1989/1/7のことは覚えているよ。
1 多彩なお客、多彩な話題
2 訪米受諾事件
3 天皇と戦争責任論
4 厳格なご教育
5 天皇と歴代首相
6 真崎大将と二・二六事件
7 ご病気と肉料理
8 夫婦円満の秘訣は
9 天皇語と世俗のコトバ
10 「知性の人」の二大記者会見
11 皇室財産をめぐる紆余曲折
1999/12に中公文庫版刊行
昭和天皇の思い出 | 昭和館デジタルアーカイブ
単行本書影
文庫版書影
じつはそのうち読もうと思っていてなかなか手が回らなかったのだが、某会の会報に著者の娘さんと思われる方の回顧が掲載されたため、この機会に図書館で借り出してみた。
娘さん(1946生れ)の回顧には、父上が外務省勤務だったこと、ワシントンDCや、ロンドン、アフガニスタンなどに同行したことなどの記載があり、それ以上の詳細(父上の素性等)記載はなかったのだが、苗字と経歴から、昭和天皇の通訳を務めた外交官で(二・二六事件で必ず名前の出る)真崎甚三郎陸軍大将の長男の
真崎秀樹 - Wikipedia氏と分かる。
1908年(明治41年)4月1日 - 2001年(平成13年)11月14日
なお、本書に真崎大将に関しての記述(言及)は多くあるが、妻子などについての言及はない。
通訳の専門家としての入省だったのね。
25年にわたり…というのは、とても気に入られたことが明らかだわな。
お上は直接的表現で「誰某がいい」などとは発言されなかったはずだが、満足度の高いご様子は側近にも明らかだったのだろう。
新聞記者が十数回にわたって話を聞いてまとめたもの(『THIS IS 読売』掲載)の由。
巻末に解説的「躍動する昭和」を寄せられた
伊藤隆 (歴史学者) - Wikipedia東大名誉教授(真崎甚三郎陸軍大将の手記の件で真崎邸を訪問し大将未亡人とも面談歴あり)も2024/8に亡くなられた。
6 真崎大将と二・二六事件
という章があるのが、やはりというか、こだわりが強いというか。
真崎大将は参謀次長として昭和天皇にも何度も報告したことがあり、お上は大将の人物もよくご存じだった由。
3 天皇と戦争責任論
著者を含めた当時の関係者は、「昭和天皇に戦争責任はない」との主張に強くこだわっていた。
が、南面堂はそのスタンスに違和感を感じていた。
直接責任を取る/取らないの話になりかねないとの危惧からだったのかもしれないが、お上ご本人は、高い立場から、強く責任を感じておられたことは明らかだと思う。
退位も念頭にあった中で、(皇太子はまだ少年であった中、弟の誰かに…というのも気が進まなかったのでは?)マッカーサーとの会談の際の発言(マッカーサーの記述しか資料がないので、その内容の真実性は保証されない。とはいえ、全然違う会話があったとは考えにくく~事実から大きく外れた記述があれば日本側から異議が呈される可能性はゼロではなかったわけだし)からも、責任を痛感されていたと考えられる。
米側が、昭和天皇に引き続き在位してもらった方が、占領も復興も塩梅よく進むはずと判断したのだろう。(その判断は正解だった)
なので、引き続いて在位するのはむしろ辛かったかもしれないが、頑張られたのだと思う。
こんなのもあるのか!ヨマネバの娘
秘蔵テープがあかす、昭和天皇の本当の姿 『エンペラー・ファイル』(徳本 栄一郎) | 徳本 栄一郎 | インタビュー・対談
1 多彩なお客、多彩な話題
2 訪米受諾事件
3 天皇と戦争責任論
4 厳格なご教育
5 天皇と歴代首相
6 真崎大将と二・二六事件
7 ご病気と肉料理
8 夫婦円満の秘訣は
9 天皇語と世俗のコトバ
10 「知性の人」の二大記者会見
11 皇室財産をめぐる紆余曲折
1999/12に中公文庫版刊行
昭和天皇の思い出 | 昭和館デジタルアーカイブ
単行本書影
文庫版書影
じつはそのうち読もうと思っていてなかなか手が回らなかったのだが、某会の会報に著者の娘さんと思われる方の回顧が掲載されたため、この機会に図書館で借り出してみた。
娘さん(1946生れ)の回顧には、父上が外務省勤務だったこと、ワシントンDCや、ロンドン、アフガニスタンなどに同行したことなどの記載があり、それ以上の詳細(父上の素性等)記載はなかったのだが、苗字と経歴から、昭和天皇の通訳を務めた外交官で(二・二六事件で必ず名前の出る)真崎甚三郎陸軍大将の長男の
真崎秀樹 - Wikipedia氏と分かる。
1908年(明治41年)4月1日 - 2001年(平成13年)11月14日
なお、本書に真崎大将に関しての記述(言及)は多くあるが、妻子などについての言及はない。
通訳の専門家としての入省だったのね。
25年にわたり…というのは、とても気に入られたことが明らかだわな。
お上は直接的表現で「誰某がいい」などとは発言されなかったはずだが、満足度の高いご様子は側近にも明らかだったのだろう。
新聞記者が十数回にわたって話を聞いてまとめたもの(『THIS IS 読売』掲載)の由。
巻末に解説的「躍動する昭和」を寄せられた
伊藤隆 (歴史学者) - Wikipedia東大名誉教授(真崎甚三郎陸軍大将の手記の件で真崎邸を訪問し大将未亡人とも面談歴あり)も2024/8に亡くなられた。
6 真崎大将と二・二六事件
という章があるのが、やはりというか、こだわりが強いというか。
真崎大将は参謀次長として昭和天皇にも何度も報告したことがあり、お上は大将の人物もよくご存じだった由。
3 天皇と戦争責任論
著者を含めた当時の関係者は、「昭和天皇に戦争責任はない」との主張に強くこだわっていた。
が、南面堂はそのスタンスに違和感を感じていた。
直接責任を取る/取らないの話になりかねないとの危惧からだったのかもしれないが、お上ご本人は、高い立場から、強く責任を感じておられたことは明らかだと思う。
退位も念頭にあった中で、(皇太子はまだ少年であった中、弟の誰かに…というのも気が進まなかったのでは?)マッカーサーとの会談の際の発言(マッカーサーの記述しか資料がないので、その内容の真実性は保証されない。とはいえ、全然違う会話があったとは考えにくく~事実から大きく外れた記述があれば日本側から異議が呈される可能性はゼロではなかったわけだし)からも、責任を痛感されていたと考えられる。
米側が、昭和天皇に引き続き在位してもらった方が、占領も復興も塩梅よく進むはずと判断したのだろう。(その判断は正解だった)
なので、引き続いて在位するのはむしろ辛かったかもしれないが、頑張られたのだと思う。
こんなのもあるのか!ヨマネバの娘
秘蔵テープがあかす、昭和天皇の本当の姿 『エンペラー・ファイル』(徳本 栄一郎) | 徳本 栄一郎 | インタビュー・対談