるというのは、将来的に、他のいっそう複雑なシステム学習に益するシナプスの発達を促すに決まっているものなんじゃがな。
そういう脳の成長の契機を減らしていく大学というのは、いったい、どういう見識を持っているのか、なんともアヤシイものじゃよ。
太郎 旦那さまは、むかしはずいぶん外国語がお出来になって、そのおかげで立派なお仕事をなされたとか?
隠居 こうやっておまえたちと話しておる日本語も、わたしには外国語じゃがな。
次郎 まことに恐れ入りまする。わたくしめなぞ、外国語はてんでダメなほうでして、…いっそ、中央学院の総合英語Ⅰ・Ⅱにもぐり込もうかと思うぐらいでございます。
太郎 おまえなんぞがもぐり込んだ日には、授業が邪魔されてしょうがないだろう。ABCだって知らないんだから…
次郎 いやなに、ほとんどの学生が受験などしないで入ってくるそうだから、英語の苦手なままの学生だって、なかにはいっぱいいるだろう。そこに紛れ込めば、わかるまいよ。
太郎 まあ、やってみるさ。社会人がもぐり込むのを許可してくれる授業もあるそうだから。
…ところで、旦那さま、くわしくお聞きしたことはございませんでしたが、どんなことをむかしなさったんで?
隠居 なあに、ちょっとした偶像破壊をやらかした程度のこと…
次郎 と申しますと…
隠居 あれは、わたしがまだ29歳の頃のこと、1849年のことじゃったが、他のいくつもの外国語に加えて、得意ではあったものの、それでも苦労に苦労を重ねて学んだアラビア語で読みまくった史料を駆使して書いた論文を発表したんじゃが、あれがヨーロッパの知的風土を一挙に揺るがしたことがあったんじゃ。
太郎 どんなことをお書きになったんで?
隠居 エル・シドという有名なスペインの英雄がおるんじゃがな。
コルネイユが『ル・シッド』という戯曲を書いたり、中世文学では『エル・シードの歌』というのもあるが、イスラム勢力と闘った勇士で、スペインをキリスト教国家として創り上げ、レコンキスタの前哨戦を飾ったというふうに祭り上げられている人物じゃ。
スペイン国家の統合のシンボルで、国民的英雄となっておるんじゃが、ありゃあ、じつはインチキじゃな、とわたしは目星をつけ、そうして調べに調べて研究した結果、やっぱりインチキでした、と、そんな論文を書いたわけじゃ。
次郎 それは、なんというか、ヒンシュクものってやつですかな?
隠居 ヒンシュクを受けない研究など、ゴミと同じじゃ。
まあ、エル・シドというのは、実在した傭兵隊長ロドリーゴ・ディアスを元にしている人物像だが、このロドリーゴが、調べてみたら、英雄とは程遠く、金に汚ない、日和見の、忠誠心も愛国心もない打算家だったのがハッキリとわかったのじゃ。
しかも、カトリックというよりはムスリムというべき男なので、レコンキスタ以後のスペインの英雄に祭り上げるには、これほど不向きな男もいない。そういうことがよくわかった。
まあ、スペイン人たちは怒った、怒った。
弱冠29歳の、なにを隠そう、わたしはオランダ人じゃが、ひとりの生意気な外国人が、スペインの歴史上の伝説的な英雄、偉人をポキンと折っちまったんだから。
わたしは天才だと持てはやされたものだったが、しかし、そんなことより、哀れだったのはスペインじゃったよ。弱冠29歳の青年学者に真っ向から打って出るだけの学者が、たったのひとりもあそこにはいなかった。
わたしは古典期から現代までのアラビア語が出来たし、もちろん現代スペイン語も中世カスティーリャ語も出来、ラテン語もギリシャ語もペルシャ語も出来た。オランダ人として、それらを一から習得したわけじゃ。
