■文科省令「大学設置基準」違反だ!
教室の収容人数の約60人を上回る103人もの履修者を受け入れて、すなわち
物理的に受け入れ不可能なのに、受け入れ、単位を出すことは、文科省令「大学設置
基準」違反だ。
この中央学院大学の笑えるところは多数ある。すなわち、教務課も商学部も、
「イナバの物置」状態を、見て見ぬふりをして、これを放置してきたことだ。
要するに、最初から「グル」なのである。
■教務課(=学校法人)もグルだ。
教務課は、履修登録が終わった段階で、科目ごとの履修者数を正確に把握している。
いうまでもなく、履修者数に応じて、大、中、小の教室を割り当てるには、履修者数の
正確な把握が必要である。
ゼミには当初から小教室が割り当てられている。当然である。
もしゼミ担当教員から、100名もの履修者が入る教室への変更申請が出された
としたら、この段階で「異常さ」は分かり、上司に伝わり、是正がなされるはずだ
――と、普通の人は考えてしまう。
しかし、「徹底した少人数教育」を売りものにしているのに、こんな是正はなされ
なかったのである。偽りの看板なのである。
その他、教務課が異常を確認する機会は多数ある。例えば、教務課が科目ごとに
「成績票」を作成する際である。ゼミ担当教員に渡すために用意した成績票に、
100名もの学生名が載っていたら、普通は異常だと思うべな!
でも、彼らは異常とは思わないらしい。
■商学部長もだ
当時の商学部長は、椎名市郎氏だ。
例の助教授が、3つのゼミにそれぞれ100名前後の学生を集め、単位を乱発して
いることは、教員室(講師控室)で話題になっていた。専任教員の間で話し合われて
いた。商学部長の耳に入らないわけはない。
この商学部長、身内と自分には甘く、優しいようだ。例の助教授に「教育的指導」や
「勧告」を行い、違法行為をやめさせればいいものを、まったくしない。
そこで業(ごう)を煮(に)やした或る教授(大学院商学研究科を兼任)が、学内で
発行していた「もの申す」シリーズでとりあげた。
数字を挙げての告発にあい、ようやく是正となったが、全くの中途半端だった。
すなわち、ただちにゼミを分割し、他の教員を動員して担当させることをせず、
2006年度はそのままにしておいた。
ただ、今後「演習Ⅰ」に履修者を受け入れる際には、大量の履修者を受け入れる
ことは御法度(ごはっと)となっただけであった。
そのため、2007年度の「演習Ⅱ」には前年度の「演習Ⅰ」の履修者がそのまま
もちあがり、「演習Ⅲ」には「演習Ⅱ」の履修者がもちあがったのである。
2008年度の「演習Ⅲ」には、2007年度の「演習Ⅱ」の履修者がそのまま
もちあがった。
こうしてこの「イナバの物置ゼミ」は、告発された2006年度に全廃された
のではなく、2008年度末まで存在し続けたのである。
■秘匿(ひとく)
これは「大学設置基準」違反であり、すぐに是正措置を講じ、文科省に報告
しなければならない事件である。
ところが、学校法人がこれを文科省に報告した形跡はない。
いつものごとく、「ほおっかむり」したのである。
高等教育の使命を自覚していたなら、こんな違法な事態を放置しておくことなど
起こりえない。あるいは、違反を知ったなら、すぐに是正措置をとるであろう。
また、大学の教育について審査を行う第三者機関である「大学基準協会」にも、
この件は報告されていない。なぜなら、2008年度の審査結果である「認証評価結果」
に.この事件のことは、一言も触れられていないからである。
■ことの重大性
過去に出した「卒業証書」の一部が怪しいのである。
授業への参加が物理的に不可能であるというのに、単位が出され、卒業資格、
すなわち「学位(学士)」が出されていたとしたら、大問題だろう。
成績評価が妥当であったかの問題ではないのである。成績評価以前の問題、
成績を出す条件が欠如していた問題なのである。
今後、組合としては、文科省に資料を提供し、告発することも検討する。
