新潮選書
諜報の天才 杉原千畝
白石 仁章【著】
新潮社 (2011/02/25 出版)
プロローグ 杉原の耳は長かった
第1章 インテリジェンス・オフィサー誕生す
第2章 満洲国外交部と北満鉄道譲渡交渉
第3章 ソ連入国拒否という謎
第4章 バルト海のほとりへ
第5章 リトアニア諜報網
第6章 「命のヴィザ」の謎に迫る
第7章 凄腕外交官の真骨頂
エピローグ インテリジェンス・オフィサーの無念
幸子夫人や、省内で杉原を見かけたことがあるという外務省の大先輩の回想も直接に聞いている著者ならではの作。
ハイライトは、「第3章 ソ連入国拒否という謎」。
1936年末に、在モスクワ日本大使館に二等通訳官として勤務の発令があり、入国ヴィザを申請したところ、理由を明らかにせず拒否されたという事件。
ご勤務先所蔵の「杉原通訳官ノ白系露人接触事情」という調書(じつは杉原本人が執筆)の謎解きにわくわく。
二等通訳官という(低い地位の)スタッフにペルソナ・ノン・グラータとは大げさな!という異例の措置に日本側も食い下がり、理由を執拗に問いただす。
日本側の報復措置が、ついには日ソの外交官ヴィザ発給拒否合戦にまで発展する。
満洲国外交部時代に北満鉄道譲渡交渉でも手腕を発揮した杉原は、白系露人との接触が色々あったことは疑いないのだが、ソ連側はその尻尾がつかめない。
FBIが尻尾をしっかりつかんでいた在米日本大使館の寺崎書記官のような場合は、知らん顔をして入国させ・活動させる=泳がせる、これが常道。
ところが、杉原の場合は全く尻尾がつかめないゆえ、その底しれない能力を恐れたソ連当局は、ヴィザ発給拒否というなりふり構わない措置に出た。
「第4章 バルト海のほとりへ」
の章タイトルは、小野寺信夫人百合子さん(『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』)に敬意を表したものだろう。
この方ね。
武官の妻の長い長い戦後
CHIUNE SUGIHARA BRIEF HISTORY
The life and story of Chiune Sugihara
著者
白石 仁章氏
外務省外交史料館課長補佐
編集者のことば
外務省のシャーロック・ホームズ-外交史料館で外交公電の山から宝を掘り出すことを公務として行っている人物
手嶋龍一さん評
インテリジェンスの視点で杉原像を覆す
ああ、きどり星の世界に行ってしまったテッシー…
杉原の計らいによって救われた人々は、のちに「スギハラ・サバイバル」と呼ぱれることになった、そうなんだが、それってどんな綴り?
Sugihara survival では意味をなさないんではないのか。
もしかして、Sugihara survivor をサバイバーではなくてサバイバルと読ませるとか?
なるほどなるほど、doctor をドクターではなくドクトルと言うがごとく?
「ドクトル」のイメージはね、昔風の医院の老先生の診察室!
額に入れて掲示してある「醫學博士」の学位記かな。
もちろん旧字ね。
看板にも醫學博士である旨は強調するのがお約束。
「若き日々の労働力提供に対する領収証」に他ならないと思うんだが、それはまた別の話…。
Ddogさん
その手腕を物語るのは、たとえぱ以下に述ぺる歴史的事実である。外務省外交史科館課長補佐の白石仁章氏が解説する。
外交史料館の発掘職人は、さかんに「インテリジェンス・オフィサー」を連呼する。
外交官のなかにあって特殊技能を持つ者という趣に読めるのだが、「だーからいかんのでは」という気がした。
「一般の外交官は社交に注力し、一部の特殊な才能と技能を有する者だけがインテリジェンス業務に従事する」という国と、
「担当業務にかかわらず、インテリジェンス業務の基本訓練と継続研修が行われ、評価の観点にも入っている」という国があったとして、どちらが国益を守れるだろうか。
著者が「偉大なインテリジェンス・オフィサー」として紹介する杉村 陽太郎(すぎむらようたろう 1884年(明治17年)9月28日 - 1939年(昭和14年)3月24日)
ウェブもりおか:盛岡の先人たち:杉村陽太郎
ちっとも存じませんでした。
ものろぎや・そりてえる
「命のヴィザ」のエピソードはもちろん美談ではあるが、それは単に主観的なヒューマニズムだけでなし得たことではない。この背景をなしている、1930~40年代というキナ臭い時期における諜報戦の一端が杉原という具体的な個人を通して描き出されているところが興味深い。
