『ルイズが正子であった頃』
ルピカール,ルイズ【著】〈Lepicard,Louise〉
未知谷 (2006/06/10 出版)
版元からは詳細な目次: 未知谷の刊行物【国内文学】
ん?こりゃなんだ…ルイズさんと過ごしたトゥルーズ
一昨年の6月、ルイズさんの自叙伝をまとめるお手伝いをするため、フランスへ行って来ました2006-04-21
えーと、「ライターさんが、インタビューして原稿を書きました。だけど表には出ないことになりました。」ってわけね。
ごくろうさま。いいですよ、べつに。
え?原稿を書いたとは言ってません。単なるお手伝いです、と?
わかりましたはいはい、お手伝いですね、はーいはい。
著者が謝辞を述べている人物の中の一人かもしれないし、そうでないかもしれない。
モンガイカンの素人には知る由もない。
ひと:ルイズ・ルピカールさん=「お百度参り」の日本訪問
~毎日新聞 du 20/5/2009の原文は削除済みのようなので、残っていた引用から。
ご自宅でお世話した皆さんのところに、「こんど本が出たのよ」という知らせを送られており、それを受けて皆さんがブログ等で記述されている、と。
インパクト強烈な、魅力たっぷりの方なのだろうな。
著者宅にホームステイしたことのある人のブログ2007年04月03日
南仏で出会った大和撫子の化石?(前編) (皮膚科専門医2007.01.29)
南仏で出会った大和撫子の化石?(後編)(皮膚科専門医2007.06.13)
波乱万丈(母上もなかなか凄いが、娘=著者も本書の後の有為転変が…)で、恐れ入りました、なのだが、読みやすくはない。
ライターさんの責任ではなくて企画の問題かと思うが。
・・というとナマイキなので、読者側の読解力と感受性の問題ですはいそうですよ、はいはい。
はいは一度でいい、って?
はーーい。
各章ごとにミニ解説的なコラムでも設けるという案は検討したのだろうか。
そんなものでもあれば、より読みやすく、また感動も広く共有できたのではないかと思った。
太平洋戦争開戦後、日本がフランスとは直接交戦していないこともあって(仏印では?)、軽井沢などへの抑留を回避できたようだ。
本国はあっという間にドイツ軍に占領されて・・・ということでもあったしな。
とはいえ、終戦近くなって、さすがに・・・ということで長崎在住の皆さんは佐賀県小城郡清水で暮らしていただきました、というわけか。
そのへんの事情に関する解説がほしい。
当局からそういう指示が来たもんで…、という本人の回想だけでは折角の波乱万丈が生きない。
<目次から> 第四章 収容所生活と終戦(昭和20年)
濠洲も占領した日本軍?/米軍沖縄上陸始まる/佐賀県小城郡清水収容所に集合の示達/出発の準備/蝶々袖/出発・諫早経由小城へ/やがて小城清水収容所/ブータデハアリマセン/娘さんを貸してください/最後の五分間/クペ・ラ・テット/「休戦です」/収容所解散/自決しなかった村民
佐賀県小城郡清水の収容所というのは、検索しても引っかかりが少ない。
わずかに、長崎異人館の説明の中にこんな記述があった。
東山手甲十三番館(長崎異人館)
昭和の初めから半ばにかけてはフランス代理領事、アンドレー・ブキリ氏が住み、昭和33年に亡くなるまで、領事館としての役割を果たしていた。ブキリ氏はフランス領時代のベトナムでサイゴン警察署長を務めるなどの要職にあった人物で、朗らかながらも厳格で気難しい一面もあったという。戦時中、昭和19年には県内各地から佐賀県小城市清水の収容所へ連行され、約10ヶ月の間、苛酷な生活を強いられたという。
横浜を中心とした神奈川方面の、英米人(敵性外国人)の抑留については、資料も残っていて研究もあるようだ。
名簿付きだったりして、すげえ。
小宮まゆみさんのご研究から:
TeaPot - Ochanomizu University Web Library - Institutional Repository
太平洋戦争下の 「敵国人」 抑留: 日本国内に在住した英米系外国人の抑留について (研究)
~お茶大なのでTeaPotなのね!