<続く>
教室の収容人数の約60人を上回る103人もの履修者を受け入れて、すなわち
物理的に受け入れ不可能なのに、受け入れ、単位を出すことは、文科省令「大学設置
基準」違反だ。
この中央学院大学の笑えるところは多数ある。すなわち、教務課も商学部も、
「イナバの物置」状態を、見て見ぬふりをして、これを放置してきたことだ。
要するに、最初から「グル」なのである。
■教務課(=学校法人)もグルだ。
教務課は、履修登録が終わった段階で、科目ごとの履修者数を正確に把握している。
いうまでもなく、履修者数に応じて、大、中、小の教室を割り当てるには、履修者数の
正確な把握が必要である。
ゼミには当初から小教室が割り当てられている。当然である。
もしゼミ担当教員から、100名もの履修者が入る教室への変更申請が出された
としたら、この段階で「異常さ」は分かり、上司に伝わり、是正がなされるはずだ
――と、普通の人は考えてしまう。
しかし、「徹底した少人数教育」を売りものにしているのに、こんな是正はなされ
なかったのである。偽りの看板なのである。
その他、教務課が異常を確認する機会は多数ある。例えば、教務課が科目ごとに
「成績票」を作成する際である。ゼミ担当教員に渡すために用意した成績票に、
100名もの学生名が載っていたら、普通は異常だと思うべな!
でも、彼らは異常とは思わないらしい。
■商学部長もだ
当時の商学部長は、椎名市郎氏だ。
例の助教授が、3つのゼミにそれぞれ100名前後の学生を集め、単位を乱発して
いることは、教員室(講師控室)で話題になっていた。専任教員の間で話し合われて
いた。商学部長の耳に入らないわけはない。
この商学部長、身内と自分には甘く、優しいようだ。例の助教授に「教育的指導」や
「勧告」を行い、違法行為をやめさせればいいものを、まったくしない。
そこで業(ごう)を煮(に)やした或る教授(大学院商学研究科を兼任)が、学内で
発行していた「もの申す」シリーズでとりあげた。
数字を挙げての告発にあい、ようやく是正となったが、全くの中途半端だった。
すなわち、ただちにゼミを分割し、他の教員を動員して担当させることをせず、
2006年度はそのままにしておいた。
ただ、今後「演習Ⅰ」に履修者を受け入れる際には、大量の履修者を受け入れる
ことは御法度(ごはっと)となっただけであった。
そのため、2007年度の「演習Ⅱ」には前年度の「演習Ⅰ」の履修者がそのまま
もちあがり、「演習Ⅲ」には「演習Ⅱ」の履修者がもちあがったのである。
2008年度の「演習Ⅲ」には、2007年度の「演習Ⅱ」の履修者がそのまま
もちあがった。
こうしてこの「イナバの物置ゼミ」は、告発された2006年度に全廃された
のではなく、2008年度末まで存在し続けたのである。
■秘匿(ひとく)
これは「大学設置基準」違反であり、すぐに是正措置を講じ、文科省に報告
しなければならない事件である。
ところが、学校法人がこれを文科省に報告した形跡はない。
いつものごとく、「ほおっかむり」したのである。
高等教育の使命を自覚していたなら、こんな違法な事態を放置しておくことなど
起こりえない。あるいは、違反を知ったなら、すぐに是正措置をとるであろう。
また、大学の教育について審査を行う第三者機関である「大学基準協会」にも、
この件は報告されていない。なぜなら、2008年度の審査結果である「認証評価結果」
に.この事件のことは、一言も触れられていないからである。
■ことの重大性
過去に出した「卒業証書」の一部が怪しいのである。
授業への参加が物理的に不可能であるというのに、単位が出され、卒業資格、
すなわち「学位(学士)」が出されていたとしたら、大問題だろう。
成績評価が妥当であったかの問題ではないのである。成績評価以前の問題、
成績を出す条件が欠如していた問題なのである。
今後、組合としては、文科省に資料を提供し、告発することも検討する。
<続く>