さあ、クライマックスだ!
土橋法学部長(当時)は、法学部教授会の規程や慣例を
無視して、どうしてこんな人事を行ったのだろうか?
一言でいうと、権力欲・名誉欲を満たすためである。
★学長選との関係
この平和学の違法人事は2007年度のことであるが、
2010年5~6月ころには学長選挙が予定されていた。
土橋法学部長は、この学長選挙に出馬を予定し、すでに周囲に
その意思を明らかにし、選挙運動を開始していた。
そのためには、一票でも多くの支持者を獲得することが必要
になる。当落は数票差で決まることが多いからである。
その一票を手っ取り早く獲得できるのは、法学部長としての
地位を利用して、自分の息のかかった教員を採用することである。
当時、学校法人中央学院は、財政難を理由に――実際は大量に
買った「ソブリン債」の価格が下落し、売るに売られず、「塩漬け」
状態から生じた人為的な財政難――、退職した専任教員の担当科目
の補充人事さえまともに行わず、ましてや新規科目で専任教員を
採用することなどほとんど行っていなかった。
だから、まともに「平和学」で専任ポストの人事要求をしても
無理であった。教授会も、法律科目での専任教員の補充を要望
しており、「平和学」での専任ポストの人事要求が出ても、優先の
順位は下の方になることは必至であった。
こうした状況では、無理筋を力づくと奸計(かんけい)で通す
ほかなかった。
その無理筋の一端が、告発文にも指摘されている。
それを踏まえて整理すると、こうなる。
① 高齢の理事長を「だました」。
② 教授教授会や教授会の審議にかけず、直談判(じかだんぱん)
して、「平和学」の新規採用ポストを1つ獲得した。
③ 人事を思い通りに行うために、審査委員会3名の構成には万全を
期し、土橋派の大久保・前学長ともう一人を入れた。さらに
学部長は審査委員にはならないという慣例を破って、土橋氏
みずからが、審査委員になった。
④ この審査委員会は、候補者3名に順位を付けて教授教授会に提案
するという慣例を破り、1名の候補者、すなわち川久保某のみを
提案した。残余の30名の応募者には、はじめからチャンスなど
なかった。
⑤ 教授教授会での票決等については、繰り返す必要はないであろう。
要するに、取り巻きが「忖度(そんたく)」して、いったん否決
された候補者・川久保某を、「通した」のである。
★では、なぜ川久保某だったのか。
告発文は、土橋法学部長と川久保某が、同郷(福島県)であり、
同窓(中央大学法学部、同大学院法学研究科)であったことを明らか
にしている。
それも、重要な理由に違いない。なにしろ、後れた日本社会では、
学閥がものをいうからである。「恩を売る」のである。
川久保某に期待されたのは、一票としての価値だけではない。
学長選挙の際に手足となる「選挙参謀」として働かせるつもりで
いたのである。自分が大久保学長の選挙参謀として働いたように
である。
さて、すでにこの専任教員人事の前に、土橋氏は、非常勤教員
の担当科目として「平和学」を新設し、川久保何某を雇用して
いた。
実はこの2人をつなぐ人物がいる。中央大学法学部教授のHで
ある。彼は川久保某の「師匠」、すなわち指導教授である。
このHが、土橋氏が学位を取得した際の審査委員長である。
読者には、すでにお分かりであろう。
土橋氏の学位は、この川久保某の人事に対する、「お礼」という
性格がないとは言えないのである。
2008年4月1日に、川久保某が専任教員に晴れて採用され、
次に土橋氏が取り掛かったのは、中央大学法学部での学位
(論文博士号)の取得である。学位は、2010年5月頃に予定
されていた学長選挙のための「小道具」である。対立候補である
現職の学長には博士の学位はなかった。
土橋氏が中央大学法学部にいつ学位申請したかは定かでなないが、
2009年度の夏前に、Hより、「学位を出す」との連絡があった。
この申請当時の審査委員長は、Hではなく、別の教授であった。
ところがこの教授は、審査委員長をおりてしまい、学位審査は宙に
浮いてしまっていた。降りた理由は、本人から直接聞いていない
ので、定かではないが、察しはつく。学位を出せるような「代物」
ではないからである。
通常、学位を申請する際には、次のことが最低限必要である。
① 叙述を一貫させる。
② 学位申請論文の位置を、研究史において明確にする。
別の言葉でいうなら、既存の諸研究について評価を行い、
自分の研究の意義と成果を明確にすることである。
③ 使用した文献の目録を作成する。
ところが、土橋氏の学位申請論文は、すでに発表した論文を
ただコピーして、新たに通し番号の頁を付しただけで、叙述は
重複し、とても一つのまとまった作品・論文とは評価できない。
加えて、研究史の総括が全くなかった。
これでは、学位など出せるはずがない。本人は、こんな「いろは」
さえ知らずに学位申請をしていたのである。
それでも学位が出たのは、専任教員化を餌に当組合委員長・小林勝
に、800頁もスキャナーで読み取らせ、叙述の修正や文献目録の
作成等を行わせたからである。
小林氏の仲介で御茶の水書房から出版されたこの書籍をもって、
土橋氏は再度学位申請を行った。この書籍に驚いた中央大学法学部は、
H教授のもとに新たに審査委員会を編成し、審査を再開し、学位を出し
たのである。
<その経緯については、後日明らかにしよう>
■「自己点検・評価報告書」の記述
2007年度における教員人事のこれほどの不正を告発され
ながら、中央学院大学は、その平成19年度~22年度の「自己点検・
評価報告書」のなかでは、この問題に全く触れていない。それ
どころか、採用人事は適切に行われていると書いている。
その法学部における「教員の募集・任免・・・に関する
基準・手続」についての「点検・評価」(54頁)を引用しよう。
「教員の募集、任免・・・に関する事項は、・・・『法学部専任
教員の採用及び昇任に関する規程』、『学部専任教員の採用
及び昇任に関する実施要領』基づいて適正に運営されて
いる。」
この「自己点検評・価報告書」がカバーする期間は平成19年
(2007年)から平成22年(2010年)である。
平成19年(2007年)といえば、この違法人事がなされた年
であり、当時から学内で大騒ぎになっていた。また平成22年
(2010年)は、告発がなされた年である。
このような学内手続を無視した違法な人事が行われていたにも
関わらず、それを伏せているから、これに類似した違法な人事が
あとをたたないのである。自浄作用など期待できない程、腐り
きっていると言わざるをえない。
<なお採用・昇格人事のいい加減さ、目も当てられぬ論文の
存在、論文マナーの欠如――理系の大学では解雇の対象に
なるーーについては、今後明らかにする>