真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『一青年外交官の太平洋戦争―日米開戦のワシントン→ベルリン陥落』 (藤山 楢一さん 1989年)

2015-07-28 | 読書-歴史
一青年外交官の太平洋戦争―日米開戦のワシントン→ベルリン陥落
藤山 楢一【著】
新潮社(1989/04発売)

文中、何箇所かに言及あり
藤山楢一官補として。

この件は避けて通れない。
なぜ日本の宣戦布告文書手交は遅れたのか?

読み合わせチェックで、読み上げを担当。
「あ、また誤タイプです!」とかいって、何度もパチ パチ パチ と奥村が打ちなおしたらしい。

「あの内容は宣戦布告とは読めない」というのはそうなのだろうな。 
「12月7日,日曜日.海軍武官補佐官,実松実中佐が午前9時に出勤してくる.すると玄関のドアの前に,配達された新聞が山となり,郵便受けには電報が溢れんばかり.
も根拠がないと主張。
電報配達時の段取りから言って、郵便受けに突っ込んだままなどあり得ないと。

藤山は中野に同行して葬儀会場に出向いたと思われるのだが、なぜか「午前」としている。またことさらに同僚の名前を間違えたり、新庄の身分も海軍将校と誤記している。何か意図があってのことと勘ぐれないこともないのだが。
これか

後年
イギリスでの研修を終えるに当たって、当時の在英日本大使である藤山楢一大使が

ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六さんは著者より1年後輩にあたるようだが、一切記述はないな。
ま、若手は多数いたのだろうし。

ベルリンと東京の電話は、大使館員の私的なものもすべてゲシュタポに盗聴されていた由。
なので、鹿児島出身者同士で会話させることにして、聞かれてもわからないようにした(ことがあった)という。

ナバホ族通信兵のようだわな。
こちらに記載がそれ?

ナバホ通信兵を追い続けた日本人写真家の件

長井阿歴山参事官との記述は、長井亜歴山ではないか。
長井長義 長男・亜歴山(アレキサンダー)

原田俊介さん
6ケ国語を操り外務省に勤め色々な国の外交官になり最後は総領事にまでなった。恐らく混血で無かったら大使になっただろう。

この作品にヒントを与えたものと確信する
ワシントン封印工作 佐々木 譲【著】

「ワシントン封印工作」 新潮社 1997年

当たり!
わたしがモデルにしたのは、当時の大使館臨時職員で、開戦後に大使館から消えた川本裕二という留学生ですが・・・・・
消えた川本氏についての証言は、藤山楢一という外交官補だった人物の回想記から得たものです。

~(旧)佐々木譲資料館~ 01/04/09

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