天の蛇 :加藤 九祚|河出書房新社
図書館で1976年刊の初版が除籍廃棄どーぞお持ちくださいになっていたので入手。
興味深さにくらくら。
その後の「死の真相」解明を増補したものが図書館にあったので借り出したもの。
76年初版では当時のソ連の公式発表しかわからなかったため、
ネフスキーの死亡日:1945/2/13
イソ夫人の死亡日:1945/12/12
とされていた(1957-58年の名誉回復時に娘のエレナ・ニコラエウナ・ネフスカヤさんにKGBが告げ、病名などもっともらしく記載された公式通知文書を交付)。
ところが1991年に捜査書類が公開され、それは真っ赤なウソであると判明。
逮捕から1か月半後の1937/11/24に夫妻ともに銃殺されていた。
第1章 ヴォルガの岸辺で
第2章 ペテルブルグにて
第3章 日本留学と学友たち。ロシア革命
第4章 東京在住時代
第5章 帰国の延期
第6章 小樽在住時代
第7章 大阪在住時代
第8章 西夏語の研究
第9章 単身帰国とイソ母子のソ連渡航
第10章 帰国後の活動
第11章 学者ネフスキーの死
第12章 ネフスキーの「復活」
付録1 回想のネフスキー
付録2 エレナ・ネフスカヤ訪問記
増補 ニコライ・ネフスキーと家族、その後の真相
付録1 回想のネフスキー は
付き合いのあった学者らがネフスキーとの交流を記載した文献からの引用。
柳田国男、折口信夫、中山太郎、石浜純太郎、オレスト・ド・ブレトネル、石田英一郎、高橋盛孝、九十九黄人の各氏。
付録2 エレナ・ネフスカヤ訪問記 は
著者が1972/12/24・25に「ネリ」ことエレナ・ネフスカヤ女史をレニングラードに訪ねた際の話。
ニコライ・ネフスキー 宮古島の方言と宮古島の民俗学的研究の先駆者、ネフスキー | 宮古島キッズネット
図書館で1976年刊の初版が除籍廃棄どーぞお持ちくださいになっていたので入手。
興味深さにくらくら。
その後の「死の真相」解明を増補したものが図書館にあったので借り出したもの。
76年初版では当時のソ連の公式発表しかわからなかったため、
ネフスキーの死亡日:1945/2/13
イソ夫人の死亡日:1945/12/12
とされていた(1957-58年の名誉回復時に娘のエレナ・ニコラエウナ・ネフスカヤさんにKGBが告げ、病名などもっともらしく記載された公式通知文書を交付)。
ところが1991年に捜査書類が公開され、それは真っ赤なウソであると判明。
逮捕から1か月半後の1937/11/24に夫妻ともに銃殺されていた。
第1章 ヴォルガの岸辺で
第2章 ペテルブルグにて
第3章 日本留学と学友たち。ロシア革命
第4章 東京在住時代
第5章 帰国の延期
第6章 小樽在住時代
第7章 大阪在住時代
第8章 西夏語の研究
第9章 単身帰国とイソ母子のソ連渡航
第10章 帰国後の活動
第11章 学者ネフスキーの死
第12章 ネフスキーの「復活」
付録1 回想のネフスキー
付録2 エレナ・ネフスカヤ訪問記
増補 ニコライ・ネフスキーと家族、その後の真相
付録1 回想のネフスキー は
付き合いのあった学者らがネフスキーとの交流を記載した文献からの引用。
柳田国男、折口信夫、中山太郎、石浜純太郎、オレスト・ド・ブレトネル、石田英一郎、高橋盛孝、九十九黄人の各氏。
付録2 エレナ・ネフスカヤ訪問記 は
著者が1972/12/24・25に「ネリ」ことエレナ・ネフスカヤ女史をレニングラードに訪ねた際の話。
ニコライ・ネフスキー 宮古島の方言と宮古島の民俗学的研究の先駆者、ネフスキー | 宮古島キッズネット