今日は、お勤めをしていた頃、先輩だったT子さんの命日です。
亡くなられたのは、私たちが、岡山に来る前のことなので、もう、二十年以上も前になります。。。
私が、入社して、最初に配属された部署から三年ほど過ぎたとき、T子さんのいる部署に配置転換の辞令が出ました。
前の職場は、女の園だったのですが、新しい職場は男性だらけ・・・。(驚)→あまり、若い人はいませんでしたが・・・。
女性は、私を含めても3人だけ。。。
今思えば、T子さんとは20歳以上も年が離れていたのに、最初からウマが合いました。
というか、彼女の方が合わせてくれていたのかも???
タイピストとして入社した彼女は、肩をこわして一般事務職に替わったようです。
色は浅黒かったのですが、目の大きな美人さんでした。
社内でも、かなり目立っていたので、上司達からは一目置かれていましたし、その上、何でも良く知っていたので、彼女に任せておけば安心でした。
当時、お兄さまの家族とお母さまと一緒に同居していました。
縁談だって、降るほどあったはずなのに、何故か一度も結婚はしませんでした。
そんな彼女が不調を訴えたのは、暮れの忘年会が済んでまもなく・・・。
急に、食事がノドを通らなくなって、みるみる痩せていったのです。
入院して、検査をして、一時退院できる所までいったのですが、ちょうど一年後にお母さまのもとに旅立って逝かれました。
今の私の年令より、はるかに若かったのに・・・。
どんな思いで、病院のベッドに横たわっていたのだろう???
つい、日々の忙しさにかまけていて、T子さんのことを思い出すこともなく過ごしていましたが・・・。
何日か前に、ふっと、おぼろげになったT子さんの顔が思い浮かびました。
夏に帰ったら、きっとお墓参りに行こう!!
今日は、遠くから彼女のことを偲びたいと思います。。。
縁どおい人っていますよね。
私の職場にもいました。ってか今でもいる。
役職についてますが、最初の頃はそんなに長く勤める女性がいなかったので、職場的には
苦慮したみたいです。
ご命日に思い出してこうして、記事にされた
って事は、何よりのご供養だと思いますよ。
T子さんもエーさんも優しくて素敵ですぅ。
その当時、私は「結婚しなくてもいい!!」と思っていましたから・・・。
一応、お年頃は過ぎていましたが、縁談はそれなりにありましたし・・・。(笑)
私たちの時代には、「結婚したら、退職する」という誓約書を書かされていたので、風当たりはかなり強かったと思います。
そう考えると早すぎます・・・私まだまだやりたい事が山ほどありますもの。
私の世代でも、20歳代で結婚した友人達は皆退職しました。40歳代で仕事をしてる人は少なかったようです。今ではむしろ多いくらいですが。
色んな事がおありだったのでしょうね。
でも、ステキな女性だったというのが、エーさんの文章から伝わって来ますよ。
思い出して、その人を偲ぶ事は良い供養になると聞いた事があります。
T子さんは良い後輩をもたれたと思います☆
きっとエーさんのお人柄も良かったし、
先輩のT子さんも優しい良い方だったのでしょうね。20歳以上も年が離れてると、普通、
煙たく感じると思うのですが、違うのですね。
ご命日に、お顔を思い出して、偲んでくださるのは、何よりのご供養だと思います。
私、なんやかんや言っても、喧嘩相手の夫がいないと、やっぱり寂しいと思います。
エーさんにとって大きな存在だったんですね。
毎日の生活の中では忘れていても、こうしてエーさんの心の中で生きているではないですか。
彼女も喜んでおられますよ、きっと。
我が家の娘含めて不思議もない時代やけど…
以前は白い目で見られがちやったやろな~…
でも、親より後やったのがせめてもの救い???
きっと天国でお母様と楽しくされているよ♪
エーちゃまの心に今も残るほど素晴らしい女性やったんやね~!
何時までも、事ある毎に想いだしてあげておられるのは、良い供養になっていますと思います。
kettyさんが言っておられる様に
相棒を大事にせななりませんね(笑)
何時も気を使って頂いてありがとうございました。
年代が違っててもお付き合いができるって、きっと素敵な方だったのでしょうね
思い出されるというのは、きっと彼女も
そう思ってられるのかも・・・
彼女に会いに行ってあげると
きっと大喜びされると思いますよ・・・
私は、年を経ても、かなり幼すぎでした。。。(笑)
人生の半分ほどで倒れて、やっぱり残念だったと思います。