それを土台にして、どうもおかしいナと感じていたエル・シドの伝説の欺瞞性に、厖大な資料の調査と読解を通して挑んだわけじゃ。
国民的英雄をこんなふうに素っ裸にされ、偶像破壊されても、当時のスペイン人たちには、わたしを凌駕するだけの外国語の使い手もいなかったし、外国語を駆使しつつ、伝承の欺瞞に迫れるような学者もいなかった。
もちろん、中世期のアラビア語やカタルーニャ語の史料にじかに当たって、エル・シド伝説の擁護ができるような能力のある学者たちもいなかった。
まだ若かったし、個人的な矜持(きょうじ=プライド)もずいぶんあったのは事実だが、あの時、わたしはつくづく思ったものじゃ。外国のこんな若造に反論もできないような学力や語学力の人間ばかりの国とは、なんと、侘しいことよ、と。こうなっては、国は終わりじゃな、と。
太郎 まったく、おおせのとおりでございますな。
次郎 しかし、かつてのそのスペインと同じことが、どうやらニッポンでは起こりそうな気配…
隠居 なあに。この国の知的好奇心の旺盛さは捨てたものではなかろう。
要請もあるし、これからもどんどん知は隆盛していくじゃろうが、そんな未来に、この中央学院大学の卒業生も混じって生きていかねばならないのじゃから、他人事ながら、いかにも哀れに思えるのう。
太郎 肩身が狭いでしょうなあ、きっと。
外国語ばかりか、あらゆるところに単位が取りやすい配慮がなされていて、その分、確実に未発達な頭脳を抱えて、知的に旺盛な他の大学の卒業生たちに混ざっていくことになりますからな。
単位の上での楽勝大学は、人生上の未来で楽勝を保証してはくれないでしょうからなあ。
…そういえば、イスラム法の授業が廃止されたことはお聞き及びですかな?
隠居 なんとな!
太郎 まあ、長年、開講しない状態が続き、あって無きがごときイスラム法ではありましたが…
次郎 それだけではございません。
外国の法についての2013年のカリキュラムいじりというのも、まあ、スゴイもんでございまして。
もともと比較法、英米法、ドイツ法、フランス法、イスラム法、EU法、アジア法とあったものが、2013年からは、なんと、外国法(英米法)、外国法(アジア法)、外国法(大陸法)に統廃合されたんでございます。
太郎 EU法と比較法なんぞの廃止は、現代世界の動向に意固地に背を向けての、みごとなまでに思いきった措置ですな。
学問的閉じこもりとでも言うんでしょうかな、こういうのは。
こうした統廃合についてはひと悶着もふた悶着もあったんでございますが、なんせ、カリキュラムを作っているのがシロウト集団の委員会でして、それをクロウトのふりをしたシロウトまがいが、教授会でボーヨーと通しちまうものでございますから、たちが悪い。
そんなヒトビトが指導部なんでございますよ、この大学は。
隠居 岸田秀という心理学者がむかし書いておったのを思い出すのう。
「現代社会での最大の問題は、無能な上司を組織からいかに排除するかだ」と。
ま、「無能」と言っているのは岸田秀なわけで、わたしは彼の言葉を思い出しただけなんじゃが。
…うん、逆の意味の発言も思い出すのう。
「幕僚にとって最大の喜びは、自分より優れた指揮官に仕えることである」。
これはドイツ国防軍陸軍中将ハンス・シュパイデルの言葉じゃったが。
…まあ、ともかくもじゃ、そういう珍妙なカリキュラム変更に批判は出なかったのかのう?