POW研究会
太平洋戦争と横浜の外国人 ―敵産管理と敵国人抑留―
ほお、厚木市七沢などにも抑留、と。
勉強になりました。
POW研究会って、興味深い・・・。
(たぶん続編あり)
ルピカール,ルイズ【著】〈Lepicard,Louise〉
未知谷 (2006/06/10 出版)
版元からは詳細な目次: 未知谷の刊行物【国内文学】
ん?こりゃなんだ…ルイズさんと過ごしたトゥルーズ
一昨年の6月、ルイズさんの自叙伝をまとめるお手伝いをするため、フランスへ行って来ました2006-04-21
えーと、「ライターさんが、インタビューして原稿を書きました。だけど表には出ないことになりました。」ってわけね。
ごくろうさま。いいですよ、べつに。
え?原稿を書いたとは言ってません。単なるお手伝いです、と?
わかりましたはいはい、お手伝いですね、はーいはい。
著者が謝辞を述べている人物の中の一人かもしれないし、そうでないかもしれない。
モンガイカンの素人には知る由もない。
ひと:ルイズ・ルピカールさん=「お百度参り」の日本訪問
~毎日新聞 du 20/5/2009の原文は削除済みのようなので、残っていた引用から。
ご自宅でお世話した皆さんのところに、「こんど本が出たのよ」という知らせを送られており、それを受けて皆さんがブログ等で記述されている、と。
インパクト強烈な、魅力たっぷりの方なのだろうな。
著者宅にホームステイしたことのある人のブログ2007年04月03日
南仏で出会った大和撫子の化石?(前編) (皮膚科専門医2007.01.29)
南仏で出会った大和撫子の化石?(後編)(皮膚科専門医2007.06.13)
波乱万丈(母上もなかなか凄いが、娘=著者も本書の後の有為転変が…)で、恐れ入りました、なのだが、読みやすくはない。
ライターさんの責任ではなくて企画の問題かと思うが。
・・というとナマイキなので、読者側の読解力と感受性の問題ですはいそうですよ、はいはい。
はいは一度でいい、って?
はーーい。
各章ごとにミニ解説的なコラムでも設けるという案は検討したのだろうか。
そんなものでもあれば、より読みやすく、また感動も広く共有できたのではないかと思った。
太平洋戦争開戦後、日本がフランスとは直接交戦していないこともあって(仏印では?)、軽井沢などへの抑留を回避できたようだ。
本国はあっという間にドイツ軍に占領されて・・・ということでもあったしな。
とはいえ、終戦近くなって、さすがに・・・ということで長崎在住の皆さんは佐賀県小城郡清水で暮らしていただきました、というわけか。
そのへんの事情に関する解説がほしい。
当局からそういう指示が来たもんで…、という本人の回想だけでは折角の波乱万丈が生きない。
<目次から> 第四章 収容所生活と終戦(昭和20年)
濠洲も占領した日本軍?/米軍沖縄上陸始まる/佐賀県小城郡清水収容所に集合の示達/出発の準備/蝶々袖/出発・諫早経由小城へ/やがて小城清水収容所/ブータデハアリマセン/娘さんを貸してください/最後の五分間/クペ・ラ・テット/「休戦です」/収容所解散/自決しなかった村民
佐賀県小城郡清水の収容所というのは、検索しても引っかかりが少ない。
わずかに、長崎異人館の説明の中にこんな記述があった。
東山手甲十三番館(長崎異人館)
昭和の初めから半ばにかけてはフランス代理領事、アンドレー・ブキリ氏が住み、昭和33年に亡くなるまで、領事館としての役割を果たしていた。ブキリ氏はフランス領時代のベトナムでサイゴン警察署長を務めるなどの要職にあった人物で、朗らかながらも厳格で気難しい一面もあったという。戦時中、昭和19年には県内各地から佐賀県小城市清水の収容所へ連行され、約10ヶ月の間、苛酷な生活を強いられたという。
横浜を中心とした神奈川方面の、英米人(敵性外国人)の抑留については、資料も残っていて研究もあるようだ。
名簿付きだったりして、すげえ。
小宮まゆみさんのご研究から:
TeaPot - Ochanomizu University Web Library - Institutional Repository
太平洋戦争下の 「敵国人」 抑留: 日本国内に在住した英米系外国人の抑留について (研究)
~お茶大なのでTeaPotなのね!
POW研究会
太平洋戦争と横浜の外国人 ―敵産管理と敵国人抑留―
ほお、厚木市七沢などにも抑留、と。
勉強になりました。
POW研究会って、興味深い・・・。
(たぶん続編あり)