諜報の天才 杉原千畝
白石 仁章【著】
新潮社 (2011/02/25 出版)
プロローグ 杉原の耳は長かった
第1章 インテリジェンス・オフィサー誕生す
第2章 満洲国外交部と北満鉄道譲渡交渉
第3章 ソ連入国拒否という謎
第4章 バルト海のほとりへ
第5章 リトアニア諜報網
第6章 「命のヴィザ」の謎に迫る
第7章 凄腕外交官の真骨頂
エピローグ インテリジェンス・オフィサーの無念
幸子夫人や、省内で杉原を見かけたことがあるという外務省の大先輩の回想も直接に聞いている著者ならではの作。
ハイライトは、「第3章 ソ連入国拒否という謎」。
1936年末に、在モスクワ日本大使館に二等通訳官として勤務の発令があり、入国ヴィザを申請したところ、理由を明らかにせず拒否されたという事件。
ご勤務先所蔵の「杉原通訳官ノ白系露人接触事情」という調書(じつは杉原本人が執筆)の謎解きにわくわく。
二等通訳官という(低い地位の)スタッフにペルソナ・ノン・グラータとは大げさな!という異例の措置に日本側も食い下がり、理由を執拗に問いただす。
日本側の報復措置が、ついには日ソの外交官ヴィザ発給拒否合戦にまで発展する。
満洲国外交部時代に北満鉄道譲渡交渉でも手腕を発揮した杉原は、白系露人との接触が色々あったことは疑いないのだが、ソ連側はその尻尾がつかめない。
FBIが尻尾をしっかりつかんでいた在米日本大使館の寺崎書記官のような場合は、知らん顔をして入国させ・活動させる=泳がせる、これが常道。
ところが、杉原の場合は全く尻尾がつかめないゆえ、その底しれない能力を恐れたソ連当局は、ヴィザ発給拒否というなりふり構わない措置に出た。
「第4章 バルト海のほとりへ」
の章タイトルは、小野寺信夫人百合子さん(『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』)に敬意を表したものだろう。
この方ね。
武官の妻の長い長い戦後
CHIUNE SUGIHARA BRIEF HISTORY
The life and story of Chiune Sugihara
著者
白石 仁章氏
外務省外交史料館課長補佐
編集者のことば
外務省のシャーロック・ホームズ-外交史料館で外交公電の山から宝を掘り出すことを公務として行っている人物
手嶋龍一さん評
インテリジェンスの視点で杉原像を覆す
ああ、きどり星の世界に行ってしまったテッシー…
杉原の計らいによって救われた人々は、のちに「スギハラ・サバイバル」と呼ぱれることになった、そうなんだが、それってどんな綴り?
Sugihara survival では意味をなさないんではないのか。
もしかして、Sugihara survivor をサバイバーではなくてサバイバルと読ませるとか?
なるほどなるほど、doctor をドクターではなくドクトルと言うがごとく?
「ドクトル」のイメージはね、昔風の医院の老先生の診察室!
額に入れて掲示してある「醫學博士」の学位記かな。
もちろん旧字ね。
看板にも醫學博士である旨は強調するのがお約束。
「若き日々の労働力提供に対する領収証」に他ならないと思うんだが、それはまた別の話…。
Ddogさん
その手腕を物語るのは、たとえぱ以下に述ぺる歴史的事実である。外務省外交史科館課長補佐の白石仁章氏が解説する。
外交史料館の発掘職人は、さかんに「インテリジェンス・オフィサー」を連呼する。
外交官のなかにあって特殊技能を持つ者という趣に読めるのだが、「だーからいかんのでは」という気がした。
「一般の外交官は社交に注力し、一部の特殊な才能と技能を有する者だけがインテリジェンス業務に従事する」という国と、
「担当業務にかかわらず、インテリジェンス業務の基本訓練と継続研修が行われ、評価の観点にも入っている」という国があったとして、どちらが国益を守れるだろうか。
著者が「偉大なインテリジェンス・オフィサー」として紹介する杉村 陽太郎(すぎむらようたろう 1884年(明治17年)9月28日 - 1939年(昭和14年)3月24日)
ウェブもりおか:盛岡の先人たち:杉村陽太郎
ちっとも存じませんでした。
ものろぎや・そりてえる
「命のヴィザ」のエピソードはもちろん美談ではあるが、それは単に主観的なヒューマニズムだけでなし得たことではない。この背景をなしている、1930~40年代というキナ臭い時期における諜報戦の一端が杉原という具体的な個人を通して描き出されているところが興味深い。