ネグレクトとは人間が生きる
中で必要な世話を放棄することと
考え、子供に衣食住を十分に
与えていないことだ答える人が
多いのではないだろうか。
たしかに、それもネグレクトだが、
情緒的ネグレクトとは少し違う。
子供には年齢に応じて【発達課題】
というものがある。
何もできない赤ちゃんは、泣く
ことでしか怒りや不快感を伝える
ことができない。
親が反応すれば安心感や
信頼を築くことができる。
だが、放置され続けると、
【不信感】しか育たない。
昔の孤児院で行われていた
ことを例に考えていこうと思う。
孤児院では、複数の赤ちゃんを
あずかることもあった。
世話をする人が限られていたため、
24時間、ずっと、哺乳瓶を
咥えさせられたまま放置されていた。
つまり、泣くことができない状態が
24時間続くということだ。
赤ちゃんが泣けないということは、
不快感もやってほしいことも、
怒りさえも訴えることができない
ということでもある。
そんな赤ちゃんたちが成長すると、
どうなるのかというと…
大人しくて
礼儀正しい
子供になる
一見すると、とてもいいことの
ように思えるだろう。
子供たちの中で、何が起きてる
のか考えてほしい。
赤ちゃんのころから【何かを訴える】
ことをさせてもらないと【諦める】
ようになるのだ。
つまり、学習性無力感を赤ちゃんの
頃から育てられるということ。
諦めるということは、どういう
ことか考えてもらいたい。
一言で言うと
相手に何も期待しない
自分の考えや意見は、一切、
言わない、自分の考えすら
持ちませんということになる。
1歳半から3歳ころの発達課題は
【自立性】である。
自分のことは自分でやることが
できるようにする段階だ。
ここで失敗をばかにされると、
恥の感情が育ってしまう。
この時期は、言葉を覚え、何でも、
親に話をし始める時期でもある。
それを孤児院と同じようにしたら、
どうなるだろうか?
親が忙しいときに話しかけたら、
怒鳴られたり、無視されたり、
後で… と言われて、結局、何も
聞いてこなかったり、約束を何度も
破るなど…。
これが何度も続くと、親に話すと
いうことを諦めるようになる。
話そうとすると怒鳴られたり、
無視されたりすることで、怖い思いや
話を聞いてもらえない悲しさ、
自分の存在をないもののように
扱われたつらさなどが、どんどん、
蓄積していくのだ。
赤ちゃんの頃から幼少期までに、
情緒的ネグレクトが続くと、
無力感から大人しくなり、親に
怒られない行動しかできない
礼儀正しい子供が出来上がる。
1歳半から3歳までには、親が
一番つらいと言われるイヤイヤ期
も含まれる。
碧音も含め、情緒的ネグレクトを
されて育った子供にイヤイヤ期は
存在しない。
赤ちゃんの頃から学習性無力感
しか育たない環境で生活している
ので、自己主張を全くできない。
自己主張の仕方が分からないのだ。
自己主張しないということは、
発達課題をクリアできていないと
いうことでもある。
大人になったから、自動的に身に
付くものでもない。
複雑性PTSDを抱える大人は、このような
自分のひどい養育環境を認めることから
全ては始まる。
生きづらさの理由、自分がクリアできて
いない発達課題を大人になってから、
クリアしなければならない。
子供なら許されることでも、大人の世界
では許されない中でクリアしていくのだ。
きつくて当然だろう。
情緒的ネグレクトを受けて育った
碧音が一番きつさを痛感している。