太郎 非常勤講師組合からは出たようですが… なにせ、非常勤講師というのは、今の日本の大学では…
隠居 メッテルニヒが言っておったのう、「オーストリアでは人間は男爵から始まる」と。
「大学では、人間は専任講師から始まる」らしいからのう。
太郎 恐ろしいことでございます。
大学という場所は、隠微な人種差別が大手を振ってはびこっている場所でございますからな。
隠居 いやはや。「物を云ふことの甲斐なさに/わたくしは黙して立つばかり」。
こんな感慨を抱かされるのう。これは宮沢賢治の詩『野の師父』にあるが。
次郎 どうやら、大学には、キング牧師がなおも必要でございますな。
「I have a dream that one day,…」という、あれ。
太郎 あの人は、ほんと、いいことを言いましたな。
「どんな場所にある不公正も、あらゆる場所の公正さへの脅威である
Injustice anywhere is a threat to justice everywhere」とか、
「問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める
Our lives begin to end the day we decide to become silent about things that matter」とか。
隠居 そのとおりじゃ。
しかし、非常勤講師組合はなかなか頑張っておるようだな。
『エコノミスト』元編集長だったビル・エモットが、「本当のリベラリズムとは、権威を公然と疑う自由によってこそ人びとは幸せになりうる、という信念のことである」と言っておったが、この精神を貫徹しておる組合らしいな。
彼らには、ロバート・ケネディの言葉も贈ってやりたいわい。
「新しいアイディアや冒険に恐れおののき、人類共通の問題に無関心を装い、今日の生活に満足し切っている人間には未来などない」とな。
次郎 いやあ、威勢よくなってきましたなあ。
ところで、旦那さま。いつも旦那さまとお呼びするばかりですが、お名前は、じつはなんとおっしゃるのですかな?
隠居 わたしか、わたしはラインハルト・ドーズィーという。1820年の生まれじゃ。
太郎 とおっしゃいますと、はて、現在は…193歳、ですか?
隠居 そうは見えんかな?
次郎 見えるもなにも、…ご高齢とは見えますものの、さすがにそれほどのお歳とは…
隠居 驚くにはあたらない。ここは『大鏡』の国。
あの本では、190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹とが、藤原北家や道長を軸として宮廷の歴史を縷々と語るではないか。
太郎 ううむ。『大鏡』とは… 知らなんだ…
次郎 話にも聞いたことがござりませぬ。
隠居 これはこれは困ったことじゃ。
どれ、中央学院大学には、外国人留学生用の「日本語科目及び日本事情に関する科目」とやらも準備されておるようじゃから、ひとつ、そこにもぐり込んで習ってきたらよかろう。どうじゃ?
太郎 いや、旦那さま、それが… 日本事情Ⅰ、Ⅱ、Ⅲは各授業、ひとつひとつで4単位も取れ、しかも「専門教育科目の教養系科目への単位の振り替えを認める」とあって、留学生がごっそり集結している場所。もぐり込めますことやら。
次郎 しかも、この大学の最近の留学生は日本語のわからない者が急増しておるそうでございまして、専門科目の講義をする教員たちも、なんだか言葉の通じぬ外国の広場で演説でもしているような気分だそうでございます。
隠居 やれやれ、次から次とわけのわからぬ問題の尽きぬ大学じゃわい。
それなら、近頃、いちじるしく頑張っておる角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラッシック日本の古典」のシリーズでも読んでおきなさい。なかなか勘どころを心得たいい作りをしておる。
太郎 でも、本を買って読むなんて、面倒でございますなあ。
次郎 インターネットのウィキペディアなんかでもようございますかの?
隠居 ああ、あれか。あれでもいいが、かえって難しく書かれておることもあるから、どうかのう。
いろいろと、質や目論見の点でもまちまちなのが交ざっておるらしいしのう。
法学部長の大村・大先生みたいに、自ら略伝やら業績やらを載せてプレゼンしてしまう輩もおるところだそうだし…
太郎 旦那さま、彼こそは、現代のエル・シドでございますかな?
隠居 いやいや、エル・シドほどの大物ではあるまい。
打算、名誉欲、虚栄心… そんなものには長けておるようじゃがな。小粒のプチ・シドロモドロ、といったところじゃろうて。
なあに、必要とあれば、またわたしが虚偽の仮面を剥いでやろうというもの。
次郎 いやあ、旦那さま、うまいところへ話が落ち着きましたな。
隠居 うむ。それでは、我孫子散歩を続けるとしようかのう。
終
*ラインハルト・ドーズィーは実在した人物。
Reinhart Pieter Anne Dozy (Leiden, Netherlands, 21 February 1820 – Alexandria, Egypt, 29 April May 1883) was a Dutch scholar of French (Huguenot) origin, who was born in Leiden. He was a scholar of Arabiclanguage, history and literature.
http://en.wikipedia.org/wiki/Reinhart_Dozy